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BOOK

  • 『ナヴァロンの要塞』アリステア・マクリーン 平井イサク ハヤカワ・ミステリ 昭和43年11月23日再版。
     古本屋で見かけて買ってしまった。映画との違いに驚いた。と同時に映画は独自の設定があり、どちらも楽しめる優れものだったことが再確認できた。映画ではアンソニー・パーキンスの扮するアンドレアとグレゴリー・ペックのマロリーの間にわだかまりがあって、それがちょっとした緊張を生んでいるのだが、原作にはそれは無い。またミラー伍長は映画ではデビット・ニーヴンがいかにもイギリス人らしく演じていたが、小説ではアメリカ人である。何よりも違いがあるのは、イレーネ・パパスともう一人の女優さんが演じた現地ゲリラが原作では男性で、アンドレアとの恋愛関係も当然ながらなくなっている。  ドイツ軍の描き方、特にアルプス山岳連隊の将校が登山家としてマロリーを尊敬しつつ尋問する設定などは作品に深みを持たせることに成功している。これは映画にも反映しており、あちらに登場するドイツ兵も一様に残酷な存在ではなく、人道的な行動を取ろうとする。出来の良い作品の持つ特有の余力が発揮されている。 (★★★★★)
  • ダン・シモンズ: カーリーの歌
     『ハイペリオン』の作者が世界幻想文学大賞を取った作品だ。1988.1.31に初版で2008.7.15に四刷だから、結構読まれている。「帆掛さんのおすすめ」でもある。今、”Confessions of aThug”を読みかけているところなので、息子の薦めのままに読んでしまった。これは“第三の男”だなと思ったのだが、構造的には良く似ている。1985年の作品だから、1984の“インディ・ジョーンズ 魔宮の冒険”の翌年である。構造は“第三の男”だが、趣向にはカリーが出てくる。“魔宮の冒険”の邪教と同じ怖い神様だ。カリーの庇護の元になりたった盗賊の秘密結社がサギー(サグ)でこれを小説化して西洋に紹介したのが先にあげた「サグの告白」である。これは邦訳がまだ無い。1873年にイギリスで刊行されている。  この作品ではカルカッタの喧騒と熱気が伝わって来て、インドに行ってみたいとは決して思えない作品になっている。結末がすっきりする作品ではない。それでもこれだけ刷を重ねているのは、サブリミナル効果のような深い恐怖感に触れるところがあるからだろう。いつかもう一度読んでみたくなる作品だ。 (★★★★)
  • パット マーフィー: ノービットの冒険―ゆきて帰りし物語 (ハヤカワ文庫SF)

    パット マーフィー: ノービットの冒険―ゆきて帰りし物語 (ハヤカワ文庫SF)
    『ホビットの冒険』のSFパロディ版。スペース・オペラのスタイルだ。ガンダルフはサイボーグだし、ドワーフたちはクローンで復活教団という狂信者が悪の側。宝に相当するのは古代文明が残したワーム・ホールの星図だ。ワーム・ホールは時空の空隙でそこをたどることで瞬時に移動できる。これの巨大な図書館を求めた旅が冒険の旅になる。ノービットはホビットのもじりだ。面白いのは善玉がわがどうやらイスラム教の流れを汲んでいるらしいことで、作品成立当時のちょっとした流れを感じさせる。  この作品はキャロルの『スナーク狩』を各章の頭に置いて、趣向にしている。これも楽しめる。絶賛されるような作品ではないけれど、指輪のパロディとしては一つの代表になるだろう。2001年の6月に刊行されているが翻訳者は指輪を読まずに訳したと言っている。別に違和感は無い。  翻訳は、あまり売れたとは思えない文庫本だが、古本屋の店頭で2冊100円で見つけたときには思わず声が出てしまった。今はこの手の本が一番探しにくい。あまり読みたいとも思わなかったハイモンド・イネスの『北海の星』も一緒に買ってしまった。 (★★★)

