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2010/02/16

“The Sword and the Flute Kali & Krsna Dark Vision of the Terrible and Sublime in Hindu Mythology”を読みました。

 “The Sword and the Flute Kali & Krsna Dark Vision of the Terrible and Sublime in Hindu Mythology” David R.Kinsley University of California Press. 1977 978-0-520-22476-6 を読んだ。
その1 クリシュナ
 ヒンズーの女神を解説した“HIDU GODDESSES”の姉妹編で、ヒンズーの神の中からクリシュナとカリーを取り上げた書物だ。この二神はヒンズー教の重要な神でありながら、ヒンズーの根本聖典であるヴェーダには登場しない。著者のキンスレイは、この二神は、ヒンズー教をインドに持ち込んだアーリア人種以前に居た、土着の人々が信仰していた神であったと推論する。この二神が色黒であり、後世の神話に記述される彼らの周縁的な性格、クリシュナは、常に牛飼い達と伴にあって森の中に住んでいるし、カーリーは墓場を住まいにしていることと、それぞれ信仰集団が最下層民であることなどが、その証左になる。
 僕がこの書物に求めたのは“HIDU GODDESSES”(978-0-520-06339-6 University of California Press)に求めたものと同じで、“Confessions Of A Thug””にあった伊奘諾尊伊奘冉尊の黄泉神話に類似したカーリーとタグの神話の原拠を探していたのだ。そのものずばりはなかったが、面白い記事には遭遇した。
 そのひとつは、クリシュナの色好みだ。色好みというと、折口信夫の説がある。高橋亨の『色ごのみの文学と王権-源氏物語の世界へ-』(新典社 4-7879-7512-9)はそれをまとめたものだ。日本の平安朝に特異な精神であり、古代王権の理念が残像とされる。神話とも結びついている。折口の説とは距離を置く中村真一郎も『色好みの構造』(岩波新書4-00-420319-8)で日本人の精神史という観点から、平安朝の基本的な意識と見ている。精神史としては、求道心と結びつけた亀井勝一郎の『王朝の求道と色好み』(文芸春秋新社 昭和37年 講談社オンデマンドブックスにあり)は亀井の「日本人の精神史研究」として編まれたものであり、やはり平安朝を代表する精神としている。中村の新書では、序章に古代ギリシャ、イスラム、キリスト教の多様な愛を紹介し、特に中世キリスト教神学者ペトロス・ロンバルドスが「自分の妻を熱愛することは姦淫である」とした言葉などを引き、現代の一夫一婦形態を相対化する視点を立ててはいるが、インドに関する言及は無かった。
 クリシュナの「色好み」には舞台がある。Vrndavanaという地域で、牛飼いとともにクリシュナは住んでいる。たぐいまれな美貌と色黒さだけでも女達をひきつけてやまない彼には、魔法の笛があり、その音色は神々まで魅了した。女達は笛の音に惹かれて夫も子供も放り出してクリシュナの元に奔る。食事の支度を途中で放り出したり、着るものさえもしどけないまま駆けつけるのである。ラーダがそうした女達の代表的な存在になる。夫のある彼女はクリシュナに夢中で、不倫関係にある。この関係を「ラーダの不倫の恋は敷衍できる。ラーダは恋の成就に多くの障害を乗り越えなければならないが、彼女の恋の障害は恋心を募らせる。なかなか逢えないのは彼女の熱情をさますどころか昂揚させる。夫婦の愛情には邪魔も妨害もないし、逢えないなどということもない。日常化して退屈なものになってしまうのだ。ラーダのクリシュナへの恋はリスクに満ち、安全でなく、別離の苦痛にさいなまれ、スリリングな綱渡りが続く。信仰の問題にたとえ見ると、ラーダの不倫の恋がどんな既婚者の愛よりも勝って見えるのだ。」(“HIDU GODDESSES” p89あたりの意訳)そしてベンガルのヴィシュヌ派ではラーダのクリシュナへの愛は、没我であり義務や社会的に課せられたものではなく、自発的で純粋なものと見る。それは信仰の鑑ともなるのだ。
 恋愛の精神的側面、一途さを他の精神的側面になぞらえるのは『葉隠』における「主君への恋」という忠義の説明にも通じるが、そこには不倫を持ち出してはいない。求道に結びつけるという点では亀井勝一郎が似ている。しかし、亀井は色好みの反作用として求道を考えていたのだから、同じというわけではない。また、中村が紹介した「自分の妻を熱愛することを姦淫」とする思考は、婉曲な一夫一婦の否定にあたる。これは楊貴妃説話から『源氏物語』に受け継がれ、「桐壺」に展開されているテーマだが、ヒンズー起源だとは思えない。直接関係付けることは困難だが、なんだか似ているという要素に満ちているようだ。
 クリシュナの神話で気になるもう一つの逸話は、八岐大蛇に良く似た多頭の毒蛇退治だろう。龍のような物を退治する話はどこの神話にもつき物で、これをもって日本神話との共通性などを論じることはできないが、素戔嗚にも「色好み」の性格はあるし、大国主に連なる点も考えてみると面白い。クリシュナのその話は、カリヤという毒蛇が相手で、蛇はVrndavanaの近くの川に住んでいて毒を流して家畜を殺していた。クリシュナは蛇の住む川で蛇と戦う。クリシュナに巻き付いた蛇の頭の上でクリシュナは踊るのである。踊りのリズミカルな足踏みで毒蛇は瀕死になり降伏する。
 踊りというのはインド神話にとって大きな要素だ。特にクリシュナに限ったわけではなく、カーリーについても踊りがしばしば登場する。(以下 その2カーリー へ)

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