2009/11/03

『阿呆物語』をよみました。

『阿呆物語』グリンメルスハウゼン 望月市恵 岩波文庫 1953.10.5 1986.11.6、5刷(上中下とも)。
 大体日本の寛永期にあったヨーロッパの大戦、三十年戦争を舞台とした自伝的小説である。ピカレスク・ロマンや教養小説に近いとも言えるが、性格はそう明確ではない。三十年戦争の複雑な対立構造と、そのもとで生活する農民、そこから人員を吸い上げる傭兵の生活が描かれる。ピカレスクなどに分類されるのは、主人公であるジムプリチウス(Simplicius)が兵士としてなりあがっていく姿が、決して善良な生活ではないことからだろうし、教養小説としてみるのは、彼の成長過程が記されているからだろう。しかし、日本文学的に見ると、貴種流離譚の要素もあり、作品の主眼は作者の分身であるジムプリチウスが目にした世相にあって、主人公は狂言回しに近い。主人公の性格として設定されている文字通りのSimple、単純さも、世相を描写するには好都合な性格で、最終的には神の愛でし人となって、作品の首尾一貫した構成を成り立たせている。
 作者グリンメルスハウゼンはかなりの知識人で、多くのギリシャ・ローマの古典に通じている。記憶術のシモニデス(p182)が出てくるのは、特に異端的とは言えないにしても、魔法使いの憲兵が不死身の術を授けたり、怪し気な話が数多い。技術と魔法の中間のような物についての記述もある。上巻p194あたりに羅列される中には、アルキメデスやアルキータスというギリシャの哲学者に加えて、青銅のロボットを作ったアルベルトス・マグヌスが上げられているが、これなどは十一世紀の魔術師だ。同じあたりに「人類の全体にとって大きな利益であるすばらしい印刷術を発明した人物を、すべての芸術家以上に賛美しない人があるだろうかね。」と印刷術を取り上げるがグーテンベルグの名はでてこない。ここでは印刷術を魔法的な技術と同列取り上げている。
 ジムプリチウスは兵士を終えて巡礼となり、地獄めぐりをしたり、水の精霊の案内で地球の中心に行ったり、架空旅行もする。ロシアに渡って、当時まだロシアでは作れなかった火薬の製造法を伝えたり、韃靼から朝鮮王奴隷のように献上され、日本を通ってマカオからトルコ、ヴェニスに至りつくなど、世界一周も果たしている。ガリバー以前の架空旅行記である。
 科学と魔術、民衆と貴族、そして地理上の情報など、十七世紀ヨーロッパの関心事がよく分かる。世相への興味と反映という点では浮世草子的な精神に通じるところがあるかもしれない。世界にわたる近世的精神というものを考えることが出来るとすれば、大切な作品になりそうだ。

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2009/11/02

ヒンドゥの女神さま

“HINDU GODDESSES” David R.Kinsley University of California Press. 1986 978-0-520-06339-6(ppbk)読みました。
カリーへの興味から読み始めた。大学生向きのヒンドゥ教入門書だというが、英語も平明で、わかりやすい内容だった。ヴェーダの女神から始まって、ラクシミー、パールバティ、サラスバティ、シーター、ラーダー、ドゥルガー、カーリー、マハァデイビなどの主要な女神たちと村々に祭られている女神に至るまで網羅的に解説してある。最後の章ではインダス文明の女神とヒンドゥの女神の関連について、問題点が指摘してある。
 カーリーについては別に詳しく考察した書物があるので、そちらも読む予定だが、Thugで気になり始めた地上を人間で埋め尽くさないために、人を殺して間引きするという神話や、遺体を処理する場面を覗き見するなという女神による禁止、血を流さずに殺す、つまり絞殺の儀式などについては本書では触れられていない。そういう意味では外れた読書だったのだ。『タグの告白』の著者タイラーの創作だったとも思えないので、もう少し探してみよう。
この本には『ヴェーダ』や『ラーマヤーナ』の諸本から抜き出された女神の属性や活躍がまとまっていて、辞典代わりにも使えそうで便利だ。そこにはパールバティによるシヴァの誘惑のように、『鳴神』を思わせる神話もある。『ラーマーヤナ』のヒロイン、シータも女神の一人として取り上げられている。そしてここに紹介されているシータの逸話は、木花咲耶姫が貞節を疑われ室に入って火をかけた日本神話の、特に神武天皇の出生にかかわる説話と同型である(p74)。このシータがヒンドゥ女性の行動の雛形として、日常生活に深く根を下ろしていること(p78)が紹介されている。どうも日印比較神話学が必要に思えてならない。
 ラーダという女神も特徴的だ。彼女は姦通の女神である。クリシュナに恋をした有夫のラーダは障害を乗り越えて恋の成就に邁進するのだが、彼女にとって障害は恋を募らせるし、別離も恋ごころを増幅する。正式な結婚による愛よりは不倫の愛はずっと深い。この深さが信仰の深さを意味する。彼女のクルスナに対する恋はそのまま信仰に繋がり、信者にとって好ましい信仰の心理とされるのだ。女神は信者にとって、クリシュナへの信仰の取次ぎ者としての役割も担ってくれる。恋をメタファーとして他の精神の動き、ここでは信仰や忠誠、求道心のたとえに使うのは、『葉隠』なども同じだ。ラーダとクリシュナは更に一歩を進めて、アンドロギュヌスになってしまう。半身はラーダ、半身はクリシュナの合体した神となる(p92)。中村真一郎に『色好みの構造』という新書があり、過去のイスラム文化の中に自分の妻に恋することはふしだらで、不倫に純粋な愛を見ていた例が記されていた記憶がある。ラーダが登場していた記憶はない。
 ヒンドゥの神々は我々にとって耳慣れない存在だが、日本の神々や神話の影に思わぬ共通性があり、その共振が既存の日本神話の大系を揺るがすことがあるかもしれない。

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2009/09/19

キャプテン・フラカス

(『キャプテン・フラカス』ゴーティエ 田辺貞之助 岩波文庫1952.9.25 1986.11.6 二刷、1952.10.25 1986.11.6二刷、1952.11.25 1986.11.6 二刷 上・中・下三冊。)
 上巻の前半はもたついて、中途で飽きがきた。旅芸人一座が出てくるあたりから面白くなってくるが、侯爵の館まではさほど引き込まれることもない。決闘の場面あたりになると、停車駅を乗り過ごす位にはなる。その後は息もつかずに読めてしまう。
 物語の縦糸はシゴニャック男爵と旅芸人の女優イザベラの恋物語だが、横恋慕する貴族との決闘や姦計、男爵を助ける一癖ある旅芸人たちに加えて、バスク出身の忍者のような盗賊少女、パリのごろつき剣士たちが、当時の風俗を背景に活き活きと描かれている。舞台背景となるシゴニャックの廃墟のような居城や旅の途中たちよる田舎町の風俗も、パリの暗殺者たちの溜まり場になる居酒屋の描写も細密だ。画家を志したというゴーティエの絵心が過剰なほどの描写となって残されているのだが、それが前半をもたつかせる。設定をきちんと重ねるからだろう。現代の読者には好まれない方法だが、この読む写真とでもいうべき描写は当時の城の有様を伝えてくれる。
 ガスコーニュのシゴニャックの城では、「一連のヘラクレス像」(上巻p30)のまがいレリーフがあり、これはこの城が登場する度に言及される。おそらくはヘラクレスの物語がここに描かれていたのだろう。同じように、ヴァロンブルーズ公爵の寝室には「メディアスとヤソンの物語を描いてあった。」(下巻p112)と“見る物語”が当たり前のように存在している。こうした装飾が物語を当時の人々の日常に滑り込ませていたのだろう。
 話の時代はルイ十三世の治世である。リシュリューは登場しないので、三銃士より少し前だ。作品が書かれたのはデュマの方が二十年ほど早い。もっとも、こちらの作品の広告が出たのは1835年で、1844年のデュマより早い。しかし、作品が連載の形で出はじめたのは1861年からだという。このギャップは不思議だし、『三銃士』とこの作品は無関係なのか気になるところだ。
 ところでこの作家と、歌姫のエルネスタとの間に生まれた娘、ジュディット・ゴーティエは『白い象の伝説』の作者だ。この童話はミュシャの挿絵で有名になっている。日本語訳もあるそうだ。

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2009/09/18

斎藤隆夫『回顧七十年』中公文庫 4-12-201441-7 62.7.10初版

 政治家として憲法に順じて政治を行うのは当たり前であるが、それが難しかったことは戦前でも戦後でも同じだ。今の憲法の成り立ちに問題があるからというのはその場しのぎであって、基本的には現実の政治と憲法の刷り合わせの難しさに問題があるのだろう。斎藤隆夫は常に憲法の側に立って政治を行った政治家だ。戦後二度国務大臣を経験しているが、基本的には議員であり、その立場を貫いた。
 二・二・六の後の粛軍演説は日本の憲政史上に残る演説だし、それを実らせることが出来ず、その後も議会無視の軍部を批判する斎藤を議員除名したことなどは、日本の国会が恥じるべき出来事の一つだろう。この硬骨は明治の人の持つ力だろう。生まれは決して特別な家ではなかったが、少年時から百姓に甘んじない志を持っていた。農家の次男であるという、行き場の無い立場もあったかもしれないが、こうした人材を受けいれ育てる余地がこの時代にはあった。
 無一物で田舎から出てきた斎藤に、六七人の同郷の先輩が一円づつだしてくれて、それでぎりぎりの学生生活をした。「学校に行ってからは一生懸命勉強した。学資を出してくれる先輩に酬ゆるために、また学問によりて身を立てるより他に途がないから、人一倍に勉強せねばならぬことを痛感した。」(p22)。近代日本を支えた社会基盤がみえている。
 斎藤が議員として過ごしたかなりの期間、日本は政友会と民政党の二大政党だった。しかし、落ち着かない二大政党で、その不安定さが、両者の対立を泥沼化させ、結局は軍部の抬頭を抑えることが出来なくなった。斎藤隆夫の回顧録は戦時中の議会を通じて、政争の持つ無意味さを伝えてくれる。

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2009/09/14

読みました。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子 朝日出版社 2009.7.30 978-4-255-00485-3

  高校生向きの授業の実践記録で、語り口は平明だし、簡単な図がついていて、これが理解を助けてくれる。生徒とのやり取りも書かれているのだが、近現代史から遠ざかっている大人より受験生の方がまともな疑問や答えを返している。すらすら読めるのだが、はっとするところもある。例えば戦争をするのは相手をどうしたいからだ。という質問に、ルソーの「戦争および戦争状態」を出してくる(p42)。要約すると相手国の最も大切だと思っている社会の基本秩序の変容を迫るものだという。近代戦の論理だ。先の大戦で日本は国体を変えた。これがルソーの戦争説に対応する出来事だ。キレイな整理が出来ているし、常識的な結論なのだが、僕には昭和天皇が現憲法を、国体を護持した範囲での帝国憲法の変更ととらえていたような気がしてならない。ルソーの戦争説による限り、これだと、きちんと敗戦してないことになる。
 数字を挙げての説明も説得力を持っている。たとえば、ドイツと日本を比較して、どちらが捕虜に対して人間的な扱いをしていたかを見るときに、ドイツにおける捕虜の死亡率が1.2%なのに、日本で捕虜になったアメリカ人の37.3%が死んでいるという数字(p398)は、動かしがたい意味をもっているだろう。
 著者は靖国問題を取り上げていないが、折口信夫を援用して、戦死者が祟るという畏れと、鎮魂の関係を語るのは、単に歴史認識の問題で片付かない文化の問題として靖国問題を位置づける可能性を思わせてくれる。戦前日本の植民地観の特異性、これにはマーク・ピーティの説を用いているが、移民先や資源確保を最終目的とせず、安全保障上の理由から植民地確保に奔るという、他に例のない植民地観の指摘(p195)は、幕末以来のトラウマによるものとも見えるのだ。
 アーネスト・メイの『歴史の教訓』(岩波現代文庫 進藤栄一 4-00-600120-7)は本書の成立に大きな拠り所となっているようで、こちらも読みたくなってしまった。

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2009/08/30

走れ太もも。

 『アレクサンドロス大王東征記付インド誌』(アッリアノス 大牟田章訳 岩波文庫44-00-334831・334832 2001.6.15 2008.6.25 9刷(上) 2005.3.7 6刷(下)を読みました。)
 上巻は入院するはるか前から読み始めていたので、病院にも持ちこんだのだが、読めなかった。地図と注、時に年表を参照するのは文庫本でも両手が必要になる。しかも仰臥姿勢しかできないのだから、読書よりリハビリに近い苦行となった。退院まで上巻さえ読み終えなかった。
 ところがひとたび病院を離れると、気分が変わったのか、今度は大変すらすらと楽しく読むことが出来た。読みながら頭も働く。たとえば、アレクサンドリア建設に関するエピソードで、アレクサンドロスは自分が行った線引の通りに建設させたいと思ったが、地面に記しをつける手立てがなく、兵士の引き割大麦を地面の撒いて線の代わりにしたというのがある(上vol3 2 p188)。これは『近世説美少年録』という馬琴の小説に、霊蛇が行った城の線引きを残すために蛇の後ろから灰を撒いて線の代わりにしたという話と同根の可能性があるのではなかろうかなどと、自分の仕事にひきつけた読み方が出来るようになった。
 こうした勝手な類似を探してみると、ペルシャ王、ダレイオスとのガウガメラでの決戦(上上vol3)のとき、夜戦を拒んだ逸話は『保元物語』の源為朝の逆になる。崇徳院側についた為朝は後白河側への夜討を提案するが、悪左府頼長に「さすがに主上上皇のくにあらそひに、夜うちなんどしかるべからず。」と斥けられてしまう。ガウガメラの合戦では、夜討を薦めるのは側近のバルメニオンで、アレクサンドロスは小細工を弄せず白昼堂堂と勝たなければならないと、その進言を却下する。保元の乱では夜討をしなかったために崇徳院側が破れ、アレキサンドロスは昼間の戦いでダレイオスを破るのである。
 こんな類似とは別に、アレクサンドロスがギリシャ神話の英雄、ペルセウスやヘラクレスと張り合う気持ちがあったという指摘(上vol3p191)は、はルネ・ジラールの欲望について指摘に通じる。また、ギリシャ人たちが、オリエントからインドに侵攻するときに、ディオニソス神がインドまで遠征したという神話がアレクサンドロスとその一行の指標になっていたという。第五巻冒頭のニュサの話(p3)は、記載しているアッリアノスはその史実に懐疑的であるが、町の人々は自分たちがディオニソスの後裔であると称し、アレクサンダーに特別の配慮を願うのだが、彼は喜んで受け入れる。なぜなら、この先に進むことをためらうマケドニア人たちに、自分たちが神話のディオニソスを凌ぐ功績を立てるのだと自覚し、前進を拒まなくなると考え方からだという。アッリアノスは、ここでアレクサンダーがニュサの人々の言い分を認めたことを、多少政治的に見ている(下vol5p22)。それはアッリアノスの合理性が、アレクサンドロスやマケドニア人の迷信深さを長大な遠征の動機とは考えにくくしているからだろう。
 その地方にはメロスという山があり、これはディオニソスがゼウスの太股=メロスから生まれたことにより名づけられたなど、伝承は当時のマケドニア人たちが、ディオニソスの神話を信じ切っていたことを表している。そのほかにも、途中で見つけた洞窟を根拠なくプロメテゥスが繋がれた洞窟だと決めつけたり(下vol5p24)している姿は神話・伝説の拡播や習合にも関わりそうだ。
 そういえば、二年くらい前、大学駅伝でふとももをやたら強調されていた選手がいましたね。駒沢の選手だったかな。アナウンサーが「走れふともも!」って叫んでいたのを覚えてます。

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2009/08/27

アヒル村長の危機?