  • 乙一: GOTH 夜の章 (角川文庫)+僕の章

    乙一: GOTH 夜の章 (角川文庫)+僕の章
     授業のリアクションで薦められた。現代の文学でラノベに触れたことから、ラノベと他領域の交差する作品として興味を持った。作者のあとがきにもあるが、作者自身はラノベであるこの作品がミステリー大賞の枠になるとは考えなかったようだ。ミステリーの地位が向上したとも言える。文学賞の構造では芥川賞・直木賞の埒外は混沌として融合的であったはずだが、ここに新たな埒が加わりつつあるのだろう。  これも作者が断っていることだが、ゴスロリを意識した作品らしい。この作品には、ゴスロリはただの風俗として取り入れられ、ゴスロリの主張とは無縁となったようだ。それがミステリー大賞にもつながる普遍性を確保したと言えそうだ。  トリックは探偵少年コナンを思わせる手法で、意表をつくことに主眼がある。一方にゴシックロマン調を目指すところもあり、両方の調和が図られている。連続殺人事件を扱っていても性的描写をなるべく排除しているのはラノベ読者を意識してのことだろうか。その分、社会性は希薄になっている。ほんのりり若者の恋の薫りがただようのも、却って新鮮なのだろう。良い意味でラノベの水準を表した作品だと思う。  「あとがき」「解説」で残念なのは、二冊の文庫に収められた諸編の初出雑誌と初出年が無いことだ。せっかくのあとがきも台無しになる。 (★★★★)

  • 三浦 暁子: ボルネオの白きラジャ ジェームズ・ブルックの生涯

    三浦 暁子: ボルネオの白きラジャ ジェームズ・ブルックの生涯
     ううむ。という本だ。ジェームズ・ブルックについては興味が尽きないのだが、この書物での扱いは、植民地時代の冒険心とインドで幼少時を過ごしたという体験からブルックのボルネオ、サラワク王国を考えてしまっている。ラッフルズやオランダとの植民地を巡るつばぜり合い、ダヤクと呼ばれた複雑な現地人との抗争など書かれてはいるのだが、その背後に広がるものが著者の語りたいことではなかったのだろう。「もしも...だったら」が多く、その時々の感情を忖度しているが、その方法は現代人のものであり、感覚も現代人のものだ。だから読みやすいという読者も居るかも知れない。 (★★)

  • デイヴィッド ピース: TOKYO YEAR ZERO

    デイヴィッド ピース: TOKYO YEAR ZERO
     英米同時刊行という触れ込みで、Webページまで立てて宣伝している。内容は小平事件を中心に終戦直後の状況を描くのだが、小平事件の捜査官の私小説形式になっている。それを活かして、限定した視野からの描写が行われる。戦後風俗など分かっている範囲を描くことで一定のリアリティを確保できるし登場人物の思い込みや、読者の先入観などが利用できるのだ。その点、この作品は成功していると言って良い。  大陸での残虐行為、日本での朝鮮人虐殺、これらはしばしば描かれてきた。だが、大陸での中国人による暴虐とそれへの恐怖。終戦直後の、所謂三国人による警察署襲撃などの暴虐についてはっきりと描いた作品はあまり無い。そうしたことを背景に小平事件を浮き彫りにしている。  犯人、小平義雄は従軍して中国におり、そこで残虐事件を引き起こしているが、金鵄勲章を受けて除隊した。日本軍はなくなったが、彼の残虐行為はそのまま戦後に引き続いた。国ぐるみのPTSDとも言える事件であった。猟奇的な部分に焦点を当てるのではなく、当時の精神的状況の中でとらえ直しておかなければ、戦後の持った日本の問題を置き去りにしたことになる。この作品は戦後を書くことに充分な力を割いている。  小平が住んでいた場所、羽沢はすぐ近くで、毎日のように歩いている。そこには満鉄総裁中村是公の屋敷跡が羽沢ガーデンとして残っていた。最近、そこがマンション建設予定地となり、緑の環境を守ろうとする近隣住民の反対運動が起きている。僕にはこれが、古いものの上に、効率や利益をはかって、新しいものを積み重ね、それをもって過去の清算としてきたこれまでのやり方のアナロジーのように見えてしまう。この作品にはそうした効用もあった。  この作品は『雨月物語』を意識していると作家自身が語っている。Kenji  Hamada の訳書が参考図書にも上げられている。今から三十年ほど昔、小岩の成人学級で『雨月物語』を読んだことがある。若い人でも六十代という受講者たちだったが、「浅茅が宿」を読んだ時、一人の女性が涙を溜めていた。「戦争から主人が帰ってきたときのことを思い出しました。」とおっしゃった。溝口健二の『雨月物語』はその視線で秋成の原作を再構成したものだ。この作品も『雨月物語』の受容作として数えられても良いと思う。ただKenji Hamadaの訳は誤訳もあるので気をつけたほうが良い。「菊花の約」の中に病に臥している赤穴宗右衛門が「湯ひとつ恵み給へ」と支部左門に言う場面がある。二人の印象的な出会いの場面なのだが、そこが”give me a bath”になっていたと記憶する(今原書が見つからないので、確認します)。「風呂に入れてくれ」になってしまう。Zolbrod訳では”Please give me a cup of warm water”になっていて、納得がいく。Zolbrod訳はTuttleから出ていた本なのだが、Tuttleが神田から姿を消してしまい、入手しにくくなったようで残念だ。  同時刊行も歓迎だが、その元になる古典の英訳本なども供給して欲しいと思った。 (★★★★)

