デイヴィッド ピース: TOKYO YEAR ZERO 英米同時刊行という触れ込みで、Webページまで立てて宣伝している。内容は小平事件を中心に終戦直後の状況を描くのだが、小平事件の捜査官の私小説形式になっている。それを活かして、限定した視野からの描写が行われる。戦後風俗など分かっている範囲を描くことで一定のリアリティを確保できるし登場人物の思い込みや、読者の先入観などが利用できるのだ。その点、この作品は成功していると言って良い。
大陸での残虐行為、日本での朝鮮人虐殺、これらはしばしば描かれてきた。だが、大陸での中国人による暴虐とそれへの恐怖。終戦直後の、所謂三国人による警察署襲撃などの暴虐についてはっきりと描いた作品はあまり無い。そうしたことを背景に小平事件を浮き彫りにしている。
犯人、小平義雄は従軍して中国におり、そこで残虐事件を引き起こしているが、金鵄勲章を受けて除隊した。日本軍はなくなったが、彼の残虐行為はそのまま戦後に引き続いた。国ぐるみのPTSDとも言える事件であった。猟奇的な部分に焦点を当てるのではなく、当時の精神的状況の中でとらえ直しておかなければ、戦後の持った日本の問題を置き去りにしたことになる。この作品は戦後を書くことに充分な力を割いている。
小平が住んでいた場所、羽沢はすぐ近くで、毎日のように歩いている。そこには満鉄総裁中村是公の屋敷跡が羽沢ガーデンとして残っていた。最近、そこがマンション建設予定地となり、緑の環境を守ろうとする近隣住民の反対運動が起きている。僕にはこれが、古いものの上に、効率や利益をはかって、新しいものを積み重ね、それをもって過去の清算としてきたこれまでのやり方のアナロジーのように見えてしまう。この作品にはそうした効用もあった。
この作品は『雨月物語』を意識していると作家自身が語っている。Kenji Hamada の訳書が参考図書にも上げられている。今から三十年ほど昔、小岩の成人学級で『雨月物語』を読んだことがある。若い人でも六十代という受講者たちだったが、「浅茅が宿」を読んだ時、一人の女性が涙を溜めていた。「戦争から主人が帰ってきたときのことを思い出しました。」とおっしゃった。溝口健二の『雨月物語』はその視線で秋成の原作を再構成したものだ。この作品も『雨月物語』の受容作として数えられても良いと思う。ただKenji Hamadaの訳は誤訳もあるので気をつけたほうが良い。「菊花の約」の中に病に臥している赤穴宗右衛門が「湯ひとつ恵み給へ」と支部左門に言う場面がある。二人の印象的な出会いの場面なのだが、そこが”give me a bath”になっていたと記憶する(今原書が見つからないので、確認します)。「風呂に入れてくれ」になってしまう。Zolbrod訳では”Please give me a cup of warm water”になっていて、納得がいく。Zolbrod訳はTuttleから出ていた本なのだが、Tuttleが神田から姿を消してしまい、入手しにくくなったようで残念だ。
同時刊行も歓迎だが、その元になる古典の英訳本なども供給して欲しいと思った。 (★★★★)
最近のコメント