Duck2

 ”Exposed” Mark Schapiro Chellsea Greein Publlishing. 2007 978-1-933392-15-8を読んで。 
 表紙にも背表紙にも目がバッテンになっちゃったアヒルのおもちゃが描いてある。乳幼児玩具の有毒素材をアピールしているのだ。
 アヒルのオモチャには、プラスチックをやわらかくする可塑剤が使われており、それに毒性があったのだ。ヨーロッパはこれを禁止した。ヨーロッパは共同体を作り貨幣をユーロに統一しただけでなく、加盟国の安全基準を統一した。これが効力を発揮したのは、政治的な統一が4億5000万人のマーケットを作ったからで、各国がバラバラの時には考えられないほど強力な集団になったのだ。アメリカはその対応に出遅れた。ヨーロッパがそうした有毒物質を禁止したとき、アメリカはしなかった。アメリカはそれまでの基準に則っていれば十分だとしていた。その基準はアメリカが中心になったものであり、アメリカの化学産業はこれによって生産し、ヨーロッパにも輸出していた。ヨーロッパの新しい基準はそれらの産業にとって障害になる。非関税障壁の一種としてアメリカはヨーロッパに圧力をかけて取り下げさせようとしたが、失敗した。その結果、アメリカ以外の生産国も、ヨーロッパで売れなくなった製品をアメリカに持ち込むことになった。こうした出来事は、アメリカの凋落と深く関わりそうだ。この本はそれを感じさせる。
 有害物質は、その使用や流通を禁止しなければいけない。何を毒とするか、それをどう防ぐかは、個人の力では出来ないからだ。国に代表される権力が必要になる。アメリカは国家権力の発動である軍事力と軍隊について抜群の力を持ち世界の警察官を自認している。だが、有害物質から人類を守る役割は仮想敵に武力で備えるのとは異なった。
 「友人間のデータ・ギャップが敵同士のミサイル・ギャップと置き換わった」(p159)と見たり、冷戦時代の引き金にかかっていた指にあった力が、法規を作成する指に真の力が移っている(p182)という見方はアメリカの力の在り方が時代遅れになりつつあることを示唆している。アメリカの科学力は有害物質に対して、十分な見識を示していた。ヨーロッパの新基準はアメリカの研究者の成果によるものだった。それが利用者保護に回らなかったのは知識を活かすシステムが機能しなかったためである。
 2006年に北京で行われた米中環境問題会議の記者会見で、中国のエネルギー節減を訴えるアメリカ代表に一人の中国人女性記者の「アメリカ政府は、国民にエネルギー節約のために小さな車を奨励することを考えたことはありますか?」という質問は、アメリカ代表団を沈黙させてしまった(p173)。エネルギー問題と毒性問題の違いはあるが、分かりきった事実を実行することが出来ない体質にアメリカが陥っていることは確かなようだ。
ヨーロッパがアメリカよりも進んだのは、規制のあり方にある。P&Gに席を置いていた毒物学者が、シャピロにたとえばなしを聞かせた。「虎は野にあるときは危険だが、檻の中に居るときは安全だ。毒物も同じできちんと管理できていれば安全だ」(p30)。虎=毒物は法律で規制しないで、企業が檻=適切な使用法、によって人々に提供すれば良いのだ。これがアメリカ企業の思考である。ヨーロッパは虎そのものを危険物として排除するのである。
この危険物排除の思想は、製品に含まれる内容物にも及んでいる。RoHSは電気製品に含まれる有害物質を制限する法だが、これもヨーロッパで成立した。プレイステーションの悪夢(P115)はこの法に先立つ事件だが、考え方は一つである。この事件は2001年11月にプレステのケーブルにカドミュウムが入っていたことが原因で、130万台、オランダで差し止められた。クリスマス商戦直前、手痛い打撃だったろう。廃棄される製品に有害物質が含まれていた場合を考えた処置である。製品の内容物に危険物があるかどうかの判定には内容物の開示が必要になる。物によっては製法の開示にもつながるため、この考え方への反撥は強かった。しかし、45000万のマーケットは強い。今ではRoHSが世界的な基準となったと言える。もっとも、このときのプレステは日本では何の疑いもなく使われ、棄てられていたわけだが。
 RoHSの考え方はもう一歩すすめれば、中国のソースコード開示要求にも繋がるだろう。消費者にとって有害な物があるとすれば、ソフトであっても事前開示が必要になる。何を有害と考えるかは、国家であって個人ではなくなる。個人にとって無害でも、国家にとって有害、あるいは有害になる可能性があれば、チェックされ改造されるかも知れない。インター・ネット時代の多様な情報発信を不快なものと見なす国家がソフト管理を行おうとするのは当然の帰結だろう。自由な情報発信ができるソフトは危険物にされるのである。
 中国の開示要求の真意は憶測に過ぎないが、こうした推測のネタも本書は豊富に提供してくれる。例えば、遺伝子組み換え作物についての記事がある。ヨーロッパを始め日本などでも遺伝子組み換え作物は禁輸された。そのためアメリカの遺伝子組み換え作物は値崩れを起こした。アメリカでも非遺伝子組み換え農家が存在していたのだが、周囲の組み換え作物からの花粉の影響が出てしまい、共倒れになっていることが本書の第五章で紹介されている。もちろんアメリカはさまざまな圧力をヨーロッパにかけるのだが、滞貨はどうしようもない量になっていたに違いない。シャピロの記事の後、この滞貨は一掃された。バイオ・エタノールのおかげである。原油の高騰と穀物相場の連動で組み替え作物までキレイに売れた。バイオ・エタノールというエネルギー上では半端な自動車動力を大掛かりに宣伝したアメリカの計算がここにあったとしても不思議はない。こんな推測をしてみたくなる。もしそうだとすると、それが結局はアメリカ自動車産業の体質を歪めGMに降りかかる。
 アメリカが毒物の排除に不熱心なのも、国内事情があるかも知れない。ヨーロッパが「虎」を締め出すきっかけになった考え方に「虎」=毒物の流布による医療保険の増大という問題があった。ヨーロッパの化学工業がRoHSを受け入れることで生じる負担は11年にわたり80億ドルだが、健康被害、労災上の癌死予防、毎年4500人への補償を含めて30年に6000億ドルが見込まれると言うのだ(p146)。だからヨーロッパは毒があるという可能性だけで、その物質を禁止するという挙に出たわけだ。だが、アメリカの医療保険は随意だ。6000億ドル、60兆円の心配はしないで良い。そうなると、国内企業の損害の方が大きく響いてくるというわけだ。ヨーロッパ型の大きな政府とアメリカ型の小さな政府の違いが出ているのだ。一見小さい政府の元での企業活動が競争上の利点を発揮して技術革新も進むように見えながら、ある意味で逆転してしまう現象とも見ることができる。
 日本のことが気になるが、本書は日本に触れることは少ない。日本語訳が出ると良いのだが、どちらかと言うと、グリンピースの立場に近い記述も見える。日本ではグリンピースは鯨やまぐろで評判が悪く、世界的にはかなり良い活動をして居るにもかかわらず、偏った思想団体とみなされてしまう。でもそのために翻訳が出ないとしたら、これは大きな損失だと思う。

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2009/08/07

痛い小説

 今回の入院で四肢の内、無事だったのは左腕だけで、のこり三本はどこかしら折れていた。中でも一番ひどいのは左の脛で、複雑骨折、解放骨折で出血もしていた。これはいまもまだ治療中だ。
 娘が入院中の動けない私のために面白い本を次々に紹介してくれた。『天使と悪魔』も彼女の薦めだった。彼女が少し躊躇しながら進めてくれたのが隆慶一郎の『花と火の帝』(講談社文庫4-06-185495-x 185496-8 1993.9.15)だった。「ちょっと痛そうな話だけど」という意味が良く分からなかった。
この作品は隆慶一郎の絶筆の一つで、日本経済新聞に連載されていたものだ。話は御所の忍びが後水尾天皇を守り幕府、特に秀忠と配下の柳生忍者と戦うストーリーで、隆作品の定番となっている秀忠配下の裏柳生との対決もある。ただ、御所忍びは殺戮を好まない。そこで押し寄せてくる柳生の刺客たちの脚を折るのだ。それも左脚。柳生の頭目、宗矩が先ず折られる。「江戸城の廊下で、将軍秀忠との打合せを終って、長廊を退出して来た柳生宗矩が、突然横転した。左膝に強烈な打撃を受けたのである。 ばきっ。骨の折れる不気味な音が響いた。」p396(うう...僕のときは音しなかった)それから始まって、箱根で二十人余、船で移動中に呪術で嵐に巻き込まれ、十数人が左脚を折られる。僕は敵役と痛みを分け合いながら読んだ。
 隆の作品は網野善彦の中世史観を活かしている。代表作『影武者徳川家康』にしても、『吉原御免状』にしても、江戸時代初期に非定着民がいかに時の権力に対抗するかが興味の中心で、悪は権力の側にある。これだけだと『忍びの者』的、白土三平的な階級闘争小説になってしまうが、隆はそこに天皇を持ってくる。非定着民を統治するのは天皇である。天皇の直接統治がある故に非定着民は世俗の領主権力から自由である。中世的な統治関係と言える。これを近世初頭に当てはめて、吉原を封建権力から自由の地とした。また、領主権力から自由な“道の者”の血を引く偽家康を作りあげてみせた。
 幕府の権力を統禦する天皇が非定着民も統括するという構造は、幕府と非定着民という、実質権力として大きな差がある二つの集団を疑似的な対等関係にする。幕府が定着民の持つ統制的、功利主義的な、いわば主導的なコミュニティを形成するのに対して、非定着民の側は、仲間意識で結ばれた情緒的集団であり、功利や権力から自由なコムニタス的集団となるのである。 “裏長屋コムニタス”は落語や山本周五郎の小説の魅力として山口昌男が説いたところだが、隆の小説では、非定着民のコムニタスは武装している。その武装もコミュニティ側とは異なった武装形態である。それが最終的に天皇の下に位置づけられ、虚構の中では構造的な安定をもたらしている。
ただ、この構造に問題がないわけではない。非定着民を軍隊と置き換えると、この構造は戦前の帝国日本の統治機構になる。統帥権によって統べられていた存在に似てしまうのである。

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2009/07/21

『ルネッサンスの魔術思想』を読みました。

『ルネッサンスの魔術思想 -フィチーノからカンパネッラへ-』(D.P.ウォーカー 田口清一訳 ちくま学芸文庫 4-480-08861-X2004.6.9)も入院中に読んだ一冊だ。「いずれにせよ、キリスト教から魔術をことごとく排除するという企ては不可能なことだった。なぜならキリスト教には、そもそもの始まりからずっと魔術が存在していたのだから。」(p185)
この見方は裏表紙の宣伝文句「魔術はいわばグランド・セオリー、先端科学として一級の知識人に迎えられた」につながり、科学も魔術もカトリックの延長に位置づけられることになる。ダン・ブラウン『天使と悪魔』(角川書店 4-04-791456-8,791457-6)の背景がここに出てくるわけだ。こちらも入院中に読んだ一冊だ。『ダヴィンチ・コード』ほど一般的な内容ではないけれど、コンクラーベもセルンの加速器も、ここ数年で日本人にも馴染みが出来たから、そこそこ読者も増えていたようだ。ちょうど、これを読んでいる時期に映画の宣伝も始まっていた。
ウォーカーはフィッチーノの音楽理論と世界を満たす精霊との関係に着目する。音楽が超自然的力を持つのである。この音楽の思想は中世ヨーロッパを通じて流れるが、中国・日本の音楽思想にも類似した傾向がある。日本近世に礼楽刑政として再定義される音楽が西洋の中世的音楽観に接する機会はなかったのだろうか。あまり考えられていない問題だと思う。
魔術的音楽の始祖がオルフェウスであることは、オルフェウスの神話が吉田敦彦の指摘(『ギリシャと日本神話神話』みすず書房1974)にあるように、幅広い類話を持つことに関連して興味深いとともに、魔術的、異端的な意味をもたされてヨーロッパ文明を流れていたことも面白い。オルフェに拘ったジャン・コクトーには中世的オルフェの意味は生きていたのだろうか。
オルフェについては、すでに書いた『あいのおわり』とも関係してくる。数秘論的な音楽論の七の意味はオルフェに起因すると言う。これがニュートンを経て幕末以来、日本人の虹の色数になったのである。
我々は江戸時代に接した西洋文明を、直ちに近代の合理主義的な科学文明と考える癖をもっている。西洋文明が、科学と魔術を同時に延長とできることへの認識は極めて薄い。まして19世紀以前の西洋文明がどれほど科学的合理性を持っていたかについては、十分な検討がなされているとは言いがたい。アンダーソンの”Under three flags”では、フイリピンの民俗学者Isabelo de los Reyesがスペイン文化に多くの迷信を見ていたことを取り上げていた。これは被植民地が宗主国の文化を相対化する大きなきっかけとなっただろう。日本が受容した西洋の文物の中にも同様のものがあっただろう。これも今欠けている研究だと思う。


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2009/07/04

病院で読んだ本

 古典的な作品で、まだ読んでいなかったものも今回の入院でお見舞いにもらった。『冷戦交換ゲーム』(ロス・トーマス 丸本聡明 ハヤカワ・ミステリー 978-4-15-001044-7 1968.7.15 2007.6015 4版)はちょっとカサブランカの匂いのする米ソスパイ戦ものだ。ハードボイルド的な面白さと国際関係、もっとも今となっては懐かしい背景だが、そのあたりがミックスされて独特の雰囲気が出来上がる。バーボンでも飲みながら読みたい本だが、もちろん病院ではそうはいかなかった。もう一冊は『料理人が多すぎる』(レックス・スタウト 平井イサク訳 ハヤカワ文庫 4-15-071901-2 1976.10.15 2002.7.15 15刷)。こちらはネロ・ウルフシリーズで一番有名な作品かも知れない。名探偵シリーズだから、殺人と犯人探しがメインストーリーだが、魅力は登場する料理にある。名コックが十五人集って腕を競い合うというのだから、それだけでも旨そうな話だ。その話の起点はカタロニアのソーセージだった。それはそれはおいしそうで、病院に居る人間には「早く良くなろう」と前向きな食欲を掻き立てる名作だった。
 ところで、この本を読み終わったころ、一人の患者が入院して来た。日本語が話せない人で、病室の看護婦さんたちは大弱り。看護学校の英語ではsuppositoryなんて教えないのか、手真似で説明している。また、レントゲンと言っても通じないし、朝食の大根おろしを「これなんだ」と聞かれて困ってしまうという状態になった。たまたま電子辞書を持っていたのが運の尽きで、僕の不自由な英語で通訳をすることになってしまった。この歳になるまで自分の英語を誉められたのはこれが初めて。妙な体験をしたのだが、この外国人はカタロニア出身のチェリストで、公演に来日して事故にあったしまった。パブロ・カザロスを思い出す前に、まずカタロニアのソーセージは美味しいかと聞きたかったのだが、異国で、大根おろしとシラスなど食べさせられているときに、そんな残酷な質問をしてはいけないと踏みとどまった次第である。
 さらにもう一冊、ブライアン・オールディスの『地球の長い午後』(ハヤカワ文庫 伊藤典夫訳 978-4-15-010224-1 1977.1.31 2008.9.15 23刷)は少し細菌にやられて熱っぽい間に読んだものだから、余計に情景が鮮明に頭の中に刻み込まれた。赤色矮星化した太陽の下で、異常に進化した植物と、文明を失い変異を重ねながら生き延びた人類が織り成す物語だが、ナウシカの背景になった腐海のイメージに通じるところもある。サイバーパンクの描く電脳系未来に対して生態系未来と言えるだろうか。いずれにしろ、三冊とも、読まずに死んでしまわなくて良かった。

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2009/06/22

普段なら読まない本

 これまだ読んでないでしょう。と言って自然科学系の先輩が持ってきてくれた本が『イワシはどこへ消えたのか』(中公新書978-4-12-101991-2 本田良一 2009.3.25初版)だった。三月四日の夜から入院していたから、読んではいない。入院中の読書は案外難しい。本屋にいけないから自分で選べない。僕の場合、右手が使えず左手も管が通っている状態だったので、ちょっと重い本はだめだ。読みかけだった文庫本は読んでしまったし、ちょうど良いときにもらったのだが、多分、普段だったら読まないテーマだ。
まず、この本から漁業が漁師の自由な漁労活動ではなく、社会主義国に匹敵するような規制によってがんじがらめにされていることを知った。というより、漁業の実態なんて、これまで考えても見なかったので目からうろこだった。これでは後継者など育つわけはない。量的規制や割り当て高にしても、根拠が十分ではなかった。そこに地球規模の気候変動に結びつく現象が繁栄する魚種の交代を引き起こしていることが分かってきた。レジーム・シフトと言われる現象である。本書の目玉の一つはこれだ。これに対応した漁業政策がすぐにも取られるべきなのだが、役所や組合の対応は緩慢だ。
 こんな本を読んでいるところに、今度は見舞いに来た卒業生が『奇跡のリンゴ』(幻冬舎 石川拓治編 978-4-344-05144-9 2007.4.25初版 2009.4.25 15刷)と『リンゴが教えてくれたこと』(木村秋則 日経プレミアシリーズ 978-4-532-26046-0 2009.5.8初版)を置いていってくれた。この卒業生は、青森でリンゴを詰める段ボールを作っている会社の女社長さんで、書名に反応して読んだら、涙が出るほど感動したと、事故にあう少し前に僕に勧めていた。倒れたと聞いて早速この本を持って駆けつけて来てくれた。やはりいつもは読まない本だ。ただし、厚さも適当で、病床に適していた。
 リンゴは農薬が無ければ育たないという通説を覆した苦労話が2冊の本の中心だ。確かに泣ける話になっている。イワシの話でもレジーム・シフト学説は、一度は世界的に否定された。リンゴの方は個人の挑戦だから、個人の生活が犠牲になって、木村家は悲惨な生活を強いられる。その上での発見だから、読者は泣けるのである。木村さんを支えた力の一つはDITY精神だ。バイク乗りが昂じて機械いじりに長じたのが、自分で何かをやる精神を育てたのに違いない。何かを創れる能力は現代社会における一種の武装だと思う。
 リンゴとイワシを無理に結びつけるつもりは無いのだが、そもそも漁獲量の決定はこれまで信じられてきた科学的方法によっていたはずだ。たとえそこに政治的要因がからんだとしても、根底にあったのは近代科学の成果だろう。リンゴの場合はもっとはっきり科学的根拠によって農薬を用いた栽培方法になっていた。リンゴとイワシの改革はこれまでの科学主義を崩すことによって問題解決に近づこうとしている。
 この姿勢は相対主義と根を一つにしているようにも見えるのだが、しかし、どちらも科学全体を相対化しているのではなく、生態系についての理解不足に起因しているのであり、科学の進歩の範囲内だと見ることも出来る。
ブラック・ボックス化した科学的常識を否定するには、一見、科学それ自体を相対化するような精神的な働きが必要になる。下手をすれば神がかりや精神主義に陥る危険性もある。イワシやリンゴといった身近な存在でさえ、こうした危険に直面しているわけだ。

