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2009/01/23

”Confessions Of A Thug” (Philip Meadows Taylor Rupa.Co New Delhi 2001 ISBN 81-7167-583-2)を読んだら日本神話が気になった。

この小説は1834年に初版が刊行され、Rupaの版は1873年版に基づいている。書名の”Thug”表記だとサグと発音したくなるのだが、ネットサイト“Free republic”の2003年7月25日に掲載された”How the British broke the Thugs of India and how to apply those methods against terrorist.”(Destro)に付された39番目の意見によれば”Pronounced Toogs in India…”とあり、山際素男の『カーリー女神の戦士』(集英社文庫 4-08-748157-3 1994.4.25 但し1989年三一書房から出たものの改変版)で「タグ」と音訳しているのが良さそうだ。”Free republic”の記事では題名にあるごとく、また投稿日から分かるように、現在のテロリズムに対する問題意識からタグを取り上げている。ここではTaylorの小説ではなく、小説のもとになったイギリスの執政官 Sir William Henry Sleemanの不屈不撓のタグとの戦いをテロとの戦いの先蹤と見るべきとしている。Sleemanの著作は山際の著作にも紹介があるが、当時は入手不能であったようだ。現在はペパーバックで復刊されている。TaylorはSleemanのタグ撲滅運動期間にインドの一地区で警察長官を務めていたことが、小西真弓の「Philip M.TaylorのConfessions of a Thugについて」(豊橋高専紀要 1996,No.13)にある。ヴィクトリア朝の小説として、また英文学の作品としての意味などは小西の論文が簡潔に知識を与えてくれる。
 タグというのはタミル語で詐欺師の意味だが、ヒンドスタン語では”Phansi”と呼ばれ、こちらは結び目の意味だと言う。タグは上手に旅人に取り入って縊り殺して金品を奪い取る兇暴な護摩の灰である。騙すも絞めるもタグの実態を反映した言葉なのだ。タグの起源についての神話がある。Taylorの書物から意訳すると、次のようになる。
 世界は創造と破壊の二つの力が超存在から流れ出て対立し、その均衡が必要になっている。創造する力は人々を大地にはびこらせそれに破壊する力は追いつかなかった。そこで最高神は配偶者である女神カリーに間引くことを許し、カリーは助手を作った。それがタグであり、カリーは殺害の技術と人々を釣り込む方法をタグに教えこの世に送り込んだ。タグが殺した死体は彼女がこの地から持ち去るので、何もしなくて良い、ただし、カリーが処分しているところを見てはいけないとと申し付けた。年月が経つうち、タグは堕落し、女神の禁止にもかかわらず、どのように死体が無くなるのか見極めようという気持ちになった。そこで藪に隠れて見ていところをカリーに気づかれた。カリーは彼らに、これ以後は自分たちで死体の処理をしろと言い、それが常にうまく行くとは限らず、そこから足がつくとしても、それがお前等への罰であると言った。タグの頭のよさとずるがしこさ、また女神の託宣による導きは残され、タグの掟は世の終りまで彼らを縛ることになった。(p34)
 この殺害の技術というのは、布で首を絞めることで、タグの別名の由来でもある。その布はルーマルと言いカリーからタグの祖先に授けられたと言う。
