手形の問題
朝野新聞 明治7年11月30日 投書欄
甲乙両人有り甲は乙に二百円の金を渡すべきなれども、即金二百円渡すは不都合なりとて百円を正金にて渡し、残り百円は証文にて渡し、年に若干の利足を添へんとの約定にて乙も承知したるが、乙は急に正金入用のこと有りて件の証文を売払はんとしけるに、固より百円に買取る者もなく、五十円乃至六十円になりたるに、甲は此事を聞き気の毒に思ひ、然らば他人の買ふよりは十円乃至二十円値を増し彼証文を引取り、差引勘定を全く済まし帳面を消さんと言へり。或は曰、甲の老婆心は如何にも親切なれ共、親切過ぎて証文面の金高は有名無実となり。押れたる印の直うちも下り。却って最初百円の値なき者を渡したる姿になり。其意は深切なれ共、甲の方にて若干の金を減じて差引勘定相済むなれば、狡黠の名を負はさるるとも詮かたなしと。或は曰、それは毛を吹き疵を求むる論なり、現在乙の手前に於て十円乃至二十円の利益有らしむれば、其老婆心は至れり尽せり。甲乙両利と謂ふべしと。世間今是に類する事少なからず。戯れに書して投ず。瓢鯰子
面白い問題だと思う。手形制度がまだ熟していないとも見えるが、実際には江戸時代にもこんなことは会ったに違いない。金融は素人だが、甲と乙の間に残り百円について一ニ割の債務免除やモラトリアムが発生すれば、問題は無いだろう。それを第三者に割引して売るということ自体が貸借関係の元になる広義の経済的信頼関係を損なっているのではないだろうか。この手形の背後にある貸借関係が個別的な信頼関係に基づいているならそうなるだろう。また、相互に信頼関係が存在しないのであれば、甲が十円二十円の割増を申し出ることも不要だろう。
あるいは、この話には裏があるかもしれない。乙が支払の約束期日前に取り立てるため、甲に対して、第三者への債権譲渡を言い立てて脅すということも考えられる。誰だかわからない相手に債権を売られるのは困るはずだ。また、その逆に、甲は乙が安く売るとみたら、第三者を立ててその債権を買取らせ、手数料分を上乗せして手形を回収するという手立てもある。それをしない甲は善意の人になる。
いずれにせよ、債権が転売されれば、それは流通するので、再三とりあげている『世間胸算用』巻一の一「問屋の寛濶女」の結末と同じだ。あの話では、手形を握った商人たちは、その手形を次々に先送りし、実体の無い金を握って決算である大晦日を越し正月を迎える。小さなバブルなのだろう。最後に手形を握った者が、不渡りを食ったとき、順繰りに請求が戻るのだろう。その都度割引がかかっているだろうから、すごく面倒なことになるだろう。なんだかサブプライムローンの話みたいになってしまう。
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コメント
お金もうけのトラック・バックがついていますが、こちらは関係ありません。でもこういうのも今の状況を表すものだろうと思いますので、削除はしないでおきます。
投稿: ほんにん | 2008/01/23 10:24