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2009/06/14

『ないもの、あります』(ちくま文庫 クラフト・エヴィング商會 978-4-480-42571-3)読みました。

 三月四日の事故のとき、持っていた本がある。車に直撃されたカバンに
入っていた文庫本はヨレヨレになってしまったが、無事に残っていた。一緒にあったデジカメはレンズから黒く液晶が流れ出し、使い物にならなくなってしまった。
 その本は『ないもの、あります』(ちくま文庫 クラフト・エヴィング商會 978-4-480-42571-3)。電通の『月刊アドバタイジング』の連載を元にした単行本の文庫化だそうだ。“左うちわ”だとか“他人のふんどし”“目から落ちたうらこ”など、比喩上の物品の実在は如何なるものかというところを、赤瀬川原平風の挿絵とエッセイで紹介している。軽さとちょっとした笑いが身上の読物だ。
こういった軽い読物も大怪我を挟んで読んでいると感覚が変わってくる。まずはさっきまでパリッとしていた装丁がヨレヨレになっているところだ。麻酔が醒めるにつれて、ベッドサイドに置いてある書物の変わり果てた姿に、自分の状態が重なってくる。左脛に打ち込まれた金属のやぐら。右肩の三角巾。骨盤のための絶対安静。額に出来た大きなこぶ。その他無数の傷。その傷の一つがこの文庫本なのだ。そして、三ヶ月経った今、回復期になり、大きな傷は左脛の金属やぐらだけになっているが、文庫本は回復しない。古傷として残っている。中身が軽くて無邪気なだけ、いとおしくなってしまう。

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2009/06/07

『日清戦争「国民」の誕生』(講談社現代新書)を読みました。

 入院中に読んだ本の中で、これだけは早くブログに書きたかったのが『日清戦争 「国民」の誕生』(978-4-06-287966-6 講談社現代新書 2009.3.20初版)だ。著者の佐谷眞木人さんを知っていることもあり、また頂戴した書物であることもあるが、何より内容が面白かった。このところこのブログに書き込んではいないのだが、僕が『朝野新聞』の明治十一年ごろの記事を読んでいたことと奇妙に共鳴している。また、『萬葉集の発明』が国民歌集を創り上げていった過程を、『創られた伝統』歴史的有効性の問題としてとらえなおす視点にもなっている。本書の出発点は『民族の表象』(慶応義塾出版会)にまとめられたプロジェクトであることもうなづける。
 この書物では日清戦争の報道が日本国民の帰属意識を高揚させたターニング・ポイントを作り上げたことが指摘されている。日露が非西洋諸国に抗ヨーロッパ意識を根付かせたのが、外向きの効果であったとするならば、日清の効果の内向きな側面だ。義勇兵、義捐金、兵士の美談など新聞を媒介として競争的な意識が波及した。ルネ・ジラールの欲望の模倣、ボードリアルの消費行動などに共通するものが無いだろうか。そんなことを考えてしまった。
 『朝野新聞』の読者としては、台湾事件の時、ほとんど清国との衝突を信じた一部の士族が義勇軍の設立、参加を願い出て、それが新聞記事として取り上げられていたことに注目したい。こうした行為が爆発的に昂揚するのは、実戦となった日清戦争を俟たねばならないだろうが、その気分は少し遡る時点から現れつつあったのかも知れない。同時にこれれは、新聞記事として同時に掲載されることが多かった、学校設置への私財寄附とも関連しないだろうか。
 メディアとしての新聞に行動喚起力があったことが、それ以前のメディアとの交代に関わると見ることはどうだろう。この書物では歌舞伎の持つ際物的性格が、西南戦争においては報道的役割を果たしていたのに、日清戦争以降、古典劇としての場所を確立していく過程が記されている。演劇運動の中での位置づけも必要であるが、メディアの性格変化としてみることも十分に意味がありそうに思う。
 このほかにも戦争記念碑の問題など、本書をとっかかりとして、忘れられた近代遺跡をメディア史的観点から見直すことも出来そうだ。病床で良い刺激をうけてしまった。

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2009/01/23

”Confessions Of A Thug” (Philip Meadows Taylor Rupa.Co New Delhi 2001 ISBN 81-7167-583-2)を読んだら日本神話が気になった。

この小説は1834年に初版が刊行され、Rupaの版は1873年版に基づいている。書名の”Thug”表記だとサグと発音したくなるのだが、ネットサイト“Free republic”の2003年7月25日に掲載された”How the British broke the Thugs of India and how to apply those methods against terrorist.”(Destro)に付された39番目の意見によれば”Pronounced Toogs in India…”とあり、山際素男の『カーリー女神の戦士』(集英社文庫 4-08-748157-3 1994.4.25 但し1989年三一書房から出たものの改変版)で「タグ」と音訳しているのが良さそうだ。”Free republic”の記事では題名にあるごとく、また投稿日から分かるように、現在のテロリズムに対する問題意識からタグを取り上げている。ここではTaylorの小説ではなく、小説のもとになったイギリスの執政官 Sir William Henry Sleemanの不屈不撓のタグとの戦いをテロとの戦いの先蹤と見るべきとしている。Sleemanの著作は山際の著作にも紹介があるが、当時は入手不能であったようだ。現在はペパーバックで復刊されている。TaylorはSleemanのタグ撲滅運動期間にインドの一地区で警察長官を務めていたことが、小西真弓の「Philip M.TaylorのConfessions of a Thugについて」(豊橋高専紀要 1996,No.13)にある。ヴィクトリア朝の小説として、また英文学の作品としての意味などは小西の論文が簡潔に知識を与えてくれる。
 タグというのはタミル語で詐欺師の意味だが、ヒンドスタン語では”Phansi”と呼ばれ、こちらは結び目の意味だと言う。タグは上手に旅人に取り入って縊り殺して金品を奪い取る兇暴な護摩の灰である。騙すも絞めるもタグの実態を反映した言葉なのだ。タグの起源についての神話がある。Taylorの書物から意訳すると、次のようになる。
 世界は創造と破壊の二つの力が超存在から流れ出て対立し、その均衡が必要になっている。創造する力は人々を大地にはびこらせそれに破壊する力は追いつかなかった。そこで最高神は配偶者である女神カリーに間引くことを許し、カリーは助手を作った。それがタグであり、カリーは殺害の技術と人々を釣り込む方法をタグに教えこの世に送り込んだ。タグが殺した死体は彼女がこの地から持ち去るので、何もしなくて良い、ただし、カリーが処分しているところを見てはいけないとと申し付けた。年月が経つうち、タグは堕落し、女神の禁止にもかかわらず、どのように死体が無くなるのか見極めようという気持ちになった。そこで藪に隠れて見ていところをカリーに気づかれた。カリーは彼らに、これ以後は自分たちで死体の処理をしろと言い、それが常にうまく行くとは限らず、そこから足がつくとしても、それがお前等への罰であると言った。タグの頭のよさとずるがしこさ、また女神の託宣による導きは残され、タグの掟は世の終りまで彼らを縛ることになった。(p34)
 この殺害の技術というのは、布で首を絞めることで、タグの別名の由来でもある。その布はルーマルと言いカリーからタグの祖先に授けられたと言う。
 『古事記』の伊邪那美伊邪那岐神話との類似は、誕生と死の数の不均衡、女神を顧みることの禁止と侵犯の二点から始まる。死んだ妻を求めて冥界に至り、禁忌を犯して失敗する型はオルフェウス型神話として、『ギリシャ神話と日本神話』(みすず書房 1974.3.22)で吉田敦彦が類似を指摘していた。世界的な広がりを持つ神話型である。タグの神話では妻の死体ではないが、最高神の配偶者が死体に関して禁忌を課し、それを侵犯する者が居るという点で類似する。誕生と死の数は黄泉比良坂における伊奘諾尊と伊奘冉尊の誓約合戦であり、日本神話では生者の繁栄を肯定的に伝える場面だ。この二点とは別に、タグの殺害技術である縊殺にも問題がある。先の『古事記』の誕生と死の記述では、伊邪那美が「汝国之人草一日絞殺千頭」と言うと伊邪那岐は「吾一日立千五百産屋」と答える。『日本書紀』でも同じく「絞殺」なのだ。本居宣長は『古事記伝』の中で「さて今ただ殺すとあらで、絞リ殺スとあるは、いと上ツ世に人を殺スには、もはら絞リしにやあらむ、又殺スにさまざまある、何も身に傷を、ただ絞ルのみ傷ず、故神の殺したまふも、其跡あらはに見えねば、かくいふにや。」と論じる。ただ「殺す」としなかったことに疑問を持ち、上代には殺人は絞殺が主だったと言う、そして、神が殺す場合は傷や跡がないのだから、絞殺と言ったのだろうと結論づけた。これらを偶然としてしまうのでは何か大切な問題を置き忘れてしまうような気がする。
 山際素男の『カーリー女神の戦士』はTaylorの内容を借りたもののように見える。確かなことが言えないのはSleemanの著作を確認していないからで、あるいはTaylorも山際もSleemanの記述を利用しているのかもしれない。この山際の著作では、主人公の名はファランギーで、この名はTaylorの主人公Ameer Aliとは違うが、その行動・経験は殆ど同じだ。主人公の名を変えてストーリーはTaylorからもらったとも見える。そのファランギーはTaylorの著作に、アミ・アリーがイギリスに協力する直前に聞いた新しいタグの指導者の一人として出ている(p528)。アリーが最後に彼に会ったのは彼がまだ子どものころだったそうだ。このように見ると、山際の著作はTaylorに依拠しているように見えるが、インドに関する知識がTaylorの著作より豊富に補われている点、日本の読者には親切だ。タグの起源神話も山際の著作がずっと詳しく、Taylorにはなかったインド神話の知識が補われている。その分、日本神話との類似を見るには、構造が不鮮明になり類似が見えにくくなっているのだ。
 こうした民族学的興味を別にしても、Taylorの著作は面白い。なぜ日本語訳が無いのか不思議でならない。19世紀以前のインドでは、タグやその他のインド盗賊団、たとえばピンダリーは、Taylorの著作にも登場するが、悪逆非道の限りを尽していた。こうしたインドの盗賊団は”The LIVES AND EXPLOITS OF BANDITTI AND ROBBERS IN ALL PARTS OF THE WORLD”(C.MAC FARLANE,ESQ., PUBLISHED BY THOMAS TEGG AND SON,1837 カルフォルニア大学デジタルアーカイヴ)に西洋人から見た全体像が描かれている。
”Free republic”の記事がタグの廃絶をテロの根絶と同一視していた。現地の人々が、大きな被害を蒙っていながら、犯罪集団を排除する力がない時には、強力な存在が犯罪集団を排除することが正義だという認識が今も生きているのである。これはタグやピンダリーその他のインド犯罪集団にイギリスがとった態度であった。世界中の無法と無秩序に立ち向かい人々の安寧に寄与するのは我々、イギリス・アメリカ・先進国と入れ換え可能だが、ともかく、それらの義務だという考え方である。17世紀からインドに関わってきたイギリスはインドの多くの国に対して内政に踏込まない立場を取っていたのだが、インドの小国が処理しきれない大規模犯罪集団に対して介入すると同時に、インド全域の支配に踏み出していくのであるが、Sleemanはこの境界に居た人物になる。その実体験を元にしたTaylorの小説はイギリス人のインド観を支配し、インドにおけるイギリスの行為を支持する世論を形成した。それだけの説得力がある小説である。
植民地問題に疎い日本の近代・現代は『マックス・ハーフェラール』やこの作品に関心を持ちにくいのだろうか。面白い作品であるだけに残念だ。

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2009/01/17

『岡田啓介回顧録』(岡田啓介 岡田貞寛編 中公文庫 昭和62.3.25印刷 62.4.10発行。ISBN4-12-201414-X)読みました。

 二・二・六事件の総理大臣、岡田啓介が毎日新聞の求めに応じて語った自伝とロンドン軍縮会議期間の日記から本書は成っている。古波蔵保好の解説によれば昭和二十五年ごろに行われた取材だから、主要な事件からそんなに時間を隔てては居ない。逆にその分だけ公表を控えた部分があったかも知れない。
 たとえ不十分なものであっても、二・二・六に関しては直接当事者であるし、終戦間近の東条おろしでは立役者であったのだから、聞くべきところは十分にある。小さな出来事でも臨場感のあるエピソードがたくさんある。首相官邸襲撃では、反乱軍は、岡田首相と間違ちがえて義弟の松尾伝蔵を殺してしまう。首相はその間に女中部屋にかくまわれた。官邸が占拠されたまま、首相秘書官などが反乱軍の許可を得て官邸に来て、首相の遺体を確認するが、別人であることが分かる。秘書官だった迫水久常は女中の一人、おさくさんに「怪我は無かったかね?」と問いかけるのだが、彼女は「はい、お怪我はございませんでした」と答えるのである。これで迫水は、首相は女中部屋にかくまわれているとピンと来たのである。今だったら、自分に「お怪我...」は平気で言うし、それを聞いても「また間違ってらぁ」位の感想しか起こらないだろうから、首相は下手をすると助からない。
 岡田は日中戦争は早期終結を日米戦は回避を望んでいたが、自ら軍人であっても軍部の独走は止められなかった。満州某重大事件、つまり張作霖爆死事件を記した日記には、「各新聞社には、金と威圧にて各社震え上がりおり、朝日の如きは読者三十万減じたりと言う、朝日少しく陸軍に都合悪しきことを書くや、在郷軍人に檄し不買せしめたりと、そのため朝日は三十万を称するも少なくも十万は減ずるならん」という人づての情報が記されている。新聞同様、彼も世論の流れに抵抗することが出来なかったわけで、朝日にかかる圧力が他人事ではなかったのだろう。

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2009/01/14

読みました『泡沫の三十五年 日米交渉秘史』 (来栖三郎 中公文庫 4-12-201350-X 昭和61.7.25印刷 昭和61.8.10発行)

 伊藤隆の巻末解説に、昭和二十年八月二十七日付けで、吉田茂から来栖三郎に宛てた書簡が紹介されている。「If the Devil has a son, surely he is Tojo.」と吉田はわざわざ英文で来栖に書き送った。吉田と来栖に共通する東条観なのだろう。しかし、この書物の中では東条の理不尽さはあまり描かれていない。うわべだけかもしれないが、日中戦争を収めようとしたり、日米開戦を避けようとする姿勢さえ見せている。
 結局開戦を避けることが出来なかった特命大使であったから、来栖には敗軍の将に通じる肩身の狭さがある。「泡沫」という書名が物語るのは外交のむなしさだろう。日米戦を避けるため粉身努力をしていても、ひとたび開戦となれば全てが水泡に帰すのであり、まして敗戦となれば、水泡さえものこらない。
 最終章にあたる「新しいに日本の建設」に面白い記述がある。日清戦争のときに「絵双紙屋があって、その店頭には、その当時の問題になった事件や人物の一枚絵や、二枚続き三枚続きの錦絵が吊り下げて売られていたのである。」(P233-234)である。珍しい風俗ではないが、明治初期の絵双紙屋の実態を写している。それにつづけて、某大尉が中国人の赤子を抱きながら戦っている図柄が紹介され、「すなわち当時のわれわれの英雄観によると、一方には敵国人の嬰子を保護しながら、一方には孤剣衆敵と闘うような青年士官が勇者としてたたえられたのである。」と語る。つづけて、日露戦争における捕虜の取り扱いが紳士的であったことから、来栖がシカゴ領事であったとき、ロシア人の元捕虜が、第一次世界大戦に日本兵として従軍したいと申し出てきたことなどが記されている。
 来栖はこうした日本軍の伝統的な紳士性が二次大戦で破られてしまったことを嘆く。東条英機が大東亜戦争のあり方を従来の紳士的戦争は異なるものと宣言していたことは清沢洌の日記にも触れられていた。また、「おかわいそうに」事件も従来の戦争意識が変化していることを示す史実だ。総力戦、最終戦争などという言葉に含まれる絶対性はこれまでの戦争と峻別した意識を作り出したのだろう。来栖の考えは、その思い上がりに似た意識を批判している。それが最後には「しかし民主主義が多数政治であることを極度に押し進めて行くと、単にある一定時に生まれ合せ住み合せた個人らの多数決のみによって、本来永続的存在であり、子々孫々に伝うべき存在である国家社会の運命を、一挙にして未来永劫に破壊してしまうような危険もありうるから、祖先、自分、子孫と、この世の中を縦にかつ永続的に考えさせる「家」というものを、個人とともに社会の一つの単位として考えて行くことも、民主政治を建設して行く上において、われら東洋人が特に考慮すべき点ではなかろうか。」(P252)という言葉になったのだろう。圧倒的多数の国民が戦争を支持していた時に、それを阻止しようとして失敗した外交官が持った共同体に対する不安がこれだろう。レジス・ドプレのメディオロジー概念にも似たものを感じてしまうのだが、どうだろう。

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2008/11/26

久々に面白い小説でした。ー『魂を漁る女』(レオポルド・フォン・ザッハー・マゾッホ 藤川芳朗訳 中公文庫 4-12-204520 2005.4.25初版)