 『古事記』の伊邪那美伊邪那岐神話との類似は、誕生と死の数の不均衡、女神を顧みることの禁止と侵犯の二点から始まる。死んだ妻を求めて冥界に至り、禁忌を犯して失敗する型はオルフェウス型神話として、『ギリシャ神話と日本神話』(みすず書房 1974.3.22)で吉田敦彦が類似を指摘していた。世界的な広がりを持つ神話型である。タグの神話では妻の死体ではないが、最高神の配偶者が死体に関して禁忌を課し、それを侵犯する者が居るという点で類似する。誕生と死の数は黄泉比良坂における伊奘諾尊と伊奘冉尊の誓約合戦であり、日本神話では生者の繁栄を肯定的に伝える場面だ。この二点とは別に、タグの殺害技術である縊殺にも問題がある。先の『古事記』の誕生と死の記述では、伊邪那美が「汝国之人草一日絞殺千頭」と言うと伊邪那岐は「吾一日立千五百産屋」と答える。『日本書紀』でも同じく「絞殺」なのだ。本居宣長は『古事記伝』の中で「さて今ただ殺すとあらで、絞リ殺スとあるは、いと上ツ世に人を殺スには、もはら絞リしにやあらむ、又殺スにさまざまある、何も身に傷を、ただ絞ルのみ傷ず、故神の殺したまふも、其跡あらはに見えねば、かくいふにや。」と論じる。ただ「殺す」としなかったことに疑問を持ち、上代には殺人は絞殺が主だったと言う、そして、神が殺す場合は傷や跡がないのだから、絞殺と言ったのだろうと結論づけた。これらを偶然としてしまうのでは何か大切な問題を置き忘れてしまうような気がする。
 山際素男の『カーリー女神の戦士』はTaylorの内容を借りたもののように見える。確かなことが言えないのはSleemanの著作を確認していないからで、あるいはTaylorも山際もSleemanの記述を利用しているのかもしれない。この山際の著作では、主人公の名はファランギーで、この名はTaylorの主人公Ameer Aliとは違うが、その行動・経験は殆ど同じだ。主人公の名を変えてストーリーはTaylorからもらったとも見える。そのファランギーはTaylorの著作に、アミ・アリーがイギリスに協力する直前に聞いた新しいタグの指導者の一人として出ている(p528)。アリーが最後に彼に会ったのは彼がまだ子どものころだったそうだ。このように見ると、山際の著作はTaylorに依拠しているように見えるが、インドに関する知識がTaylorの著作より豊富に補われている点、日本の読者には親切だ。タグの起源神話も山際の著作がずっと詳しく、Taylorにはなかったインド神話の知識が補われている。その分、日本神話との類似を見るには、構造が不鮮明になり類似が見えにくくなっているのだ。
 こうした民族学的興味を別にしても、Taylorの著作は面白い。なぜ日本語訳が無いのか不思議でならない。19世紀以前のインドでは、タグやその他のインド盗賊団、たとえばピンダリーは、Taylorの著作にも登場するが、悪逆非道の限りを尽していた。こうしたインドの盗賊団は”The LIVES AND EXPLOITS OF BANDITTI AND ROBBERS IN ALL PARTS OF THE WORLD”(C.MAC FARLANE,ESQ., PUBLISHED BY THOMAS TEGG AND SON,1837 カルフォルニア大学デジタルアーカイヴ)に西洋人から見た全体像が描かれている。
”Free republic”の記事がタグの廃絶をテロの根絶と同一視していた。現地の人々が、大きな被害を蒙っていながら、犯罪集団を排除する力がない時には、強力な存在が犯罪集団を排除することが正義だという認識が今も生きているのである。これはタグやピンダリーその他のインド犯罪集団にイギリスがとった態度であった。世界中の無法と無秩序に立ち向かい人々の安寧に寄与するのは我々、イギリス・アメリカ・先進国と入れ換え可能だが、ともかく、それらの義務だという考え方である。17世紀からインドに関わってきたイギリスはインドの多くの国に対して内政に踏込まない立場を取っていたのだが、インドの小国が処理しきれない大規模犯罪集団に対して介入すると同時に、インド全域の支配に踏み出していくのであるが、Sleemanはこの境界に居た人物になる。その実体験を元にしたTaylorの小説はイギリス人のインド観を支配し、インドにおけるイギリスの行為を支持する世論を形成した。それだけの説得力がある小説である。
植民地問題に疎い日本の近代・現代は『マックス・ハーフェラール』やこの作品に関心を持ちにくいのだろうか。面白い作品であるだけに残念だ。

