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2008/10/24

三冊の天皇


 このところ昭和史にはまっている。この夏には岩波から2冊、戦中・戦後の昭和天皇についての文庫が出た。朝日からは小森陽一の『天皇の玉音放送』が、玉音放送のおまけつきで出た。この三冊を並べてみると面白い。高橋紘の『昭和天皇1945-1948』(岩波現代文庫 978-4-00-603169)はこれまで好まれてきた平和愛好者としての天皇像に一番近い。それでも、マッカーサー司令部が天皇訴追を避けたのは、天皇の人格にうたれたマッカーサーが、その守護者になったという俗流解釈は採られていない。児島襄の『東京裁判』(中公文庫)などはその解釈から抜けきれない天皇観をとっていたが、もはやこの見方では、昭和史で果たした天皇制の意味を語ることが出来なくなっているのだろう。そうした見方の対極にあるのが小森の『天皇の玉音放送』(朝日文庫 978-4-02-261586-2)だ。天皇は天皇自身と神器に代表される天皇の立場を守ることしか考えなかった存在にされている。昭和天皇が利己的な行動をとったとする見方だ。ただ、この小森の著作は、先の大戦を中心にすえた天皇に関する言説として、資料的に最も明確である。豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫978-4-00-600193-3)はマッカーサーおよび進駐アメリカ軍との天皇外交の実態が新資料の蓄積によって、人格者天皇観にとどまらない交渉の過程を見ている。
 マッカーサーの回顧録を中心とする、昭和天皇が、戦争の全責任は自分にあったと発言したという伝説は、小森に言わせると「「全責任発言」はあったはずだ、といった推測や憶測を語る者らのことを考えれば、きわめて明確な結論を得ることができるだろう。それは、彼らや彼女らは、事実についていの推測や憶測を語っているのではなく、自らの欲望を語っている、という明確な事実だ。」(p225)と、天皇制を支えていかねばならなかった戦後日本人の希求として現れたことになる。
 こうした天皇の姿は立憲君主の姿なのだろう。人民にはその好む姿で理解され、慕われる。一方で、自己の必要性を認めるなら、どのような犠牲を払ってでも自分を支える体制を守るという姿勢である。開戦の決定は軍に自分の意志に反して、代表される国の総意に随い、終戦は自らが決定したとする矛盾も立憲君主としての論理からは整合するのではないだろうか。つまり、君主は統治できる、あるいはほしいままにふるまえる立場を、憲法による制約を受ける立場である。だから、憲法による議会が機能している間は、君主はその枠の中にいるが、憲政が衰えると権限を復活するのだ。それで終戦は可能になったし、この立場を利用することでアメリカは、コスト・パフォーマンスの高い形で冷戦に備えることができた。
 日本の天皇に比して気の毒だったのは満州国皇帝ではなかったろうか。溥儀が東京裁判でどのような証言をしたかは児島襄の『東京裁判』に描かれているが、彼は全てを日本軍部の差し金としなければならなかった。君主が非力である点は立憲体制と傀儡とに径庭はない。
 君主であれば節操は要らない。それよりは君主であることを守らないと、君主によって代表される集団が崩壊する。この考え方を引きずったまま近代社会に存続し続けることは困難でもあるが、その枠組みを外すことへの不安も未だに存在し続けているようだ。

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