『看羊録』を読みました。
『看羊録』東洋文庫 姜沆著 朴鐘鳴訳
文禄・慶長の役で日本の捕虜となり、後に許されて帰国した姜沆の手記をまとめたものだが、藤原惺窩との関係で、一昨年位から探していた。なかなか見つからなかった。年末に一誠堂で古本を見つけたので買った。東洋文庫の古書は高くなるものがあるが、これは安くなっていた。
原本が希書であることは、本書の解説にも詳しいが、植民地時代に反日本的な書物ということで、日本の官憲の手によって焼かれたためという。疑問がないわけでもない。というのは、日本の官憲ならやりかねないというのと同時に、果たして当時の日本の下役や下級の軍人に『看羊録』を見つけ出して焼くほどの能力があっただろうか。日本ではそんなに有名ではない本だから、よほど強く命令しなければ一兵卒には見つけられない。そんなに強い命令があったのなら、記録に残っているだろう。調べて見なければなんともいえない。小汀文庫に原本が残っているらしいので、見たいと思っている。
惺窩がらみで探していた事柄は見つからずに終わったが、文禄・慶長の役で朝鮮人が蒙った悲惨はひしひしと伝わってきた。目の前で子供を殺され、何度も殺害されそうになり、また、何度も故国にむけて脱走を企てる。そうした中でも、日本の文人は詩を欲しがり揮毫を求める。姜沆は精神的にタフである。あきらめる事はしない。
倭賊と日本人を呼ぶが、最初の接触からして、日本軍の殺戮だった。日本刀の冴えた光はさぞや朝鮮の人士におぞましいものと映っただろう。日本軍の船に囚われた姜沆の幼い息子の竜と愛生は波打ち際に棄てられる。満潮につれて浮き上がって、その泣き声が聞こえたが、とうとう絶えてしまった。竜という息子は、生まれるときに、子供の竜が水中に浮いている夢を見たので竜と名づけたのだそうだ。
『老松堂日本行録』では、国の使節として日本に来た人物の紀行だから、違いがあるのは当然だが、どちらにも共通するのは、当時の日本人の野蛮さに対する恐怖感である。姜沆は『看羊録』としてまとまる文集中で、記すのは、脅威である日本に対して、朝鮮がいかに体制を整えて防備を固め対抗しなければならないかであり、生きて還ったのはそれを説くためと読み取れる。
同じことは、西洋に接した日本にも起きた。大仏次郎の『天皇の世紀』を僕はそんな風に読んだのだが、日本はその後、その恐怖を朝鮮・中国・東北アジアに転嫁したとも言える。
姜沆の記す中で面白いと思ったのは、徳川も国内の不満を転じるために、もう一度、つまり三度目の朝鮮出兵を考えたらしいことである。これはもう朝鮮戦争がつくづく嫌に成っていた大名たちに対する威しであったかも知れないが、姜沆には恐ろしい情報だったに違いない。
また、対馬の宗家の対応も面白い。国際政治の原点のような身の振り方だ。宗家文書でも読んでみたくなる。ちょっと量が多いかな。
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コメント
長崎純心大學准教授いしゐのぞむと申します。
看羊録 / 大村友之丞編 京城 朝鮮研究會, 1911
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN08385050
官憲が燒き拂ふやうならばこの刊本は有り得ません。
それに看羊録よりも餘程はげしく日本を痛罵
する「海游録」も殖民地時代に三度ほど刊行されてゐます。
投稿: いしゐのぞむ | 2009/06/14 14:39