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2009/01/17

『岡田啓介回顧録』(岡田啓介 岡田貞寛編 中公文庫 昭和62.3.25印刷 62.4.10発行。ISBN4-12-201414-X)読みました。

 二・二・六事件の総理大臣、岡田啓介が毎日新聞の求めに応じて語った自伝とロンドン軍縮会議期間の日記から本書は成っている。古波蔵保好の解説によれば昭和二十五年ごろに行われた取材だから、主要な事件からそんなに時間を隔てては居ない。逆にその分だけ公表を控えた部分があったかも知れない。
 たとえ不十分なものであっても、二・二・六に関しては直接当事者であるし、終戦間近の東条おろしでは立役者であったのだから、聞くべきところは十分にある。小さな出来事でも臨場感のあるエピソードがたくさんある。首相官邸襲撃では、反乱軍は、岡田首相と間違ちがえて義弟の松尾伝蔵を殺してしまう。首相はその間に女中部屋にかくまわれた。官邸が占拠されたまま、首相秘書官などが反乱軍の許可を得て官邸に来て、首相の遺体を確認するが、別人であることが分かる。秘書官だった迫水久常は女中の一人、おさくさんに「怪我は無かったかね?」と問いかけるのだが、彼女は「はい、お怪我はございませんでした」と答えるのである。これで迫水は、首相は女中部屋にかくまわれているとピンと来たのである。今だったら、自分に「お怪我...」は平気で言うし、それを聞いても「また間違ってらぁ」位の感想しか起こらないだろうから、首相は下手をすると助からない。
 岡田は日中戦争は早期終結を日米戦は回避を望んでいたが、自ら軍人であっても軍部の独走は止められなかった。満州某重大事件、つまり張作霖爆死事件を記した日記には、「各新聞社には、金と威圧にて各社震え上がりおり、朝日の如きは読者三十万減じたりと言う、朝日少しく陸軍に都合悪しきことを書くや、在郷軍人に檄し不買せしめたりと、そのため朝日は三十万を称するも少なくも十万は減ずるならん」という人づての情報が記されている。新聞同様、彼も世論の流れに抵抗することが出来なかったわけで、朝日にかかる圧力が他人事ではなかったのだろう。

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2009/01/14

読みました『泡沫の三十五年 日米交渉秘史』 (来栖三郎 中公文庫 4-12-201350-X 昭和61.7.25印刷 昭和61.8.10発行)

 伊藤隆の巻末解説に、昭和二十年八月二十七日付けで、吉田茂から来栖三郎に宛てた書簡が紹介されている。「If the Devil has a son, surely he is Tojo.」と吉田はわざわざ英文で来栖に書き送った。吉田と来栖に共通する東条観なのだろう。しかし、この書物の中では東条の理不尽さはあまり描かれていない。うわべだけかもしれないが、日中戦争を収めようとしたり、日米開戦を避けようとする姿勢さえ見せている。
 結局開戦を避けることが出来なかった特命大使であったから、来栖には敗軍の将に通じる肩身の狭さがある。「泡沫」という書名が物語るのは外交のむなしさだろう。日米戦を避けるため粉身努力をしていても、ひとたび開戦となれば全てが水泡に帰すのであり、まして敗戦となれば、水泡さえものこらない。
 最終章にあたる「新しいに日本の建設」に面白い記述がある。日清戦争のときに「絵双紙屋があって、その店頭には、その当時の問題になった事件や人物の一枚絵や、二枚続き三枚続きの錦絵が吊り下げて売られていたのである。」(P233-234)である。珍しい風俗ではないが、明治初期の絵双紙屋の実態を写している。それにつづけて、某大尉が中国人の赤子を抱きながら戦っている図柄が紹介され、「すなわち当時のわれわれの英雄観によると、一方には敵国人の嬰子を保護しながら、一方には孤剣衆敵と闘うような青年士官が勇者としてたたえられたのである。」と語る。つづけて、日露戦争における捕虜の取り扱いが紳士的であったことから、来栖がシカゴ領事であったとき、ロシア人の元捕虜が、第一次世界大戦に日本兵として従軍したいと申し出てきたことなどが記されている。
 来栖はこうした日本軍の伝統的な紳士性が二次大戦で破られてしまったことを嘆く。東条英機が大東亜戦争のあり方を従来の紳士的戦争は異なるものと宣言していたことは清沢洌の日記にも触れられていた。また、「おかわいそうに」事件も従来の戦争意識が変化していることを示す史実だ。総力戦、最終戦争などという言葉に含まれる絶対性はこれまでの戦争と峻別した意識を作り出したのだろう。来栖の考えは、その思い上がりに似た意識を批判している。それが最後には「しかし民主主義が多数政治であることを極度に押し進めて行くと、単にある一定時に生まれ合せ住み合せた個人らの多数決のみによって、本来永続的存在であり、子々孫々に伝うべき存在である国家社会の運命を、一挙にして未来永劫に破壊してしまうような危険もありうるから、祖先、自分、子孫と、この世の中を縦にかつ永続的に考えさせる「家」というものを、個人とともに社会の一つの単位として考えて行くことも、民主政治を建設して行く上において、われら東洋人が特に考慮すべき点ではなかろうか。」(P252)という言葉になったのだろう。圧倒的多数の国民が戦争を支持していた時に、それを阻止しようとして失敗した外交官が持った共同体に対する不安がこれだろう。レジス・ドプレのメディオロジー概念にも似たものを感じてしまうのだが、どうだろう。

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