『ユダヤ人のブナの木』(ドロステ・ヒュルスホフ 番匠谷英一訳 岩波文庫)
最初に買った岩波文庫はイソップかこれだ。中学生のときで、当時、岩波文庫の値段は星の数で表示してあった。この本は星一つ。当時は20円だったんじゃないだろうか。奥付は初版が昭和28年8月25日で、僕のは昭和32年1月25日第四刷だ。なぜこの本を買ったのだろうか。今となっては覚えていない。星一つだったというのが大きな理由だったに違いない。今までこれを読まずにいたというのも一つの謎だ。五十年書架に寝ていたことになる。確かに買ったけど読んでない本は他にも山のようにあるが、最初に買ったかもしれない岩波文庫を読まないまま放置したというのも我ながら腑に落ちない。
ではなぜ今よんだか。それは『ミヒャエル・コールハースの運命』と比較される作品だからだ。クライストは1781年生まれで、ヒュルスホフは1797年だから、ほぼ同時代の作家である。題材となった事件でいうと、コールハース事件は十六世紀で、『ユダヤ人のブナの木』は十八世紀だから、背景は百年以上違う。両方の作品に共通するのは、中世ドイツの庶民生活と犯罪だ。そこでは領主との関係が対照的に描かれる。コールハースは領主権力との対峙が作品の中心だ。それにルターが絡むところなど、歴史的背景に広がりがある。ヒュルスホフでは領主は鰥寡孤独を良く養う慈愛に満ちた存在だ。描かれる犯罪は、ご用林の密伐と金貸しのユダヤ人殺しである。密伐者は青シャツ隊と呼ばれる揃いの青シャツを着た一群で、これは史実に基づいている。偏見を持ってユダヤ人が描かれているわけではないが、異質な集団ではある。コールハースとの比較を試みるよりも、グリムなどに影響をうけたと思われる森やその中で生きる人々の描写に魅力がある。意外な結末を迎えるサスペンスとしても充分に読める作品だ。新しい訳かリライトが出てもよさそうな作品である。
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