 のちのラスプーチンを思わせるロシアの怪しい殺人宗教団と、死の執行者である妖婦ドラゴミラ、そこに巻き込まれていく人々の物語は、ドゥルーズが絶賛したと帯の文句にあるが、哲学的な物語ではない。ドゥルーズも楽しみながら読んだのだろう。マゾッホはマゾヒズムの語源になったウクライナのドイツ語作家だ。だからと言ってマゾヒズム的な物語ではない。『毛皮を着たヴィーナス』に似た描写もあるが、それがこの作品の眼目ではない。キエフを中心としたポーランド系の退廃貴族がこの邪教集団に狙われる。
邪教と戦うイェスズ会の修道士にしても世俗的な存在で、「世界に冠たる独自の警察」を誇りながら、ナスすべなく守るべき存在を抑えられてしまう。主人公の青年も恋にうつつを抜かす、移り気で気弱な士官である。ただ一人、まだうら若い乙女が最も固い意志を持って邪教に対峙する。彼女のそば近くにいる老コサックの存在もなかなか良い味だ。飽きさせない小説なのだ。
 イェスズ会士が邪教の説明にインドのサグらしき集団を持ち出して説明している(p233)が、本書の刊行は1886年らしいので、1839年の”The Confession of a Thug”からはじまったインド盗賊団の話がドイツ語圏にまで広がっていたことが分かる。
 ロシアの邪教集団は「革命裁判所」「キエフ地区秘密政府」(p399)などを名乗っており、ロシア革命の萌芽も感じさせる。この集団の信者は従来のキリスト教信者を、「教会の死んだ信仰」にしがみつき、神父に魂を委ねようともせず、また神父も肉体の快楽にのみ腐心していると見ている。また、無信仰者は「天体やら動物や人間の頭蓋骨やらを中心に据えてすべてを考えており、秤にかけ、計算し、元素に分解しています。また植物の成長を観察し、石や惑星を観察していますが、神については何も知りません。望遠鏡をのぞいても発見できないからなのです。」という存在である。そして、「このような偽善と活字崇拝に囲まれながら、嫌悪と荒廃と絶望を生み出すこのような人間の動物化と自然の冒涜とに対抗して、神にあこがれる人々がいることが。この人々は、星の彼方に、細胞や原形質の彼方に、神を捜し求めており、自分たちが予感する霊魂の世界との交わりを実現しようとしているのです。」(p344)と、自分たちの存在を正統な信仰者として位置づける。さらに、無信仰な者たちや、誤った信仰を持つ人々は神の元に送るのが本人のためになると信じている。つまり殺人を宗教的に肯定するのだ。
この信者たちの反近代的な意識には、科学主義と「活字崇拝」の排除が入っている。ロシア正教的な意味があるのかもしれないが、メディア論的にも面白い。

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2008/11/25

田中隆吉の『日本軍閥暗闘史』

    (『日本軍閥暗闘史』田中隆吉 中公文庫 4-12-2001500-6 昭和63年3月10日)
 田中から言わせれば、日中戦争を継続することの非は明らかであって、その中止のためにドイツ大使リッペントロップが動いた。本書の「征夷大将軍東条英機」の章に詳しい。駐独公使陳介を通じた交渉は松岡洋右外務大臣を通じて、東条の元に達した。東条は同意して、中国側の条件である撤兵が即時か逐次かを質問し、その返答が来る前に和平案そのものを拒否した。気が変わったのである。驚いた松岡は大川周明を東条への説得に当たらせたが、大川の正論に行き詰った東条は「中国より撤兵することは靖国神社の英霊に申しわけが無い」(p155)とこれを拒否したという。国家間の契約よりも心情が優先してしまったのだが、この東条を田中は「無類のオッチョコチョイであり、ピエロ式の性格の持主であった。これを換言すれば、統制派政治軍人の策謀に踊るロボットに過ぎなかった」(p131)とカミソリ東条の神話を崩す。確かに、弟の企業に有利なように軍を動かしたり、愛国婦人会人事に妻の考えで口を出したりということは、今でも古い、しかも程度の低いタイプの権力者にありがちな話だ。この東条を動かしていたのが武藤章軍務局長で彼は中国撤退反対派であった。この武藤は左翼系の人間を重用し、その結果、大東亜共栄圏の理念が生まれたというのが田中の見解である。「この理念はコミンテルンの被圧迫民族解放の理念と表裏一体のものである。」(p92)と見る田中は、一党独裁型の大政翼賛政治は左翼と軍閥の結合と指弾する。この軍部=共産主義は清沢洌の日記にも再三現れており、当時の反戦的知識人の見方に通じている。
 なぜそんな現象が起きたかというと、軍人が政治に関与したのが悪いのであり、「軍人が政治に足を踏込むことは、あたかも商売女のために童貞を失える青年に等しい。ついには泥沼から足をあらうことは不可能に近くなっている。」(p105)というのである。
 一党独裁政治体制はナチスのやり方だが、コミュニズムを超える意図でコミュニズムから学んだものだ。その点、日本陸軍はドイツに学んだ。田中は陸軍の幹部教育に問題の源を見ている。陸軍大学では、陸軍幼年学校出身者はドイツ語とフランス語を学んでおりピーコロと呼ばれる一派であった。これに対して、中学からの進学者は英語が中心でデーコロと呼ばれていた。多分ここにはピーコロによるデーコロ差別があっただろう。ピーコロはドイツ主義にはまっていき、東条時代の軍幹部はピーコロによって占められていたという。これが軍閥の素になる。今の学閥と根は一つのようだ。
 ただ独裁的な中央集権体制が実はうまく動いていなかったことは中村丈夫の日記からも見えていた。主要産業の疎開も出来ないし、生産の集中にも失敗している。これは後のソビエト経済が失敗していく過程の雛形とも言える。独裁による意思決定体制は一見合理的であるが、『蜂の寓話』を持ち出すまでもなく、集合的意思決定や自由度の確保のできる組織がプラスに働いた時の効率には負けてしまうようなのだ。

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田中隆吉の『敗因を衝く』

     ( 『敗因を衝く』田中隆吉 中公文庫 4-12-201535-9 昭和63年7月10日初版、同7月30日再版。)
 海軍は開明的で陸軍は頑迷だったという俗信は今でも残っているようだが、著者の田中少将は中国大陸からの撤退を主張した開明的な陸軍軍人であった。彼は極東軍事裁判東京法廷で検察側証人としてA級戦犯に不利な証言をしたため、裏切り者とされ、さらに、彼の不安定な精神状況から、その言説全体が信用できないものと見なされて来た。また、旧日本軍の行為を正統であると信じる立場から見たときに、本書に書かれている内容は、はなはだ不都合なものだったので、軽んじられてきたようだ。
東条英機の指導体制についての批判は厳しく、当時の戦争指導者が抱えていた問題点を浮き上がらせている。東条英機への批判は、天皇に科せられる可能性があった戦争責任を、一身に負って死刑に処せられたことに関わって、両様に分かれている。昭和天皇の言説から天皇が東条のやり方を支持していたとは受け取れない。しかし、東条の発言次第で天皇の戦争責任が軍事法廷で追及される可能性もあった。裁く側の連合国で天皇の免責に熱心だったのはアメリカ軍だけだった。それも本土のアメリカ軍やアメリカ議会そのものの意向は二次的な意味しか持たず、駐留軍司令官マッカーサーとその周辺が強く意図していたに過ぎなかった。日本側の戦犯容疑者達は一様に天皇免責を目標としていた。検事側の証人であった田中もその点は一致していた。
東条の一言が天皇の戦争責任追及を促しかねない出来事があった。それは「天皇の命にそむく者はいない」という内容の発言で、これによって天皇を追及する側は勢いづいた。この発言を引っ込めさせたのは田中だった。田中はキーナン検事から東条の発言を撤回させるように依頼される。田中の工作は成功し、東条は、天皇は統帥部および自分の進言に従ってしぶしぶ開戦に承諾したのであり、その責任は天皇にはないと発言し、前言を翻したという。この件は田中隆吉の子息、田中稔が江口航の手記を引きながら、文庫解説「東京裁判と父田中隆吉」に記している。つまり、天皇の責任回避という点で、仇敵のような東条と田中は手を結んだのであり、天皇の軍人としての姿勢は一致していたのだ。田中は自分の行動の総括として、「自身としては陸軍の犯した罪悪の葬式をやった気持である。いいかえれば最も戦争を嫌っておられたにもかかわらず、陸軍のため手も足も出なかったお気の毒な天皇の無罪を立証するために全力をそそいだつもりだ。」と東京裁判が終わった後の新聞に答えたと田中稔は伝えている。

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2008/10/24

三冊の天皇


 このところ昭和史にはまっている。この夏には岩波から2冊、戦中・戦後の昭和天皇についての文庫が出た。朝日からは小森陽一の『天皇の玉音放送』が、玉音放送のおまけつきで出た。この三冊を並べてみると面白い。高橋紘の『昭和天皇1945-1948』(岩波現代文庫 978-4-00-603169)はこれまで好まれてきた平和愛好者としての天皇像に一番近い。それでも、マッカーサー司令部が天皇訴追を避けたのは、天皇の人格にうたれたマッカーサーが、その守護者になったという俗流解釈は採られていない。児島襄の『東京裁判』(中公文庫)などはその解釈から抜けきれない天皇観をとっていたが、もはやこの見方では、昭和史で果たした天皇制の意味を語ることが出来なくなっているのだろう。そうした見方の対極にあるのが小森の『天皇の玉音放送』(朝日文庫 978-4-02-261586-2)だ。天皇は天皇自身と神器に代表される天皇の立場を守ることしか考えなかった存在にされている。昭和天皇が利己的な行動をとったとする見方だ。ただ、この小森の著作は、先の大戦を中心にすえた天皇に関する言説として、資料的に最も明確である。豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫978-4-00-600193-3)はマッカーサーおよび進駐アメリカ軍との天皇外交の実態が新資料の蓄積によって、人格者天皇観にとどまらない交渉の過程を見ている。
 マッカーサーの回顧録を中心とする、昭和天皇が、戦争の全責任は自分にあったと発言したという伝説は、小森に言わせると「「全責任発言」はあったはずだ、といった推測や憶測を語る者らのことを考えれば、きわめて明確な結論を得ることができるだろう。それは、彼らや彼女らは、事実についていの推測や憶測を語っているのではなく、自らの欲望を語っている、という明確な事実だ。」(p225)と、天皇制を支えていかねばならなかった戦後日本人の希求として現れたことになる。
 こうした天皇の姿は立憲君主の姿なのだろう。人民にはその好む姿で理解され、慕われる。一方で、自己の必要性を認めるなら、どのような犠牲を払ってでも自分を支える体制を守るという姿勢である。開戦の決定は軍に自分の意志に反して、代表される国の総意に随い、終戦は自らが決定したとする矛盾も立憲君主としての論理からは整合するのではないだろうか。つまり、君主は統治できる、あるいはほしいままにふるまえる立場を、憲法による制約を受ける立場である。だから、憲法による議会が機能している間は、君主はその枠の中にいるが、憲政が衰えると権限を復活するのだ。それで終戦は可能になったし、この立場を利用することでアメリカは、コスト・パフォーマンスの高い形で冷戦に備えることができた。
 日本の天皇に比して気の毒だったのは満州国皇帝ではなかったろうか。溥儀が東京裁判でどのような証言をしたかは児島襄の『東京裁判』に描かれているが、彼は全てを日本軍部の差し金としなければならなかった。君主が非力である点は立憲体制と傀儡とに径庭はない。
 君主であれば節操は要らない。それよりは君主であることを守らないと、君主によって代表される集団が崩壊する。この考え方を引きずったまま近代社会に存続し続けることは困難でもあるが、その枠組みを外すことへの不安も未だに存在し続けているようだ。

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2008/09/06

『小さなメディアの必要』(津野海太郎 1981.3.25 晶文社)を読みました。

読了『小さなメディアの必要』津野海太郎 1981.3.25 晶文社
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 表紙の模様はタイ南部の森の印刷所、当時の解放区の印刷風景だそうだ。1981年であるから、描かれているのは解放軍スタイルだ。解放区の新聞でも作っているのだろう。印刷機は手刷りの謄写版である。この時期、日本ではすでに輪転式が主流になりつつあったし、プリントゴッコも世に出ていた。でも解放戦線の前線には重い機械やカラー印刷は不向きだ。この図版が引用された津野の記事は1978年に「エディター」に掲載されたものだから、この資料は1975年のベトナム解放直後のものだ。この書物にベトナムについての資料はないが、タイの解放戦線が使っていた謄写版はベトナム戦争でも活躍していたものと推測できる。日本の戦争が終わった後も、簡易印刷機の戦争はまだ続いていたわけだ。
 津野がこの図版の記事を書いたのは、ケルムスコット・プレスについての渡部省一のエッセイに対する反撥から始まっていた。渡部はモリスをクーラーの利いた書斎の飾り物にしているのだと津野は見る。でも実際のモリスはこの森の印刷所に直結する精神の上に印刷物を構築したのだいるのだと。
『物語・日本の占領』の中ではフイリピンの演劇活動が一つの要になって、話題は展開していたが、著者にとって、ガリ版に代表される個人や小集団が自己表現をするメディアは、著者自が直接携わった演劇集団と同質なのだろう。演劇集団もまた、メディアなのだから。
演劇集団もまたメディアであり、それがフイリピンでは民族運動につながっていた。この視点はベネディクト・アンダーソンには無かった視点だ。しかし、アンダーソンの視点と矛盾するのではなく、補完するもののように思う。アンダーソンの視点はヨーロッパを経由して世界につながるメディアだが、津野の視点はフィリピンの中に浸透するメディアだった。もちろん、どちらも一方向に流れるのではなく、双方向である。
 「ガリ版の話」という一章も立っていて、宮沢賢治が赤門前でガリ版屋の筆耕をしていたことなど、面白いエピソードであると同時に、『蟹工船』につながる少年労働者の辛酸を物語っても居るようだ。『ガリ版文化史』とは違ったガリ版の展開が点描されている。直接ガリ版とは関係がないが、この章で紹介されているフイリピンの写真集の使い方が面白い。写真集『フォトランゲージ・フィリッピネス』は数百枚の写真がバラバラにホルダーに収まっていて、それを見る人は九人から十二人の人々があつまり、この写真を床にばら撒き、各自が自分の気持ちにひっかかった写真を拾い上げて話し合うのだそうだ。KJ法に良く似ている。KJ法もまた、ミクロな情報活用法として出発したものだった。
 小さなメディアはコンピュータとネットワークの世界で、新しい展開をしている。次のガリ版は何だろう。

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2008/08/02

『ガリ版文化史』(新宿書房 田村紀雄 志村章子 1985.3.20 初版)を読みました。

 堀井の謄写版の生成から始まり、1980年代の謄写版終末期に至る多くの謄写版関係者の寄稿から成っている。謄写版の開発が1894年ごろからだから、本書まで約90年である。開発時代を知る人がかろうじて生きている時期に編まれた本だというところに意味がある。
 謄写版の製造・販売、またガリきりの技術者やシルクスクリーン芸術家の発言が中心になっているのだが、その合間に2.26の逸話などユーザー・サイドの情報も伝わってくる。出発時点で謄写版の第一歩を支えたのは軍隊だったことは明らかで、日清戦争がきっかけだった。その翌年1895年には大本営が軍事通信用に堀井の謄写版を採用したと、本書巻末の「ガリ版出版文化史年表」にある。ここからガリ版の全国的普及が始まるのである。
 軍隊による何かの普及というのはバカにならない現象だ。その一つが謄写版だった。徴兵された日本の男子のほとんどが、この簡易印刷機の存在を知ったわけである。堀井謄写版の営業努力もあるが、謄写版は全国の役場や企業にも普及した。軍隊で知った謄写版が除隊して職場に戻ったら、身近にあるという現象が起きたわけだ。そして、学校での普及は軍隊に入る前に謄写版の基礎技術を身に付けさせることになった。技術のいたちこっこである。このころの情報リテラシーは謄写版から始まっていたのだ。
 だが、この書物には合羽刷のことが出てこない。伊勢型紙の存在でも分かるように、江戸時代から型紙を使って刷る技術は存在していた。それを謄写版を作った人々が知らなかったとは思えない。この点は疑問のまま残った。
 現在、急速に謄写版はなくなっている。リソファックスはその発展形態だが、これとても複葉機とジャンボジェットほど違う。すくなくともガリ版とはもう呼べない。うちにも二台の謄写版が数年前まであったのだが、今はもうない。ガリ版で作った同人誌は残ってはいるものの、出来上がった書物からでは学生たちに謄写版印刷の果たした文化的役割を説明するには充分でないような気がする。