  • 弘也 英明: 厭犬伝

    弘也 英明: 厭犬伝
     名前に引っかかって買った。『八犬伝』とは無関係だった。往時の筒井康隆に罪を犯して樹木に変えられる妻を悲しむ小品があったが、この作品では人は死ぬと汚木となる。その汚木を仏師が仏にするが、憑姫といわれる女達の力によって、この仏を操ることが出来る。仏は軍事から労役までさまざまな場面で使われるが、仏同士の格闘である合(あい)というゲームがあり、それがこの作品の主舞台となっている。  厭犬の名は主人公の厭太郎と敵対する犬千代、犬丸の名から取られたものだろう。この世界の環境は種族まで含めて複雑な構造を持っている。ナウシカの世界の構造に似た山人的性格を持つ存在と都人、その中間にある存在、また仏師内部の勢力争いなど大掛かりな世界が出来ている。  格闘ゲーム系に作り変えることが考えられているのだろう。キャラクターに魅力があるのでファンタジーノベル大賞を受けたのだろう。続編が用意されていることが伺えるが、そちらで世界の充実が計られよう。格闘ゲームを主体としてしまうと、世界のディテールが不足してしまう。今回の作品ではまだ充分に世界が活きては居ないようだ。 (★★★)

  • 前坂 俊之: 太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫 (1817))

    前坂 俊之: 太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫 (1817))
     太平洋戦争下、新聞が果たすべき事実の報道を放棄し、情報操作の一端を担っていたことは、誰しも知るところだ。本書の主題もそこにあるが、本文415ページ中、340ページまで、太平洋戦争以前、満州事変、支那事変に割かれている。それは、太平洋戦争中の報道規制のはじまりがそこまで遡るからである。  満州事変、支那事変はいずれも、関東軍の中国からの攻撃デッチアゲで始まったというのが、通説となっている。これに真珠湾を重ねると日本は国際信義のない国になる。武士道に対する戦時中、戦後の否定的評価の一因はここにある。日本は大東亜という世界再構築に、高い精神性、倫理性をソフト・パワーとして強調したが、対外的な信用失墜によって、その精神的優位の宣伝は、閉ざされた自国内での手前味噌になってしまった。しかも、そのことを国内は自覚していなかった。未だにこの時代の国外での不信と、国内での過信のギャップは解けていないようだ。  新聞を中心とする報道が歪められていったのは、軍部からの圧力とテロへの恐怖が大きな要因だった。その詳細がまとめられている。そこにもう一つ見え隠れする最大の要因があるように思える。それは国民のナショナル・アイデンティティに基づく動向だ。本書ではそれを営業上の問題に還元してとらえている。「大声は里耳に入らず」で、比較的リベラルな報道を行っていた時事新報の終刊は象徴的に映る。結果として、読者の好む情報を世論操作の主体に迎合しながら、ナショナル・アイデンティティを制御不能の高揚状態に導いたわけである。  メディアは管理者の意図を離れ、受信者が、世界を勝手に作ってしまうのに手を貸すことがある。まして、管理者が十全の意図でメディアに接していなかったときに、それが起きると、大きな悔いが残るだろう。 (★★★★★)

  • 津野 海太郎: 物語・日本人の占領 (平凡社ライブラリー)

    津野 海太郎: 物語・日本人の占領 (平凡社ライブラリー)
     江藤淳が戦後文学に「自分の物語」を感じられず、大東亜史観に基づいた戦争映画を賞賛したことへの批判から本書は始まる。江藤は現在にいたる大東亜戦争肯定派の火付け役に近いところに居た。本書はそれに単純な反撥をするのではなく、日本が占領していたフィリッピンの「自分の物語」について、それにかかわった日本軍情宣部隊の人々をとりあげることによって、浮き彫りにしていった。  桃太郎はここにも顔を出す。日本のソフト・パワーの代表なのかも知れない。 (★★★★★)

  • ジョン・ダワー: 容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)

    ジョン・ダワー: 容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー)
     『敗北を抱きしめて』の前に出た書物だ。ナイの『ソフト・パワー』に通じる史実がここにはある。日本についてのアメリカ側、いや西欧の思い込みと日本の西洋への偏見とが衝突したところに、”容赦ない”悲惨な戦争が登場したのだと、本書は見る。その先入観を作ったのはソフト・パワーだ。桃太郎についての考察はとくに面白い。 (★★★★★)

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