普段なら読まない本
これまだ読んでないでしょう。と言って自然科学系の先輩が持ってきてくれた本が『イワシはどこへ消えたのか』(中公新書978-4-12-101991-2 本田良一 2009.3.25初版)だった。三月四日の夜から入院していたから、読んではいない。入院中の読書は案外難しい。本屋にいけないから自分で選べない。僕の場合、右手が使えず左手も管が通っている状態だったので、ちょっと重い本はだめだ。読みかけだった文庫本は読んでしまったし、ちょうど良いときにもらったのだが、多分、普段だったら読まないテーマだ。
まず、この本から漁業が漁師の自由な漁労活動ではなく、社会主義国に匹敵するような規制によってがんじがらめにされていることを知った。というより、漁業の実態なんて、これまで考えても見なかったので目からうろこだった。これでは後継者など育つわけはない。量的規制や割り当て高にしても、根拠が十分ではなかった。そこに地球規模の気候変動に結びつく現象が繁栄する魚種の交代を引き起こしていることが分かってきた。レジーム・シフトと言われる現象である。本書の目玉の一つはこれだ。これに対応した漁業政策がすぐにも取られるべきなのだが、役所や組合の対応は緩慢だ。
こんな本を読んでいるところに、今度は見舞いに来た卒業生が『奇跡のリンゴ』(幻冬舎 石川拓治編 978-4-344-05144-9 2007.4.25初版 2009.4.25 15刷)と『リンゴが教えてくれたこと』(木村秋則 日経プレミアシリーズ 978-4-532-26046-0 2009.5.8初版)を置いていってくれた。この卒業生は、青森でリンゴを詰める段ボールを作っている会社の女社長さんで、書名に反応して読んだら、涙が出るほど感動したと、事故にあう少し前に僕に勧めていた。倒れたと聞いて早速この本を持って駆けつけて来てくれた。やはりいつもは読まない本だ。ただし、厚さも適当で、病床に適していた。
リンゴは農薬が無ければ育たないという通説を覆した苦労話が2冊の本の中心だ。確かに泣ける話になっている。イワシの話でもレジーム・シフト学説は、一度は世界的に否定された。リンゴの方は個人の挑戦だから、個人の生活が犠牲になって、木村家は悲惨な生活を強いられる。その上での発見だから、読者は泣けるのである。木村さんを支えた力の一つはDITY精神だ。バイク乗りが昂じて機械いじりに長じたのが、自分で何かをやる精神を育てたのに違いない。何かを創れる能力は現代社会における一種の武装だと思う。
リンゴとイワシを無理に結びつけるつもりは無いのだが、そもそも漁獲量の決定はこれまで信じられてきた科学的方法によっていたはずだ。たとえそこに政治的要因がからんだとしても、根底にあったのは近代科学の成果だろう。リンゴの場合はもっとはっきり科学的根拠によって農薬を用いた栽培方法になっていた。リンゴとイワシの改革はこれまでの科学主義を崩すことによって問題解決に近づこうとしている。
この姿勢は相対主義と根を一つにしているようにも見えるのだが、しかし、どちらも科学全体を相対化しているのではなく、生態系についての理解不足に起因しているのであり、科学の進歩の範囲内だと見ることも出来る。
ブラック・ボックス化した科学的常識を否定するには、一見、科学それ自体を相対化するような精神的な働きが必要になる。下手をすれば神がかりや精神主義に陥る危険性もある。イワシやリンゴといった身近な存在でさえ、こうした危険に直面しているわけだ。
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コメント
今はどうかわかりませんが、私が在学中、津軽の我が母校ではねぶたが上手に作れるということが、顔が良いとか賢いとかスポーツができるとかいう次元と同じく男子のモテる要素
でした。
「創作力がある」というのは個人の能力だけではなく、その土地の文化や自然環境の影響も大きい気がします。
投稿: しろと | 2009/06/24 19:59