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2008/08/01

『昭和史発掘』(松本清張 文春文庫 1-10 4-16-710699-x(1))を読みました。

 最初から意図されていたのかどうかは分からないが、この作品に並んでいるのはバラバラにみえてもある線でつながって2.26に流れ込む連関をもっている。“昭和史の点と線”なのだ。そのバラバラさとなんとなくまとまる大事件との関係は、『平家物語』や『太平記』のような大きな軍記物語の流れにも似ている。
 この流れの中に気づいたことが二つある。一つはお定まりだが、暗殺だ。“尊王””維新”を唱える青年将校たちだから、幕末の倒幕運動を雛形にするのは良く分かる。皇道派は勤皇を自認し、統制派を佐幕派とみたてたことなどその表れだろうが、桜田門や坂下門の暗殺、刺客も彼らが真似るところとなった。加えて、忠臣蔵も彼らの雛形となった。清張自身が処刑直前の青年将校たちを切腹前夜の赤穂浪士になぞらえて描写する場面もあるが、内部に引用されている当時の資料に青年将校たちが頻繁に忠臣蔵を持ち出していることが見える。この事実は、真山青果が『元禄忠臣蔵』を昭和九年から書き始めていたことを考えあわせると面白い。昭和九年は2.26の直接のきっかけになった永田鉄山が軍務局長になり、統制派と皇道派の抗争が激しさを加えてきた年である。既に5.15や血盟団事件など暗殺の時代は始まっていた。青果はこの時点から2.26を超えて書き続けたわけだ。その側に自分たちを義士になぞらえた人々もいたのである。彼らの刺客、あるいは武士道観は江戸時代の意識を引きずっていたと考えられるのだ。
 この蹶(決)起の重要アイテムに謄写版がある。マクルーハン流に言えば、“ガリ版がなければ2.26は起きなかった”となるかも知れない。松本清張の記述には、謄写版資料が頻出する。多分これらは福岡の清張資料館に今もあるのだろう。この作品に限らず、たとえば、三一書房の『現代史資料 国家主義運動』に集められた怪文書は多くのガリ版刷りであり、これが蹶(決)起した人々に与えた影響は甚大だった。事件当時、銀座の伊東屋に反乱軍将校がガリ版を買いに来たという記録も『ガリ版文化史』(新宿書房 1985)に玉川一郎の『雑学のすすめ』からの引用として出ている(p150)。彼らは宣伝・連絡・作戦用地図などなどにガリ版を多用したのである。
 ラジオはまだ大きな力を果たしていない。難聴地帯が広かったのか、この作品でも良く聞こえなかったように記している。清張は反乱軍が放送局を抑えなかったことを不審としているが、まだそれほどの意味のある施設ではなかったのだろう。その代わり伊東屋にガリ版を買いに行ったのだ。これが、彼らの反乱部隊に東京の麻布近辺の部隊しか組織できなかったという限界となり、彼らの敗北につながった。それでも、大塩平八郎のときは木版の檄文だったから、謄写版になったのは少し成長したと言えるだろう。

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2008/07/15

『ユダヤ人のブナの木』(ドロステ・ヒュルスホフ 番匠谷英一訳 岩波文庫)

 最初に買った岩波文庫はイソップかこれだ。中学生のときで、当時、岩波文庫の値段は星の数で表示してあった。この本は星一つ。当時は20円だったんじゃないだろうか。奥付は初版が昭和28年8月25日で、僕のは昭和32年1月25日第四刷だ。なぜこの本を買ったのだろうか。今となっては覚えていない。星一つだったというのが大きな理由だったに違いない。今までこれを読まずにいたというのも一つの謎だ。五十年書架に寝ていたことになる。確かに買ったけど読んでない本は他にも山のようにあるが、最初に買ったかもしれない岩波文庫を読まないまま放置したというのも我ながら腑に落ちない。
 ではなぜ今よんだか。それは『ミヒャエル・コールハースの運命』と比較される作品だからだ。クライストは1781年生まれで、ヒュルスホフは1797年だから、ほぼ同時代の作家である。題材となった事件でいうと、コールハース事件は十六世紀で、『ユダヤ人のブナの木』は十八世紀だから、背景は百年以上違う。両方の作品に共通するのは、中世ドイツの庶民生活と犯罪だ。そこでは領主との関係が対照的に描かれる。コールハースは領主権力との対峙が作品の中心だ。それにルターが絡むところなど、歴史的背景に広がりがある。ヒュルスホフでは領主は鰥寡孤独を良く養う慈愛に満ちた存在だ。描かれる犯罪は、ご用林の密伐と金貸しのユダヤ人殺しである。密伐者は青シャツ隊と呼ばれる揃いの青シャツを着た一群で、これは史実に基づいている。偏見を持ってユダヤ人が描かれているわけではないが、異質な集団ではある。コールハースとの比較を試みるよりも、グリムなどに影響をうけたと思われる森やその中で生きる人々の描写に魅力がある。意外な結末を迎えるサスペンスとしても充分に読める作品だ。新しい訳かリライトが出てもよさそうな作品である。

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2008/07/12

『さかしま』(J・K・ユイスマン 訳・澁澤龍彦 河出文庫 978-4-309-46221-9)を読んで。

 貴族の末裔デ・ゼッサントがルウルの城館を売り払ってフォントネエに数寄を凝らした屋敷をこしらえ、そこで暮らすが結局は体調を壊してパリに戻るまでの話で、筋らしい筋はない。訳者の澁澤龍彦は「ユイスマンを自然主義作家グループのなかに分類して事足れりとする大雑把な文学史上の定説には、わたし自身は一顧も与えないであろう。そもそも文学史上の通説をはみ出るような部分にしか、わたしの興味はついぞ向いたことがない次第なのである。」と言う。ユイスマンの人物はゾラの描くような陋巷の人物ではないが、ゼッサントは貴族の末裔として、「かくありなん」と思えるほど自然に描けている。もっともユイスマンの自然主義論は『彼方』(創元推理文庫)の冒頭に、二人の登場人物によって展開されている。それは決して反自然主義というものではないように見える。
 フォントネェはノルマンディ地方に実在するが、そこなのだろうか。わからない。土地の現実性はこの小説にとってたいした問題ではない。そこに建てた奇妙な家が中心になる。もちろん、デ・ゼッサントの退嬰した内面をあらわした家なのだ。
 デ・ゼッサントはゴヤを好いている。だが、ゴヤの作品が人々の賞賛を得ているのが気に入らない。だから、ゴヤを目に付くところにはかけない。「さっそく誰か阿呆な人間がやってきて、その前に立ちどまり、さんざっぱら御託を並べたり、利いた風な様子で感心して見せたりするぐらいのことはしかねまい。」(p142)と考えているからだ。この考えは、他のものにもあてはまる。
「芸術作品が、贋物の芸術家に無視されるということもなくなり、馬鹿者に否認されるということもなくなり、一部の者に熱狂的賞賛を買うことのみで満足しなくなったならばどうであろう。そうなったら、真に鑑賞力をそなえた者にとっては、その芸術作品はついに汚れた、平凡な、ほとんど嫌悪の念を起こさせるようなものと化してしまうにちがいなかろうではないか。
 こうした芸術作品鑑賞の通俗化こそ、しかし、彼の人生最大の悲しみの一つであった。作品の不可解な成功のために、かつては彼にとって貴重であった絵画や書物が、永遠に損なわれてしまう場合も多かった。大向こうの一致した賛同を前にすると、彼はついにはその作品に、目に見えない価値の低減を発見し、いったい自分の鑑定眼は鈍ってしまったのだろうか、なにか勘違いをしたのではなかろうか、と思いつつ、そうした作品を斥けてしまうのを常とした。」(p143)
 複製された作品からオーラがなくなるように、大衆化した作品はダメなのだ。だからデッサントは印刷という、作品を普及するためと一般には信じられる技術を一冊しか作らない本のために使う。
「かつてパリに住んでいた頃、彼は自分ひとりのために、特別に雇入れた職人が手で動かす印刷機で刷り上げた書物を、何冊か作らせたものであった。あるときはリヨンのペラン印刷所に援助を求めたが、ここの工場のほっそりした綺麗な活字は、古い書物の擬古趣味的な翻刻に適していた。あるときはイギリスやアメリカから、今世紀の著述の製作のために、新しい活字を取りよせたこともあった。」p196
 紙に対しても装丁についても、彼は同じように凝る。しかし、活字についてのこだわりは、ずっと特殊なものだ。大抵の読者にとって、活字はえらべるものではないからだ。彼は大抵の読者であることを拒否するのだ。大抵の人であることも拒否している。つまり貴族の末裔なのだ。
 弘前に津軽の殿様が彫らせた板木が残っている。『独楽徒然草』という書物だが、不思議なことに伝本が少ない。板木は作らせたが、摺っていないのかも知れないと、板木を見た人は疑っている。ここにもデッサントのような本つくりがあったのかなと思う。
 デッサントの流行感は人情本の「いき」な人たちに通じるところもある。『春告鳥』の一節に、流行語「じんすけ」が「いき」な言い方だと、そこいらの小僧まで使うようになってしまい、「いき」な人たちは、もとの言い方、「やきもち」にもどってしまったとわざわざ作者が注記している(小学館日本古典文学全集『洒落本・滑稽本・人情本』p509)。こちらもみんなと一緒じゃいやなのだ。
 しかし、人情本の「いき」はみんなが追っかけてくることが前提になる。見向きもされれない単独走を求めているのではない。みんながやって来るちょっと先に居る快感が「いき」であることの代償らしい。デッサントの方はすなおにそんな優越感に浸ってはいない。みんなから離れ、絶縁したいとさえ願うのだが、それはそううまくは行かないのである。
 フランスの自然主義の影響下に帰朝した永井荷風が、人情本を好んだことは良く知られている。ゾラからの影響を受けた荷風だが、ユイスマンとの距離も考えた方がよさそうだ。

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2008/05/30

『暗黒日記』をよみました。(三冊。清沢洌 ちくま学芸文庫 )

『暗黒日記』三冊。清沢洌 ちくま学芸文庫 1、2002.6.10初版 2007.2.25 3刷。4-480-08711-7。 2、2002.7.10初刷 2005.7.20 2刷 2002.8.7480-08712-5。3.初刷 2008.7.20 3刷 480-08713-3
 ダワーの『容赦なき戦争』、津野海太郎の『物語・日本人の占領』、長谷川煕の『アメリカに問う大東亜戦争の責任』などを読んで、その上前坂俊之の『太平洋戦争と新聞』を読むと、もう読まずにはいられなくなる。
典型的な大正リベラリスト清沢は、軽井沢に別荘を持ち、ゴルフを楽しみ、英語に堪能で外国生活が長い。まさにブルジョワ都会人だ。当時の一部からは鼻持ちなら無い西洋かぶれと見なされたろう。その彼から見た戦時下の状況は、大衆の無知、それを煽る神がかり知識人、権力闘争にあけくれる陸海軍軍部、骨がらみの官僚主義などなど、まともな状況ではなかった。
 彼にとつては、戦中の統制は共産主義的であり、ポルシェビキと帝国軍人の間にさほどの径庭は無い。「軍国主義とマルクスと、ゴッチャになって統一のつかない頭の如何に多きことよ」と全体主義の正体を看破する。戦時下の肉体労働者の専横と知識階級の疲弊もまた、社会主義化の弊であった。二・二・六の首謀者たちが目指した国家社会主義がある程度具現化した結果がこうなったのである。
 20年の4月27日の記事では正宗白鳥を訪ねている。「それでなくても風采のあがらない人が、厳寒を高原に送って、むさ苦しい田舎労働者となり給う。」と言い、「彼その生活を呪う。飢えと寒気と戦って、ただ生きてきたと、吐き出すようにいう。無知の農夫や労働者が、高い闇相場の金をとって、しかも王者のように威張り通す。誰もかれも乞食だと。」共産主義的であり非合理的な軍国主義を呪う根底には、この白鳥のような不如意感がわだかまっていたのだろう。
 中央公論が廃刊に追い込まれた後、石橋湛山の東洋経済によって評論を発表し、講演活動に従事していた清沢だが、言論報国会を始めとして、体制は彼を排除していた。いつ憲兵や特高に捕まってもおかしくない位置に身をおきながら、危険な発言を婉曲化して、結局は逃げ切った。現実への幻滅があるから、表面をつくろうことが出来たのだろう。日記は公にする発言よりも無防備だが、それでも没収される危険は感じていたようだ。

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2008/05/02

『マックス・ハーフェラール もしくはオランダ商事会社のコーヒー競売』を読んだ。

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『マックス・ハーフェラール もしくはオランダ商事会社のコーヒー競売』ムルタトゥーリ 佐藤弘幸訳 メコン ISBN4-8396-0163-1 2003.10.6初版

 背中がぱっと開いたドレスのような箱と表紙の関係が良い。黄色の部分は表紙で、箱は四角く穴が開いている。
オランダのインドネシア植民地支配を精神的に追い込んだように言われる本書だが、遊び心が一杯で、詩情にもあふれている。中の、サイジャとアディンダの挿話は、植民地の悲恋物語として独立した書物になったが、こうした物語が植民地支配の非人間性を浮き立たせたのだ。世界を変えた小説の一冊である。
 ムルタトゥーリはエドゥアルト・ダウエス・デュッケルのペンネームで、これはデュッケルの体験を小説化したものだ。作家の人となりは、作中の真面目な主人公ハーフェラールとは違い、放蕩で奔放、反植民地意識を持つ人でもなかった。
作品の背景、ルバック事件は1856年、日本では安政三年の事件である。オランダ統治下の現場の責任者にあたる副理事官が、現地人の族長による現地民の使役、収奪を阻止しょうとし、また前任者の毒殺にまがう死に方を、総督に訴えようとして、逆に解雇された事件である。この副理事官がデュッケルだった。
彼はこの時の記録をオランダ人作家で政治家ファン・レネップに託して1860年に出版してもらったが、保守的な思想を持つレネップの手により、植民地政策に反する部分が削除された。その後1874年にレネップから著作権を取り戻したデュッケルは、失われた元原稿内容を記憶で補訂しながら第四版を出版した。彼の死後、第二次世界大戦後1949年に元原稿が現れ、再び出版されたのである。書誌学的にも面白い経緯の本だ。どうやらこの経緯は、オランダの植民地政策の変更年次と関係があるようだ。
この小説では現地民の上に立つ族長クラスが現地民を収奪する。直接的なオランダ人の横暴は描かれない。族長クラスはオランダの植民地支配に組み込まれており、その横暴を抑止する役割を負っているのが、総督・理事・副理事とその下に連なるオランダ人組織だという位置づけがされている。植民地の収益を上げながら現地民の生活を保障するのが彼らの任務である。この作品は、現地民保護という本来業務を遂行する善玉副理事官に対して、横暴を行う悪玉の現地指導者とそれを黙認する植民地支配階層という対立でこの作品は出来上がる。この副理事官がオランダの理性と植民地の正当性を代表するのである。
十九世紀のヨーロッパの人権意識と植民地の現状との間で引き裂かれるヨーロッパ人の知性という問題が当然浮上する。また、現地指導者が悪玉になることによって、その元にある現地民の悲惨を救うためにも、善玉の宗主国支配者が必要になるという植民地肯定の思想が前面に出る。作者デュッケルがこの小説で名を成した後、再び植民地関係の職を漁ったと言われるように、植民地支配を積極的に肯定しているのである。
プラムディアの『人間の土地』三部作はここで悪玉にされた現地指導者クラスが中心となる。時代も一世代ずれて日露戦争あたりが背景となっているのだから、対称的といえる。ムルタトゥーリからプラムディアへという流れが存在している。
この作品の記述方法も特徴的だ。作中で、ハーフェラールの物語はコーヒーの仲買人ドゥローストッペルが同窓生シャルーマンから預かった原稿の中に、この物語があったという設定だ。シャルーマンはハーフェラールに自分の記録を託したと見られるのだが、それはもちろんデュッケルの体験である。ここで語り手が三重になる。ドゥローストッベルはこの手稿を居候のドイツ人、シュテルンにオランダ語の勉強のためにと編集させる。ドゥローストッペルは零落したシャルーマンを軽蔑しているが、原稿の中にあるコーヒーの取引に関する文書に興味があり、シュテルンにまとめを命じる。しかし、シュテルンの文学的方法に我慢がならず、時々シュテルンのまとめの中に割り込んでくる。サイジャとアディンダの悲恋などドゥローストッペルから見れば、全く不要な挿話に過ぎないのだが、シュテルンは断固としてこれを物語に入れてくるのである。
戯画化されたオランダの実業人はそのまま植民地支配を支える人々であり、現地の悲惨を描く点ではプラムディアのような作品に劣るとしても、宗主国での認識・意識を描いていたのである。
安政三年はハリスが下田に着任した年で松下村塾が開かれた年でもある。オランダは日本における権益を失いつつあり、しかし、まだ日本にとって重要な外交窓口だった。ただ、中継ぎとしてのインドネシアが積極的な機能を果たせる状態でなかったことがこの小説からもうかがえる。そんな興味を持ってこの小説を読むこともできる。
そうそう、サイジャとアディンダの話には、「浅茅が宿」に通じるものがある。対称的な所もあるのだが、一度ゆっくり考えて見たい。

