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2008/12/30

読みました。『彼方』(J-K・ユイスマン 田辺貞之助 創元推理文庫 1975.3.28初版 2005.5.20 13版 4-488-52401-X)

 主人公の作家デュルタルは、ジャンヌダルクを支持して戦い、後に悪魔的所業で魔術の世界に入り込み、青髭の異名をとったジル・ド・レーの伝記をまとめている。その伝記と執筆の過程に起こる出来事がこの作品になっている。
友人で医師のデ・ゼルミーとはしょっちゅう鐘撞のカレーの部屋に出かけ、料理や酒を持ち寄って小さな宴会を開くのだが、カレーは鐘について中世的知識の宝庫であり、鐘撞という職種が近代化していくことに反抗している。カレーの小宴会の参加者である占星術師の存在といい、近代的な現実からは背を向けた仲間達だ。
 同業者の妻で彼に言い寄るシャントヌーヴ夫人イヤサントを通じて修道士ドヌーヴの黒ミサに出かけるなどロマン主義的ともいえるだろう。しかし、夫人との情事を熱望しながら、「満ちたりあとの気持ちから考えれば事前の欲望が希薄だった」とすぐ醒めたり、「愛情を受ける前にはやくも倦怠を覚え、受けたあとではかえって嫌悪を感じる有様」というデサントの心理は「芸術をのぞいては、あらゆることが、程度の差こそあれ、すべて無味乾燥な娯楽であり、空虚な慰安にしかすぎない」(p251)と、欲望の充足からもずれている。これがユイスマンをカトリックに回帰させる要因かも知れない。

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2008/12/18

『桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった』(藤本正行 洋泉社 2008.12.22 9784862483430)を読みました。


著者がずっと気にしていたことは、桶狭間の奇襲作戦、驕れる多数を少数精鋭が情報と果断な判断によって撃破したという、国民的思い込みだった。この思い込みが旧日本軍の思想に繋がり、ガダルカナルを始めとする悲惨の戦史につながった。今なお、時には経営者の精神的手本とされる意識である。下手をすれば日本を二度誤らせる可能性だってあるわけだ。
 こうしてみると、信長神話を生んだ小瀬甫庵の『太閤記』『信長記』は罪深いが、それに乗っかって信長像を描き続けた時代小説家たちにも罪はある。小説と事実を混同する読み手の意識に問題がある。ボムズボームの『創られた伝統』では人々が、当たり前のこと、自明のこととして、嘘の伝統を信じ、歴史の詐術に引っかかっていることが説かれている。アイデンティテイに関わる“伝統”がつい最近のデッチアゲだと分かった時には、アイデンティティの崩壊が起きるだろう。その精神的苦痛から逃げるためには、伝統がデッチアゲことを最後まで拒否し続けるのが一番簡単な方法だ。特に国家や民族に関わる問題に関しては、自分が崩壊するだけでなく、他人をも巻き込む。時には命がけの人も現れる。自分の命だけではなく、他人の命をかけてしまう場合もある。こなると、後にそれが“創られた”ものだつたと分かっても、容易にそれを受け入れることは出来ないだろう。
 こうした思い込みは創る側だけでは出来あがらない。思い込んでしまい広めてしまう存在が実は恐ろしいのかも知れない。

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