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2008/07/15

『ユダヤ人のブナの木』(ドロステ・ヒュルスホフ 番匠谷英一訳 岩波文庫)

 最初に買った岩波文庫はイソップかこれだ。中学生のときで、当時、岩波文庫の値段は星の数で表示してあった。この本は星一つ。当時は20円だったんじゃないだろうか。奥付は初版が昭和28年8月25日で、僕のは昭和32年1月25日第四刷だ。なぜこの本を買ったのだろうか。今となっては覚えていない。星一つだったというのが大きな理由だったに違いない。今までこれを読まずにいたというのも一つの謎だ。五十年書架に寝ていたことになる。確かに買ったけど読んでない本は他にも山のようにあるが、最初に買ったかもしれない岩波文庫を読まないまま放置したというのも我ながら腑に落ちない。
 ではなぜ今よんだか。それは『ミヒャエル・コールハースの運命』と比較される作品だからだ。クライストは1781年生まれで、ヒュルスホフは1797年だから、ほぼ同時代の作家である。題材となった事件でいうと、コールハース事件は十六世紀で、『ユダヤ人のブナの木』は十八世紀だから、背景は百年以上違う。両方の作品に共通するのは、中世ドイツの庶民生活と犯罪だ。そこでは領主との関係が対照的に描かれる。コールハースは領主権力との対峙が作品の中心だ。それにルターが絡むところなど、歴史的背景に広がりがある。ヒュルスホフでは領主は鰥寡孤独を良く養う慈愛に満ちた存在だ。描かれる犯罪は、ご用林の密伐と金貸しのユダヤ人殺しである。密伐者は青シャツ隊と呼ばれる揃いの青シャツを着た一群で、これは史実に基づいている。偏見を持ってユダヤ人が描かれているわけではないが、異質な集団ではある。コールハースとの比較を試みるよりも、グリムなどに影響をうけたと思われる森やその中で生きる人々の描写に魅力がある。意外な結末を迎えるサスペンスとしても充分に読める作品だ。新しい訳かリライトが出てもよさそうな作品である。

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2008/07/12

『さかしま』(J・K・ユイスマン 訳・澁澤龍彦 河出文庫 978-4-309-46221-9)を読んで。

 貴族の末裔デ・ゼッサントがルウルの城館を売り払ってフォントネエに数寄を凝らした屋敷をこしらえ、そこで暮らすが結局は体調を壊してパリに戻るまでの話で、筋らしい筋はない。訳者の澁澤龍彦は「ユイスマンを自然主義作家グループのなかに分類して事足れりとする大雑把な文学史上の定説には、わたし自身は一顧も与えないであろう。そもそも文学史上の通説をはみ出るような部分にしか、わたしの興味はついぞ向いたことがない次第なのである。」と言う。ユイスマンの人物はゾラの描くような陋巷の人物ではないが、ゼッサントは貴族の末裔として、「かくありなん」と思えるほど自然に描けている。もっともユイスマンの自然主義論は『彼方』(創元推理文庫)の冒頭に、二人の登場人物によって展開されている。それは決して反自然主義というものではないように見える。
 フォントネェはノルマンディ地方に実在するが、そこなのだろうか。わからない。土地の現実性はこの小説にとってたいした問題ではない。そこに建てた奇妙な家が中心になる。もちろん、デ・ゼッサントの退嬰した内面をあらわした家なのだ。
 デ・ゼッサントはゴヤを好いている。だが、ゴヤの作品が人々の賞賛を得ているのが気に入らない。だから、ゴヤを目に付くところにはかけない。「さっそく誰か阿呆な人間がやってきて、その前に立ちどまり、さんざっぱら御託を並べたり、利いた風な様子で感心して見せたりするぐらいのことはしかねまい。」(p142)と考えているからだ。この考えは、他のものにもあてはまる。
「芸術作品が、贋物の芸術家に無視されるということもなくなり、馬鹿者に否認されるということもなくなり、一部の者に熱狂的賞賛を買うことのみで満足しなくなったならばどうであろう。そうなったら、真に鑑賞力をそなえた者にとっては、その芸術作品はついに汚れた、平凡な、ほとんど嫌悪の念を起こさせるようなものと化してしまうにちがいなかろうではないか。
 こうした芸術作品鑑賞の通俗化こそ、しかし、彼の人生最大の悲しみの一つであった。作品の不可解な成功のために、かつては彼にとって貴重であった絵画や書物が、永遠に損なわれてしまう場合も多かった。大向こうの一致した賛同を前にすると、彼はついにはその作品に、目に見えない価値の低減を発見し、いったい自分の鑑定眼は鈍ってしまったのだろうか、なにか勘違いをしたのではなかろうか、と思いつつ、そうした作品を斥けてしまうのを常とした。」(p143)
 複製された作品からオーラがなくなるように、大衆化した作品はダメなのだ。だからデッサントは印刷という、作品を普及するためと一般には信じられる技術を一冊しか作らない本のために使う。
「かつてパリに住んでいた頃、彼は自分ひとりのために、特別に雇入れた職人が手で動かす印刷機で刷り上げた書物を、何冊か作らせたものであった。あるときはリヨンのペラン印刷所に援助を求めたが、ここの工場のほっそりした綺麗な活字は、古い書物の擬古趣味的な翻刻に適していた。あるときはイギリスやアメリカから、今世紀の著述の製作のために、新しい活字を取りよせたこともあった。」p196
 紙に対しても装丁についても、彼は同じように凝る。しかし、活字についてのこだわりは、ずっと特殊なものだ。大抵の読者にとって、活字はえらべるものではないからだ。彼は大抵の読者であることを拒否するのだ。大抵の人であることも拒否している。つまり貴族の末裔なのだ。
 弘前に津軽の殿様が彫らせた板木が残っている。『独楽徒然草』という書物だが、不思議なことに伝本が少ない。板木は作らせたが、摺っていないのかも知れないと、板木を見た人は疑っている。ここにもデッサントのような本つくりがあったのかなと思う。
 デッサントの流行感は人情本の「いき」な人たちに通じるところもある。『春告鳥』の一節に、流行語「じんすけ」が「いき」な言い方だと、そこいらの小僧まで使うようになってしまい、「いき」な人たちは、もとの言い方、「やきもち」にもどってしまったとわざわざ作者が注記している(小学館日本古典文学全集『洒落本・滑稽本・人情本』p509)。こちらもみんなと一緒じゃいやなのだ。
 しかし、人情本の「いき」はみんなが追っかけてくることが前提になる。見向きもされれない単独走を求めているのではない。みんながやって来るちょっと先に居る快感が「いき」であることの代償らしい。デッサントの方はすなおにそんな優越感に浸ってはいない。みんなから離れ、絶縁したいとさえ願うのだが、それはそううまくは行かないのである。
 フランスの自然主義の影響下に帰朝した永井荷風が、人情本を好んだことは良く知られている。ゾラからの影響を受けた荷風だが、ユイスマンとの距離も考えた方がよさそうだ。