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2008/03/29

『やむを得なかった歴史 狂信の時代・ドイツ作品群1 1933-1938』M・ライヒ=ラニッキー編を読みました。

 闇への介入 フランツ・ナブール 心臓縫合 エルンスト・ヴァイアス 去り行く雲 ヘルマン・ブロッホ マレージ A・レルネート=ホレーニア ネッカー河畔の薬屋 エルンスト・グレーザー 白いダリア E・ラスカー=シューラー リゼロッテの臨終 アグネス・ミーゲル 俳優 オスカー・イェリネック 陶器でこしらえた女 ハイミート・ドーデラー 僧正の金羊皮 ヴイルヘルム・シェーファ 似て似ぬ姉・妹 シュテフアン・ツヴァイク 工兵シャメス アルノルト・ツヴァイク 過去の迷路 アルビン・ツォリンガー エル・グレコ大審問官を描く シュテファン・アンドレス ある農婦の死 アルブレヒト・ゲース 三つの靴を持った男 F・ヘルツマノフスキー=オルランド 真珠 R・G・ビルディング 犠牲の炎 G・ル・フォール 愛ゆえに フランツ・ヴェルフェル 
 以上の19編から成る作品集で三巻の内の上巻にあたる。「エル・グレコ大審問官を描く」が『スペインを追われたユダヤ人』(小岸昭 人文書院 1992)に紹介されていたのがきっかけで古書を探して読んだ。この作品は、異端審問官ヌーニョ・デ・ゲバラと、異端に問われる可能性を秘めたエル・グレコ、グレコの親友で兄を異端糾問による火刑で喪った医師カサリアの葛藤が主題になる。ゲバラはグレコに自分の肖像画を頼み、作成中に発病する。グレコはカサリアを医師として推薦する。その過程を描写しているのだが、この作品の成立した年代を考えれば、ナチスのユダヤ人弾圧の比喩になるのだ。この肖像画は実在しており、『スペインを追われたユダヤ人』にモノクロながら紹介されている。
この作品集の対象とした年代から、ナチスの影が色濃みえるように考えられるが、作品にはっきりナチスが出て来るのはヘルマン・ブロッホの「去り行く雲」だけだ。むしろ一次大戦の敗戦が影を落としている。
レルネート・ホレーニアの「マレージ」はオーストリア騎兵の馬への愛の物語だが、これには敗戦とそれに伴う没落が描かれる。マレージは馬の名だ。元の持ち主はフォン・ヒュブナー、貴族である。馬は彼の牧場で生まれた。ヒュブナーはその馬とともにオーストリア騎兵として参戦したが、戦にはもはや騎兵の活躍する場はなく、馬は捨てられ塹壕戦に明け暮れた。敗戦ののち、事業にも失敗したヒュブナーはウイーンで荷馬車を引いている老残のマレージを見つけ射殺する。御者に訴えられて裁判になり、その場で彼と馬の物語が語られるという形でストーリーは進行する。結末の甘さはともかくも、馬に対するこだわりは『ミヒャエル・コールハースの運命』における馬とも同様で、現代人の失った感覚の一つだ。
 オスカー・イェリックの「俳優」は『新潮』に連載中の「日本小説技術史」(渡部直已)第一回(2007年12月号)を思わせた。渡部氏は冒頭の「小説と人生、あるいは「真物並びに或物」で「当たり前の話だが、たとえば、路上前方で待ちかまえる味方に、最後の力を振り絞って胸のたすきを手渡す一瞬、これではまるで駅伝ではないかと心に呟く長距離ランナーというものは、いかにも考えにくい。警察手帳をかざして制止ロープをくぐり、あたりをつぶさに観察する自分の仕草が、現場捜査に似いてると感じる刑事もありえまいし...」と虚構と現実の交錯を逆手にとって、現実にありながらあたかも現実のようだと感じることはありえないとする。それは続けてとりあげている江戸時代の小説技法の考察に関わっているのである。江戸文学の持っていた作者と読者の混交を入り口に考察を進めていく。近代小説の技法の考察に、江戸小説の方法を適用するのには若干の疑義があるが、完結を待って考えて見たい。イェリックの「俳優」は楽屋落ち的な江戸小説の感覚ではなく、自我意識に関わる神経症的一面を押し出してくる。これを舞台に乗せたらどうなるだろうと考えたくなる。
 シュテファン・ツヴァイクの「似て似ぬ姉妹」も主体の危機を主題にする。奔放な遊女の姉と貞淑な修道女の妹の“とりかえばや”という、大人のメルヘンでありながら、ルネ・ジラールの欲望の三角形を演習したような作品になっている。
 こうした時代を区切ったアンソロジーというものは、編集者の時代観によって左右されるだろうし、まして戦後の激しいナチス批判の中から出てきた編集物だから、この内容がそのままその時代を映したとは言い切れないところがあろう。それでも、そこには現代にもつながる時代相が読める。誤植が多いのが気になるが、こうした書物が近年出版されなくなったことは残念だ。

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2008/03/06

 “Undre three flags Anarchism and the anti-colonial imagination” Benedict Anderson First published 2005 Verso London ISBN978-1-84467-090-1 読みました。

 フィリッピンの民族運動を初期グローバリズムの中で位置づけるというのが本書の狙いだ。そこに初期グローバリズムを見るのだが、既に早稲田における講演を元にした『ベネディクト・アンダーソングローバリゼーションを語る』(梅森直之編著 光文社新書)で19世紀末のナショナリストたちが、他国のナショナリストとの間に有形無形の連帯を形成していたことに触れていた。リンクの中心にはアナーキストが存在し、また、スペインを宗主国とするキューバ、プエルトリコなどのイベロ・アメリカーナとの接触も重要だった。パリは接触の場だった。ゾラの時代である。そして印象派の時代でもあった。印象派の評論家、フェリックス・フェネオンはアナーキストでもあった。彼が爆弾を仕掛けて投獄されたことは本書にも出てくる。シニャックの描いたフェネオンの肖像画は浮世絵の影響を受けていると言われるが、浮世絵受容を積極的に行った人々が政治運動の至近距離に居たことを考える必要がありそうだ。アナーキストと浮世絵のカンバスの上での出会いだろうか。
 アンダーソンの著作が、メイン・テーマで読者の目を啓いてくれることは言うまでも無いが、小さな逸話がいつも魅力的なのだ。本書でも、マビイニ(Mabini)というアギナルドの同士だった反米ゲリラの話は、『平家物語』の俊寛を思わせる。米軍に捕まったアギナルドはあっさり米国による植民地政策に服従する誓いを立て釈放されるが、マビイニイたちは服従の誓いを拒否、”toropical Siberia”、流刑地であったグワムに流される。南洋のシベリアという命名もすばらしい。そこで何回か、服従の誓いを代償に恩赦の話が伝えられるが、マビイニイは全て拒否し、遂に進退窮まって承諾し、マニラに帰還した三ヶ月後にコレラで死んだという(本書p224の注128)。彼が俊寛の話を知る由もないが、あの芝居が戦後しばらく、ソビエトを含む各地で上演され、好評を博した裏に、共通する流罪体験を考えたくなってしまう。それも案外近代的な体験なのである。
 アンダーソンはこれまで、フィリッピン民族運動をホセ・リサールを中心に語っていた。本書ではもう一人の人物が登場する。Isabelo de los Reyesという民俗学者だ。柳田国男が民俗学を志したのは、鉄道に象徴される近代化の波が日本土着の習俗を押し流してしまうという恐れ、一種の民族的危機意識からだった。イザベロは民俗をナショナリズムに転嫁した。独自の民俗として認識するだけでは、後進性と結びついてしまうが、イザベロはスペインの迷信を知ることで、後進性を相対化してしまう。民俗学の民族的機能が働いたのだ。そしてここには、リサールからだけでは充分に見えなかったタガログとイロカナの対立も働く。タガログのリサールはイロカナのイザベロを認めなかったようだ。イロカナのイザベロの志向するフィリッピンの民族とリサールのそれとの差は、本書の触れるところではないが、東アジアの民族意識を考える上で、見逃せない問題があるようだ。
 津野海太郎の『物語・日本の占領』(平凡ライブラリー)はフィリッピン占領統治を扱っていた。第二次大戦中のことだから、リサールもイザベロと直接関係しない。ただ、そこで触れられていた反日演劇は、津野はボダビルと呼ばれたアメリカのボードビルもじったショーと結び付けているが、イザベロがアメリカ統治時代に芸能を活動に結び付けていたことなどが、占領下の抵抗の母胎となっていたかも知れない。
 日本との関係で言えば、リサールにアメリカ旅行で同行した末広鉄腸とその周囲の人物達を見る必要があるだろう。幸いなことに鉄腸の『大海原』は国会図書館の近代デジタル・ライブラリーで読むことが出来る。リサールをモデルとした小説である。頭山満等がリサールとその後継者の運動を助けようとしたのも初期グローバリズムの延長にあったといえよう。しかし、それを看板にした南方進出は大きく照準を狂わせていたようだ。
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 表紙(図)にある三つの旗は、リサールの没後、彼を始祖と仰いだ武装ゲリラ、カティプナンの旗とアナーキストの旗、そしてフィリッピン国旗だ。

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2008/01/12

『或る戦時日誌』中村丈夫

 『或る戦時日誌』中村丈夫。鹿砦社 昭和五十二年二月十五日初版
 海軍の東堂太郎だなと、読んだばかりの『神聖喜劇』の印象に引きずられたせいか、思ってしまう。こちらは実体験であり、小説とは異なるが、書き手の知識、教養、覚悟のあり方まで似ている。こちらの書き手は海軍の主計中尉で、航空畑の人だ。横須賀から航空総局、九州軍需監理局を経て終戦となる。軍の中枢にいたため、外電を始めとする情報に事欠かない。その点では、創作された東堂とも違って、サスペンスは無いが視野の広さが当時の状況を俯瞰させてくれる。中村は当時の軍人の中でも際立って情報には恵まれていたし、マルキストとしての立場によって、日本と米英に対して距離を置いて見ることが出来ている。敗戦後まで続く記述で、マッカーサーの方針を突き放して見ることが出来ているのも彼の思想的立場に拠るだろう。これが反米ナショナリズムとある程度似通ってもいる。
 航空総局という立場上か、決戦への集約を怠る軍上層部や、疎開を怠り結局戦力を落としている財界、官僚、政治家の無能がうまく説明されている。特に、情緒に流れない分析的な記述が、戦争遂行体制における意思決定の欠如、無責任体質を洗い出している。統帥権の問題点がここでも明らかにされていた。
それに対して、ともに戦っている兵士たちへの思いの深さは。付録の「吹流し標的殺人事件」に集約されている。事実の淡々とした報告だが、軍人としての姿勢が良くわかる。
古い出版なので、図表などが省かれているのが残念だ。また、幾許かの省略もあるようだ。完本が読んで見たくなる作品だ。
版元の鹿砦社はいまでこそアブナイ本屋だが、このころはこういう書物も出していたのだ。
古い本なので姿を載せておきましょう。
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2008/01/07

『スペインを追われたユダヤ人』を読んだ。

 『スペインを追われたユダヤ人』小岸昭 人文書院 1992.5.20初版 4-409-24038-2
 スペインのイザベラ女王時代、追放されたセファルデイ、マラーノと呼ばれた改宗ユダヤ人とその思考、意識がドイツ文学の分裂した自我意識の源流となっていることを説いている。1492年、イザベラとフェルディナンドはユダヤ人のスペインからの追放令を発する。「一国一民族一宗教」という考え方がはじまったのだ。改宗すればスペイン在住を赦されたので、カトリックとなってスペインに残ったユダヤ人も居た。彼らはマラーノ(豚)と蔑まれ、新キリスト教徒と呼ばれた。改宗を拒否した人々がまずスペインを脱出する。狭義のセファルディと呼ばれる人々である。しかし、新キリスト教徒たちも無事では済まず、彼らには隠れユダヤ教徒としての嫌疑が、強引にかけられ、異端審問の対象にされていく。多くの火刑と虐殺が行われ、出国を計るユダヤ人が続出する。古く中東から直接ヨーロッパに入っていたユダヤ人、アシュケナージに対して、スペインから流浪したユダヤ人をひっくるめて、セファルディと呼ぶが、その中には新キリスト教徒たちも多くいたのである。
 ポルトガルは最初ユダヤ人を受け入れた。スペインからポルトガルのベルモンテに抜ける道が、ポルトガル王から示された退避路だった。そして、ユダヤ人からの人頭税を取り立てた後、1496年には、ポルトガルのユダヤ政策がスペインとの合同によって、スペイン並みになり、異端追及が激しくなる。エストレーラ山脈に隔てられたベルモンテには、その地に住み着いて、隠れユダヤ教徒として暮らした人々いた。この人々は、1917年、ドイツ系ユダヤ人の鉱山技師サムエル・シュヴァルツによって見出されるまで、隠れユダヤ教徒であることを秘密にし続けていたという。これをきっかけとして、スペインのユダヤ研究が行われた。特に、ナチスによってアウシュビッツで殺されたフリッツ・ライマンの仕事が本書の根幹になっている。
 ベルモンテという地名はヨーロッパにはありふれていそうだが、『ヴェニスの商人』のポーシャが住むのもベルモンテだ。恋人ロレンゾーのために父シャイロックを裏切ったジェシカもそこに居るのだが、父親を裏切って非ユダヤの男と一緒になる話は、セビリアのユダヤ人反乱にまつわる話にもある。1481年に始まるセビリアのユダヤ人弾圧の際に、ユダヤ人指導者のディエゴ・デ・スサンはマラーノを集めて反乱を計画した。ところが、娘のフェルモサ・フェンブラが恋人の騎士のために仲間を裏切り、反乱は未遂に終わった。後にディエゴ・デ・スサンは火刑となり、娘は財産を取り上げられ、修道院に収容された。彼女は死に臨んで、かつての自宅の壁に自分の頭蓋骨を取り付けて欲しいと遺言したという。その頭蓋骨は1930年にフリッツ・ハイマンが実見したという。
 ベルモンテという地名と父を恋人ゆえに裏切るユダヤ人の娘という二つの要素だけで、『ヴェニスの商人』との関係を云々するのは危険だが、セファルディの伝承がシェークスピアの耳に入っていたかも知れないと考えるのは面白い。

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2008/01/05

『神聖喜劇』のつながりで、『権利のための闘争』(イェーリング)を読みました。

『権利のための闘争』イェーリング 村上淳一訳 岩波文庫 ISBN4-00-340131-X 初版1982.10.18 38刷2007.6.5
 『神聖喜劇』が依拠する書物として読んで見たのだが、コンプライアンスの古典的根拠として読めてしまった。今のコンプライアンスは経済活動に引きずられたグローバリズムの中で、顔の見えない活動に、安心を与える手立てだと思う。交換に関わる信用は、狭い世界では作り手と知り合うことで支えられていたが、少し広がるとブランドが信用を担い、さらに拡散して法的な規制が信用を支える。規制内容を明示し、生産過程を含めた規制の履行過程を公開することで信用が確認できる。秘匿やごまかしは、明らかになれば信用を崩壊させる。
規制による信頼は、供給者による遵守のみを前提とすると、一方的な関係となる。前提が崩れれば制度全体が崩壊してしまう。生産関係だけでなく、社会構造全体が危機に瀕する。そこで必要になるのは、公開された規制に反するものを告発する仕組みである。そうすれば、関係が双方向になる。
『蜂の寓話』に代表されたような、近代的個人の自由な欲望追及を認める社会では、その上で規制を遵守するために、違反の発見と違反の抑制手段の確保が必要で、個々人の規制熟知と告発促進が必要になる。それは、最大限の利益を追求する側には、不都合となる。そこに、すくなくとも表向きは告発・指摘を禁止しない形をとりながら、実際には抑制するという両義的な態度が採用される。
『神聖喜劇』にある旧日本軍の妙な法治主義にはこの両義性がある。主人公東堂二等兵の懸念であるブルジョワ法治主義以前の体制としての軍の体制は、統帥権という血縁共同体的理念を基とした特別権力関係を基盤に成り立っていた。東堂二等兵がイェーリングの思想によって権利=法の主張を行いながらも、ぬぐえない不安を抱いていたのはこの部分があったからだ。
日本軍の不合理性に無意識の父性を見たのは河合隼雄だ。残虐行為の根底にもこれがあった。『神聖喜劇』で残虐を代表する大前田軍曹は、時にブルジョワ合理性以前の存在として東堂二等兵を脅かす。それは統帥権の持つ父権的性格に由来しそうだ。
東堂二等兵の精神の中に活きているものとして、士族に継承された精神環境があった。これは新渡戸稲造が『葉隠』を用いて明治体制向けに修正した“武士道”とは異なる士道である。『神聖喜劇』の中には、繰り返し武士の精神が出てくるにも関わらず、新渡戸・『葉隠』的なものへの言及が抑制されている。東堂の士道は家を中心とした高い自立性をもった精神構造である。この精神構造は、馬琴などに見られる形であって、明治以降の“武士道”より古層にあったものだ。
『権利のための闘争』の村上淳一の解説によれば、ドイツの権利=法の意識は、「君主が一定の領域について統一的秩序形成の主導権を握りながらも自己の意思を直ちに普遍的な法規範として強制するだけの力をもたず、家長たちの実力によって基礎付けられ、かれらの裁判共同体によって承認されたもろもろの具体的機能の総和を正しい法秩序の主要部分と考えるしかなかった時代」に形成され、絶対主義の時代に入っても、その部分は、伝統的な意識として保持された。それが近代国家に移行する際には、国家が個人の権利を保証し、個人は権利を正しく行使する義務を負うものとする考えに統合されていったとする。
この過程は日本の“武士道”の展開に似る。中世の武装自立する集団の論理がより大きな共同体の内部論理に変化しながら起源的性格を保持する点は同一である。西周等、明治新政府高官が、イェーリング説の移入に働くのもこの類同性によるかも知れない。それは東堂二等兵の背景にも通じている。
 イェーリングは『ヴェニスの商人』のシャイロックとアントーニオの契約について、ポーシャのやり方、つまり「血は一滴たりとも」という判決は、証文の有効性を裁判所が認めた上、判決、具体的法適用が言い渡されているにも関わらず、執行を不可能にする条件を付加したやり方は、不法だと見る。これは支払い場所が明記されていないという理由で、債務者が潜水夫なら海中で、屋根葺き職人なら塔のてっぺんで受け取れというのと同じだというのである。これに対して19世紀の間にも数多くの反論がなされたようだ。さらにそれに、イェーリングは反論している。
もともと裁判官が偽者なのだから、裁判の有効性は疑わしい。でも、誰かが気づいて裁判を無効にしない限り、この裁判は有効なのである。また、この契約が公序良俗に反するなら、判決段階で契約=証文の破棄がおこなわれるべきで、判決が出た時点でこの疑義は消える。ポーシャの判決には二つばかり気になることがある。一つは「クリスト教徒の血を一滴でも流したなら」(福田恆存訳 新潮文庫P117)シャイロックの財産を没収するというもの。もう一つは、シャイロックが訴えを取り下げても「ヴェニスは法律により、かく規定する。ヴェニス市民に非ざる者にして、市民の生命に危害を加えんともくろみしこと明白になりたる場合は」(同書 P119)財産を没収しヴェニスの国庫と被害者で折半するという規定である。いずれもキリスト教徒と他者、ヴェニス市民と他者、つまり、内外を分ける役割を持っている。「ユダヤ人に必要なのはただ正義だけだ。」(P117)とシャイロックが主張するのは、外に通じる普遍的な正義である。
『ヴェニスの商人の資本主義』(岩井克人 筑摩書房 1985.1.10 )では、貨幣のアナロジーとして劇全体を見ている。たとえば、シャイロックの娘、ジェシカは、退蔵される貨幣=箱入り娘からロレンゾーの妻となり、子=利潤を生むものとなる。また、ヴェニスの若者達を例とすると、彼らは、裁判が解決し、それぞれが配偶者を得ることで、同胞団的紐帯から抜け出て、それぞれの結婚指輪を無くなさいことだけを心配すれば良い境遇になる。これは血縁共同体の中でアントニーが不定形の不安を抱え、序幕で「まったく訳が分からない、どうしてこうも気がめいるのか。」と登場するのと対応する。貨幣による人間関係は血縁共同体の持っていた不定形の部分を単純化し、「指輪をなくさない」事に集約した結果、若者たちの不安解消となったと見るのである。そしてこの芝居の大団円はポーシャの住むベルモントでありヴェニスではない。ヴェニスの地縁的共同体を脱しているのだ。
ポーシャによる怪しげな判決は、少し普遍性を帯びてきた経済関係の方法を、旧共同体の理念で変形し、旧共同体を一時的に守ったものに見えてくる。旧共同体の美徳を守るためのトリックともいえる。しかし、有効な判決なのである。東堂二等兵が抱いた、軍法の持ったブルジョワ法治以前性への怖れとも対応するのではないだろうか。統帥権の名のもとに、あっという間に合理的な法治制度が捻じ曲がる方法である。そして、その局所的な合理性ゆえ、歪曲部分は見えにくく、反論も不能になる。
ブルドック・ソースの買収劇や村上ファンドのインサイダー疑惑、ホリエモンの事件など、時には拍手喝采して見ているのだが、案外これがポーシャの判決だった。なんてことにならないのだろうか。新年早々、随分余計なことを考えてしまった。

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2007/12/28

神聖喜劇

 『神聖喜劇』 大西巨人 光文社文庫 ISBN4-334-73343-3,73362-X,73376-X,73389-1,76406-5
 すくなくとも一度、光文社のカッパ・ノベルスで第三部の「伝承の章」まで1969年に読んでいる。カッパ・ノベルス版では第一部の「混沌の章」が上下に分かれているが、光文社文庫では第一部前半を「絶海の章」として、旧「混沌の章」を二分割している。相違もあるようだが、詳細な比較はしていない。
 ほかにハード・カバー版と筑摩文庫版もあるのだが、そのどちらも読んでいない。読むのは1969年以来、ほとんど四十年ぶりである。前回に読んだときは、まだ内務班の生活を知っている人が身の回りに多くいた。在学中だった学部の学部長はニューギニアの生き残りだったし、身近な教授は砲兵隊の軍曹だった。映画には『兵隊やくざ』を始めとして、軍隊ものの余韻は、求めずともいくらもあった。学生生活の中で政治的な立場をいやおうなく問われる日々の片側に、継続的な大戦経験との接触もあったのである。
 すっかり忘れては居ないものの、風化を消化と取り違えたような今、これを読むと当時いささか飽き飽きしていた旧軍生活の描写の裏側に、現在、未だに完治されないまま残っている部分が見えてくる。
 この作品は江藤淳が考えた「日本人の自分の物語」とは対極にある。江藤が完成した『神聖喜劇』を見て、彼がこだわった「日本人の自分の物語」に含めるかかどうかは疑問だが、その言葉に最も適切な戦後小説であることは間違いない。そもそもこの作品を読み返したいと思ったのは、プラムディヤ・アナンタ・トゥールの四部作を読んでのことだった。あれを凌ぐのはこの作品かも知れない。
 『神聖喜劇』は旧日本陸軍内務班の生活が詳細に描かれる。その一々が『軍隊内務書』を始めとする軍隊の諸規定に根拠を持っている。軍隊は法によって成り立つ人為的な社会である。主人公東堂は根拠規程を求める。法規に通暁することが軍の中で身を処すことにつながる。軍隊は決して理不尽な組織ではない。合理的な構造を持ってはいるのである。その合理性を徹底するところにこの作品の痛快さはある。そしてイェーリングの『権利のための闘争』がこの作品の基礎になっているようだ。自分の権利が侵害されたときに戦うだけでなく、人の権利のためにも戦うという姿勢が、士道に通じることなどは、所謂武士道についての凡百の論証より優れている。
 軍隊と法などというとひどく固い内容に聞こえるだろうが、思わず吹き出す場面が多い。たとえば睾丸の位置。第四部「伝承の章」の「二 道」にこの挿話がある。睾丸を左に収納することについては『被服手入保存法』三章「着装」第二節「着方」二「袴下」「二 睾丸ハ左方ニ容ルルヲ可トス。」という規程があるが、この「可トス。」を巡って軍における命令の問題が派生する。作品としてはこちらの方が重要なのだ。統帥権に直結するからだ。しかし、読者には主人公が追及するその根拠に興味が移ってしまう。
 江戸時代の漢詩文、随筆、小説からピート・シガーの叔父さんアラン・シガーの戦争詩まで、この時代の教養が遺漏無く注ぎ込まれている。なかでも、短歌の使い方の見事さは、近代短歌を見直すきっかけになるだろう。
 もしも日本からノーベル文学賞が出るとしたら、この作品は対象になって良い作品だ。英訳がないから可能性は低いかも知れない。漫画があるので、そちらも読んで見ようと思っている。

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2007/11/02

『ガラスの家』プラムディヤ・アナンタ・トゥールを読んだ。

『ガラスの家』ブムディヤ・アナンタ・トゥール 押川典昭訳 めこん ISBN978-4-8396-0208-6-C0397
 これがブル島四部作の最終巻だ。主人公はミンケではなく、ミンケを逮捕し流刑に立ち会った原住民で警察幹部のパゲマナンである。彼は普通の警察幹部から、原住民対象の治安警察のトップとなる。そしてミンケを祖とするインドネシア民族運動を見張る。ガラスの家に運動家を閉じ込めたように監視するのである。
 ミンケはヨーロッパの教育を受けた現地人で、その教育が民族の自覚を促した。植民地宗主国が植民地の自立を促すという“ねじれ”の中に身をおいていたのだが、“nが二つのパゲナマン”はさらにねじれた立場にいる。彼はソルボンヌで教育を受けた現地人で、フランス女性を妻としている。世界を知っている彼は、ミンケを自分の師として仰ぎながら、彼の前に立ちはだかり遂には死に追いやる。パゲナマンは単純な民衆の敵ではないのだ。
彼が自分の名前をアルファベットのつづりで説明しなければならないのは象徴的だ。インドネシアというまとまりが、オランダの植民地政策に対応して出来上がった領域であったことは、本書の月報に深見純生が触れている。そこに発生する国家意識、民族意識も、植民地国家として作られたものだ。これは今、多くのアジア、アフリカ諸国が抱えている問題だし、文化的相対主義の源だろう。そこでヨーロッパの人道主義を学んだ人々が、植民地で宗主国がとる政策に矛盾を見る。植民地でのヨーロッパ人も矛盾を自覚せざるを得ない。もはや過去の強硬な政策をとり続けることは、出来なくなり、植民地に派遣された官僚もハックスレーの『象を撃つ』のような孤立感に陥る。
 インドネシアという国の歴史的負荷を小説として表現しえたことは、津野海太郎が、『物語・日本人の戦争』で江藤淳の言としてこだわった「自分の物語」が完成したことだ。江藤淳の尺度で言えば、江藤自身の『一族再会』も「自分の物語」に属すだろうが、プラムディヤとは決定的に異なっている。
 『一族再会』は優れた作品である。残念なことに、最も手にいりやすい講談社文芸文庫版(昭和63年9月10日初版 ISBN4-06-196024-5 C0195)でさえも、新刊では買えない。プリンセス・マサコの親戚だからその一族の書かれた書物として封印されたのかと疑いたくなる。たしかに、これを読むと、江頭一族の近代国家への参加、上昇のための戦いが見える。その頂点がプリンセス・マサコだとしたら、皮肉な話だ。
 東アジアの抱える問題を日本も共有することを「自分の物語」が認識させてくれる可能性はまだあると思う。

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2007/09/13

『アメリカに問う大東亜戦争の責任』を読む。

 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』長谷川煕 朝日選書 2007.8.30初版 ISBN978-4-02-273162-3
 朝日新聞の記者を長く続け、現在フリーになっている著者の、小学校から中学にかけての時代は戦争だった。少年の時代である。この書物は、少年の視点で見た戦争を、老成した今の意識で書いている。だから、少年期の感性が投影される。米兵の捕虜に接したときの話がそうだ。少年が集団疎開をしていたときのこと、上越線塩沢駅で連合国側の捕虜を見かける。捕虜は客車に護送兵とともに乗っている。少年は憤る。この時期、広島の被爆の直前だと書かれているが、客車に席を得ていることに少年の怒りの元がある。「馬か牛かの貨車に一緒に積めばいいではないか」(P127)と少年は憤慨したのである。そういえば、アメリカの日本人移民は、非戦闘員であったにも関わらず、収容所に送られるとき貨車に載せられていたという。少年はもちろんそのことを知らないし、本書にそうした比較があったわけでもないのだが、人を貨車に乗せる、あるいは「積む」のは人としての扱いを拒絶する行為だ。少年が長じた記者はこのことを思いつけばこの部分に書いていたかも知れない。さらにもう一つ、中国や朝鮮から日本に来た労務者は果たしてどんな輸送機関によって運ばれたのだろうか。人の取り扱いについて考えるタグは豊富にある。
 少年の憤りを記者は分析する。この感情はBC級戦犯の行為と無縁ではないという。この少年に「その感情を相対化しなさい。」と言うのは間抜けな話だろう。大人たちの教育でもあれば、少年には別の感情が去来したかも知れない。しかし、この時は大人たちも本質主義、原理主義にはまり込んでいた。そして本土上陸の暁には少年も竹槍で戦う決意だった。
 連合軍による日本人捕虜への虐待は、表面化することは少ない。それでも、少年より十歳ほど年下の世代まで、どこかで聞いている。負傷した日本兵を並んで寝かせて、その上を戦車が走ったとか、終戦後、ジャングルから出てきた日本兵を整列させ、機銃掃射したとか、枚挙の暇がないほどの残虐行為をその場に立ち会ったという人たちから聞かされている。もちろん、それに日本軍の行為も、直接当事者から聞かされている。双方が残虐行為を応酬したからといって、そのどちらもが消えるわけではないが、片側、あるいは両側に蓋をしてしまうことは、再発防止のための過去の清算にもならないだろう。大東亜戦争の責任を日本にだけ求められるのでは納得がいかないというのが本書の動機だろう。

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2007/09/12

『文明の衝突』読みました。

 『文明の衝突』サミュエル・ハンチントン 鈴木主税訳 集英社 1996.6.30初版 2006.6.6 16刷 ISBN4-08-773292-4
 諸葛孔明が天下三分之計を劉備玄徳に語ったのは、漢帝国が解体し、新たな状況を把握する方策だった。これに基づいて劉備の戦略が立った。これは『三国志演義』のお話で、史実ではない。ハンチントンはこの書物で天下八分之計を唱えている。冷戦構造は二分之計で済んだのだが、八分となると、ほとんど戦国時代である。
 イデオロギーによる冷戦構造が崩れると、文明の対立が始まった。人々は文明にアイデンティテーを求めた。ハチントンのいうアイデンティテーは、帰属意識に比重がある。帰属意識は家族、部族、文化、国家のような上部構造があり、その最上階が文明だ。現在は西欧、ラテン・アメリカ、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、アフリカ、中国、日本の八つの文明があると「訳者あとがき」ではまとめるが、この分類は流動的だ。西欧のカトリック・プロテスタント、東方正教、イスラム、ヒンドゥ、儒教、ラテン・カトリック、アフリカ、日本というまとまりも本書の中では良く使われている。宗教を切り口にするとこうなる。それでもアフリカや日本は基準が違うし、ラテン・アメリカも収まりにくい。タイやヴェトナムの帰属もはっきりしていない。一つのブロックは、いくつかの国家を含んで成り立っているが、日本だけは国家、文化、文明が一致する稀有な例となっている。これにもいろいろな見方があるだろう。文明の分類は絶対的なものではない。
 1996年の著作であるから基本的には、9.11以後の状況や北朝鮮核実験は触れられない。2001.9.11の事件が裁ち入れられている(P327)。改訂時の後補だろう。この記事がすんなり収まってしまうほど、本書の予言は的中した。
ここに描かれた世界からは、安定した社会に向かうという、楽観的な未来は描けない。『知の欺瞞』で、ソーカルは、歴史の相対化、あるいは文化の相対化が反動的な民族主義者を元気づかせてしまっていることを、ボムズボームの所論を借りて「エピローグ」(訳書P275)で説いた。ハンチントンは同じ現象に文明の断絶を見て、もはや西欧の合理主義で世界は統括し続けることは出来ないとする。これまで反動的かつ非合理主義的な異文化を束ね、押さえつけていたのは、西欧のハード・パワーであって、アメリカを交えた西欧文明の支配は、世界を心服させていたのではないと見るのである。これによると、非西欧が経済力というハード・パワーを獲得したことで勢いづいた結果、西欧の言うことを聞かなくなったのであって、西欧合理主義の退潮は、ポスト・モダンのなせる業ではなくなる。
 日露戦争から始まって、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”の時代まで、西欧に対する非西欧からの鉄砲玉は日本らしい。この鉄砲玉は命中せずに、いつもちょっと外れるようだ。
 近年のイスラムの好戦性と急速な拡大を本書は取り上げるが、その基盤になった反植民地運動については、あまり注意を払っていない。プラムディア・アナンタ・トゥールは植民地としてのジャワを舞台に、反植民地運動が、共産主義からイスラムへと流れていく過程を『人間の大地』から始まるミンケのシリーズの中に描いた。共産主義が持っていたインターナショナリズムはイスラムの同胞意識に移行できる。共通の被害者として国と民族を超えた結束も生まれる。交易と利害によって結びつく西欧の国々よりも強い連帯を生む機構だ。
 山口昌男が『文化と両義性』(岩波現代文庫)で指摘していた文化の排他性と同質のものがハンチントンの文明観の基礎にある。グローバルなメディア、あるいはソフト・パワーの楽観的な予測は、文明の対立と排他性が世界的な知識や嗜好の普及によって緩和されるのではないかというものだが、マクルーハンのグローバル・ヴィレッジの概念でさえ、そうばら色の未来を描いていたわけではなかった。
 ベネディクト・アンダーソンが早稲田大学で行った講義を梅森直之がまとめて一冊の新書にした。『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』(光文社新書 2007.5.20初版ISBN978-4-334-03401-6)がそれだ。アンダーソンのテーマであるナショナリズムはハンチントンでは文明の下位概念になるが、アイデンティティの問題は共通している。梅森は、文化(ハンチントン的には文明)は、ギァツの「人間の行動を支配する制御装置」であるという考え方を援用し、人間は他の動物と比べて遺伝的なプログラムやモデルによって行動が制御される比率が低く、行動が有効な形を持つためには、「文化」という外在的情報源による制御が必要になるとする。アイデンティティは「文化」と個人をつなぐインターフェイスで、個人はこの自覚によって「文化」を受け容れる。無自覚にそれに随っている、いわば“至高の現実”の中で暮らすときは安定した行動が取れる。しかし、「文化」が相対化したときには、アイデンティティは揺らぐ。不安と自由が生まれる。ホビット荘を出発した旅の仲間のようなものだ。このアイデンティティの揺らぎが、自らの文化を見直し、自己のゆるぎない日常感覚に疑問を抱かせる。同時に異質な他者に対する理解への努力を生み出す。ハンチントンの悲観的な未来を作り変える可能性の一つは、こうした意識改革にあるようだ。