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2008/07/03

“The Valleys fo the Assassins and Othe Persian Travels” Freya Starkを読みました。

  Mordan Library N.Y 2001
 1930年代の初めにスタークはイランを旅した。暗殺者の谷と呼ばれるイラクとの国境に近い高地地方と、カスピ海の南の山岳地帯から低湿地の紀行がここに収められている。いずれも考古学的調査と地図作成を目的としている。まず驚くのが、古い墓がしょっちゅう出て来ることだ。そうした所を狙って旅をしているのだから当然ではあるが、あらゆるところに墓がある。墓は凋落した文化の象徴として描かれている。スタークによれば、現地の人々はイスラム以前のゾロアスター教徒を巨人の一族と考えていて、その墓に対して信仰心は抱いていない。そこに今住んでいる人々は古代から切り離された存在になっているのだ。現在の住民がそのいわれを失っている状態は、文化の断絶を意味するだろう。その地に古代を求めて旅をするという姿勢は、能楽の諸国一見の僧のようなものだ。
 暗殺教団の谷のある、ラキスタンのルー人には女性の戦士が多かった。この谷の人々は反政府闘争を長く戦ってきた。その過程で女性たちも名を残した。スタークがその何人かについて書いているのは、イザベラ・バードが維新戦争直後の東北を旅して、ほとんど戦に触れていないのとは対照的だ。
彼女の現地人案内人の描写は辛辣だが滑稽だ。なにがしかのシンパシーを持っているようだ。イザベラ・バードのイトウの描写に通じているが、これは定型なのかも知れない。この時期の他の紀行も調べてみる必要がある。
スタークは地域の自然を賞賛する。そこに暮らす人々に好意を持つ。しかし、進んだ西洋文化に対して、遅れたこの地域という意識が基盤になっている。彼女の持つキニーネのような近代的な薬に土地の人々は群がる。彼女はたいした医学知識を持っているとも思えないが、その彼女を頼みにする現地医療のレベルの低さは、西欧の優越を読者に見せ付ける。彼女のバックボーンとしての西洋文化は、眼前の地域の人々に福音を与えるべき存在として強調されるのだ。
『情熱のモナド』というスタークの評伝が結構読まれていたようだ。どうせなら、こちらの翻訳も新しいのを出してくれれば良いのにと思う。今はなき現代教養文庫や筑摩のノンフィクション全集には入っていたのに、今は新刊では入手できない。今一番問題の地域なのに新訳がなぜ出ないのか不思議だ。

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