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2007/09/02

『プリンセス・マサコ』を読みました。

 『プリンセス・マサコ』ベン・ヒルズ 著 藤田真利子 訳 第三書館 2007.9.1 初版
 宮内庁が抗議をしたと報道された。大手新聞社が広告掲載を断ったと同じニュースが告げていた。臼井吉見の『事故のてんまつ』のように、個人を誹謗するものとして、販売が中止されることはこれまでにもあった。これは版元と告発者の間で争われたものであり、司法による判断の結果である。国が抗議をし、大手出版社が翻訳本の出版を中止、広告まで止めるというこの本の状況とは違った。
 読んでみて分かった。宮内庁は怒るはずだ。だが、皇室にたいする悪意は感じられない。「訳者あとがき」にあるように「わたしはこの本を「ある人権侵害の記録」として読んだ。」(p348)という読み方が普通だろう。しかし、よく考えると、侵害されているのはプリンセス・マサコだけではなく、皇室全体の人権である。当事者が自覚しているか無意識でいるかは別である。
この侵害と呼ばれるものは、侵害ではなく、正統なことなのだ。当然なのだとする意識は、本書に書かれている皇太子の恋ごころさえ疎ましいものとするだろう。この意識は健全な家庭生活を営もうとする者に、他の目的の優先と犠牲を強要する。本書での悪役は宮内庁、官僚、そしてそれを支える意識だ。
皇室の問題は逆転させれば、国民の問題になる。皇室に人格侵害がありながら、それを他人事として眺めている側に、共犯としての人格侵害が成立している。そして、この皇室の人格侵害は、第二次世界大戦の日本戦後処理に起因している。天皇から統帥権に代表される強権を剥奪し、一人の人間として存在するかのように見せかけておいて、実は基本的人権さえも付与せずに、宙ぶらりんの状態に放置している。「金の鳥籠」のカナリアが歌を取り上げられた状態だ。こういう形で日本の皇室は戦争責任を果たさなければならないのだろうか。無自覚ゆえの煉獄か。いつか起きるであろうこのことへの反撥は、一人の妃殿下が心を痛めるだけではとどまらないツケを残すだろう。
ニュースでは宮内庁の偉い人が“National treasure”と発言していたようだ。国民感情として大切にしていることを言おうとしたのだろうが、この精一杯のことばには、ある感覚の欠如がある。せいぜい”Treasure”なのだ。当事者の夫婦としての情愛などは二の次になる。生命のある存在ではないのだ。象徴の周辺でさえこの状態であるのだから、この国の人権意識はどうなっているのだろうと思われても不思議はない。
本書にはおかしな所もある。改訂されたとあるが、日本の歴史や文化に対して、不正確な紹介が残っている。あるいは、記事の中にも根拠の薄弱なものがあるかも知れない。しかし、現在の天皇制が外国に映した姿ははっきり見えている。これが、日本は特殊なの存在だという戦前の思い込みを再燃させることは避けて欲しい。それがどんなに不幸な展開となったかは、ダワーの『容赦なき戦争』(平凡社ライブラリー)が伝えてくれる。一方で、日本人の意識は特殊でもなんでないことが、若い皇太子の恋の記録でつづられていることは救いだろう。この恋を見守れない文化には欠陥がある。

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2007/08/04

パリの胃袋

パリの胃袋 エミール・ゾラ 藤原書店 ゾラ・セレクション2 朝比奈弘治 2003.3.30初版 2006.1.30 2刷 ISBN4-89434-327-4
 1858年は安政の大獄が始まった年で、その年のパリのレアルが舞台になっている。 ナポレオン三世の革命時に無実の罪でギアナに流刑になったフロランが脱出してパリに帰ってくる。腹違いの弟クニュのもとに転がり込み中央市場の鮮魚棟の検査官になったのだが、共和制への革命にあこがれて、計画を立て、再び政治犯の道を進んでしまう。というストーリーだ。あっちもこっちも大変な時代だったわけだ。一見政治小説風だが、帝政転覆をたくらむフロランとその仲間にしても、たしかなポリシーがあるわけではない。流刑になったのは誤認逮捕だし、二度目の計画も空想的革命主義に過ぎない。似非闘士の描写が却って当時の政治状況をよく表しているのだろう。今の2チャンネル的政談にも通じる政治風土だ。
 この政治的背景は“世界”であって、趣向として盛り込まれているのは、まずフロランを巡る女模様である。義弟の女房のリサは『居酒屋』のジェルベーズの姉だ。登場人物が他のゾラ作品と重複や関係を持つところにも“世界”らしいところがある。リサと対抗するのが、魚売りのラ・ノルマンドだ。恋愛関係ではない三角関係で、見栄にかかわる拮抗である。この二人を中心に成り立つ市場の女達の心理劇も面白いのだが、さらにもうひとつ、舞台として大事なのがパリのレ・アル中央市場だ。地下の鳥肉仕分け場の描写は圧巻だ。世界を喰らうアンソニーがタイム・スリップしたい場所だろう。レ・アル市場は1970年代に無くなり、今は公園になっているが、そのころの市場の風情に近い所を教わった。リヨン駅の近くの市場だ。確かにちょっといい感じだった。

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レ・アールの隣 イノサン公園


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リヨン駅近くの市場 中央市場に比べると天井はうんと低いのだろうし、規模も小さいのだろう。
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真中に水道がある。
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これは肉屋の店先

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2007/06/01

図書館スパイ戦争-『図書館員』(上・下 ラリー・バインハート 真崎義博訳 ハヤカワ文庫 2007.5.1初版。)を読みました。

 巻末解説が言うように、ブッシュとアメリカの新保守派批判を娯楽小説に仕立た作品だ。作者が民主党支持者だということがよく判る。レーガンあたりから掲げられ始めた“小さな政府”や、こちらでは小泉政権のスローガンだった規制緩和、結果として富裕層の利益を守る減税政策など、政策批判が織り込まれた上で、9.11にまつわる陰謀説など、右派に対する不信感が爆発する。
 ストーリーの展開がメロドラマめいている点や、敵側、つまり右派の連中が絵に描いた様なマッチョや拝金主義者で、揃いもそろって女性蔑視という画一化したキャラクターなどの欠陥がある。一方、http://www.newamericancentury.org/の紹介など、偏見が無いとは言えないが、ニュー・ライト的意識を判りやすく読者に提示しており、これが本書の魅力になっている。上のウェッブ・ページのプロジェクトには国連大使だったボルトンが名を連ねていて、彼が国連大使になることにあれほどの反対があった訳がよく判る。日本では北朝鮮への強い態度から善玉になっているが、彼等が本当に組める相手なのかどうか、実はよく考える必要があったようだ。集団自衛権の承認のような、一見当たり前のようなことに、保守系とも言える人々が躊躇するのも、よくわかる。つまり、そういうことを考えながら読むと、この小説は単なるメロドラマではなくなる。
 図書館員の日本との違いも面白い。大学図書館に勤めている主人公が大金持ちの蔵書整理をすることが事件の発端だ。その蔵書のなかには、クライアントの事業に関する書類も含まれている。日本の図書館員のアルバイトではありえない仕事である。『図書館戦争』シリーズにも戦う図書館員は出てくるが、組織を中心としたチーム・プレイだ。アメリカの図書館員は孤独である。ここにも彼我の図書館についての意識差があるようだ。

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2007/05/12

『統計でウソをつく法』を思い出した『データの罠 世論はこうしてつくられる』(田村秀 集英社新書 2006.9.20)の内容

 読みやすい本だが、ダレン・ハフ『統計でウソをつく法』(高木秀玄訳 講談社ブルーバックス 昭和43.7.24初版 53年5.25 22刷。)に比べるとインパクトに欠けている。巻末の参考文献にもハフの本は上げてないのだが、「世論はこうつくられる」という副題の通り、社会調査を主とする著者が仕上げた本だからだろう。ハフの方は統計学者の書物だった。
 どちらにも共通しているのは、まず母集団を疑えということだろう。『データの罠』にTOEFL得点の例があった。日本が北朝鮮と同じくアジアで最低点を取っているという調査である。この調査はこのところの英語教育を惑わしていると言っても良いだろう。英会話スクールや英語教材に「英語教育で定評のある韓国で使用された教材」などと宣伝するのも見かけるようになった。だが、本書では、TOFLE受験者の母集団を検討しないで、数字だけで比較することの無意味を説いている。日本のように、高校や大学受験で本人の希望とは無関係に受験させられている場合と、生活水準から見て高く見える受験料を払って外国に留学しようとしている受験生の居る国とでは、事情も意気込みも全く違うわけで、それは数の上では分からないのである。
 定性的なものを定量的な側面から見るということは常に困難が付きまとうだろうし、因子分析や多変量解析のような技法もオールマイティとは言えないだろう。選挙の当確はめったに外れなくなったけれど、もう少しデリケートな問題については、統計情報を受け取る側が十分に疑っておかないと、大本営発表の二の舞になる危険性すらあるようだ。

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2007/04/08

執事の伝統-読了『それゆけ、ジーヴス』P・G・ウッドハウス 国書刊行会 森村たまき訳 2005.10.6初版 2006.1.23 2版-

 いつも、面白い本を教えてくれる従兄弟からの紹介で、かなり前に借りた本だ。「ウッドハウス・コレクション」として国書刊行会から出ているシリーズの一冊で、この時点で三冊が刊行済み、二冊が予定されている。ジーヴスは執事であり、本書はジーヴスがバーティことバートラム・ウースターの執事となったところから始まる。カズオ・イシグロの『日の名残り』(ハヤカワ文庫epi 2001.5.30初版 2006.9.15六刷)は中公文庫で1994年1月に刊行されたものだ。ハヤカワ文庫本に丸谷才一の解説が載っていて、その書き出しが「ウッドハウスの滑稽小説に出て来るバーディ・ウースターとジーヴスは、ドン・キホーテとサンチョ・パンサ、シャーロック・ホームズとワトソンと同じくらい有名な二人組である。」となっている。丸谷才一はジェローム・ノ・ジェロームの『ボートの三人男』の翻訳で、イギリスの滑稽小説の持ち味を日本語にしてくれた。その人が、決して滑稽ではない執事小説である『日の名残り』の書き出しをわざわざジーヴスにするのだから、執事といえば彼というくらいに出来上がったイメージがジーヴスにはあるのだろう。
 イシグロの小説は1933年の映画でアンソニー・ホプキンズとエマ・トンプソンが出演し、日本でも話題を呼んだが、ジーヴスの方はまだあまり知られていない。概して滑稽小説と分類される作品は日本の中で扱いが低いが、それは必ずしもその滑稽小説の質が悪いことを意味しない。あるいは翻訳が難しいからなのかも知れない。
執事という言葉を覚えたのは、ブルフィンチの『中世騎士物語』だったと思う。野上彌生子訳の岩波文庫、昭和三十七年十一月二十五日十四刷の一冊だが、初版は昭和十七年二月五日で、山下奉文がシンガポールを攻めている真っ最中だ。中学生のときに買ってずっと持っていた思い出深い本だが、このころの岩波文庫は立派で、表紙は毛羽立ってしまったが、今でもきちんと本の形をしている。当時の僕には難しかったに違いない。きちんと読んだかどうかは思い出せない。それでもロビン・フットの項目やガラハットのあたりはページが黒ずんでいる。なんども読んだのだろう。
この本にアーサー王伝説が入っているのだが、そこに士爵ケイ卿という人物が出て来る。巌に刺さったエクスカリバーを引き抜くまで、アーサーはケイ卿の扈従をしている。ケイが試合の最中に剣を折ってしまい、取りに生かされたアーサーが途中で目にしたエクスかリバーを引き抜くのである。野上はケイに注をつけていて、「ケイはアーサーの宮廷騎士たちの中で最も愉快な気質の持主であった。役目は司厨長であつたが、その性格に道化的な所があり、勇気に充ちてゐながら、格闘するといつもみじめな失敗をする。また口が悪くて常に悶着を起す。それでもアーサーには信用があつて、王はよくケイの忠告を入れる。けれどもその忠告はいつもまちがつてゐた。」(p360)と、今だったらトリック・スターと言われるところだ。
ジーヴスはどじではないが、失敗部分は主人のバーディが背負っている。ドラえもんとのび太の大人版だとも言える。昨今妙にメードや執事がはやっているが、はじめはコスチュームから来たものかも知れないが、今はしぐさや精神的なものまで興味の対象になっているようだ。『それゆけジーヴス』にもちらりとそのトリック・スター性は見えていると思う。セバスチャンだけが執事ではあるまい。

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2007/03/30

『東海道中膝栗毛』発端の典拠『芝居万人鬘』

 『東海道中膝栗毛』の「発端」について、鈴木圭一さんと意見交換。彼からの指摘で鳶魚が『かくやいかにの記』にある出典、八文字屋本『芝居万人鬘』の該当部分を『江戸評釈叢書』の「滑稽本篇」に載せていることを知る。『芝居万人鬘(葛)』は『八文字屋本全集9』に所載である。その内容を紹介する。
 『芝居万人鬘』は享保七年ごろの刊行とされる八文字屋本である。西鶴以後の浮世草子だが、芝居とタイアップした商業的娯楽読み物となっていた。この話の内容も芝居、とりわけ男色の対象となる役者の評判がキーになっている。といっても役者評判記のように一人一人を紹介する形ではなく、物語になっている。

 全体は『千一夜物語』のように、枠物語になっている。その枠は、
巻一
 男色好きの駿河府中の大富豪、は隠居して塵軽と号している。ある時足柄山に登ってみようと思い立つ。途中、洞窟の中から双六を打つ音が聞こえてくる。見てみると綺麗な若衆と美しい娘が双六を打っている。塵軽は、若衆が美女と駆け落ちした芸子だと見当をつけ、若衆の親方に話をつけてやるから、役者に復帰しろと勧める。ところが若衆は仙人で、塵軽の未熟を指摘し、居ながらにして芝居の有様が見えるのだと言い、塵軽に以下の場面を見せる。
 当世男は後家の好鼻の都 付り恋よりこがるる身の焼しるし
 京で、西国の大身で、美人の後家が夜のお伽に抱えたいと、好みにあう役者を探している。男には、右手に五つ、左手に五つのほくろ、額に一寸の赤黒いあざが必要だという。ちょうど左右の手にほくろが七つある役者がいたので、二つのほくろを刺青し、額には焼けどであざをこしらえ、名乗り出た。その場で捕縛されてしまう。後家の夫がほくろとあざのある役者に殺されて、その敵討だった。役者は偽者であることを説明し許されたが、額のあざのため、役者稼業が出来ず、ついに山伏になった。
 女の疑い晴渡る月の武蔵野 付り芸子は忌てのらぬから尻
 都で有名な役者好きの大富豪、洛助が居た。美人の奥さんも居たが、遊びすぎて女房を置き去りにして、江戸の新橋に来て日雇い仕事をしていた。近所の人たちが屋敷の仲居をしていた女を世話して江戸でも女房を持った。この女房が男面倒を見た。ある晩、都で世話をした若衆が女を連れてやってきて、この女は自分を慕って来た女で、役者の親方の手前もあり芝居には置けないから預かってくれという。若衆が帰った後で女のかぶりものを取ってみると、都に置き去りにした女房だった。洛助は二人の女房に挟まれて困惑するが、今の女房がそれを知って身を退いた。
これが役者の芸でいう「のく」ということで、塵軽も知らないだろうと仙人の若衆が教え、芝居の評判をもっとしようと誘う。
 女の一節は口に津の溜る梅の難波 付り母親の長談義は色宿の妨げ
 金離れの良い長崎のお大尽は決まった遊女が居ない。そこで一人の女郎が幼いときに生き別れたになった姉が長崎にいるともちかけ、泣き落としにかける。同情した大尽は彼女の身請け約束する。女郎は母を呼んで訳を話すと、調子に乗った母親が、夫の放埓で家を潰したと作り話をする。話を聞いた大尽は遊びをやめる決心をし、身請け話はチャラになる。
 若衆の仙人は塵軽に色所で実事、リアルな話は無用でこうしたところに気をつけて評判をしろと教える。
巻二
春めく女におはまりの道頓堀 付り三十一字ねぶかよりしやらくさい哥知
 上臈を好む男がひどい女をつかまされるが、御所の中で瘧のまじないの時、檜扇で払いのける役の官女だった。十人の男が百物語を男色話でやり始めるが、後一話というところで綺麗な役者が十人出てくる。百話になったら布団が降ってくるぞと言っていると金剛(若衆の付き人)が降ってきて勘定を請求され、頓智で逃れる。若衆のが落としていった巻物をみると、芝居の評判記だった。そこから昔の若衆と今の若衆の違いなどを記して、最後に若衆同士が仲たがいをしていると決め付けた大尽が、無理に仲直りをさせた話で終る。
節分は附にと春との堺町 大豆一口も鬼も十八
 貧乏浪人に恋された役者の中八を、横恋慕した悪役の晩右衛門がそれを種に脅す。見かねた金剛の団助は偽って、念者は自分と名乗ってその場を納める。家来(団助)と主(中八)と恋仲だという噂が広まるのをおそれ、団助は出家し本所で役者評判の講釈師となる。ある晩、文五右衛門の妻が晩右衛門に恨みを報いたいと言ってくる。団助は彼女を後家大尽に仕立てて晩右衛門を座敷に呼び、はずかしめて復讐する。一方、夫の文五右衛門は主君に帰参が叶いめでたく終わる。
四条の河原は水際の立春景色 若水茶屋に老せぬ木戸口
 俵屋藤太という女色好きが居た。酔った帰り道、橋の上に若衆が寝ている。毒蛇の九郎次という若衆で、ちかごろ遊女が若衆の真似をして困るので藤太に何とかして欲しいと頼む。藤太は早速友達を語らって女色ばかりでなく衆道にも回らせる。その礼にいくら使ってもなくならない芝居札、聴く人をとりこにする琉球わたりの三味線、芝居の評判の詰まった俵をもらい、その宝の功徳が現れる。
 巻三
 ふつてわいたるなぐさみを時雨の軒下果報吹付た風呂屋町
 東山の樽底という大尽は思いをかけた若衆を落籍して、自分の姪を女房にあてがい、風呂屋町に囲う。若衆はそこで貸し布団屋を始めるが、早く息子に跡を譲り風身と名乗り楽隠居する。ある時仁和寺あたりで六本杉の魔介とよばれた昔の金剛を訪ねると、そこには天狗と化した昔のなじみが集っており、誰かに乗り移って芝居の評判をしょうと言っている。評札という札を作りそれを辰巳の方に投げ拾った人の心に入れ替わろうと相談を決めて札を投げ、天狗の正体を現して飛び去っていった。
 律儀は弐百両の黄金てらす所は尽十方へののべかがみのうつり
 一向宗の信心者薬屋又蔵は薬の配達の帰りに格子先にいた疲れた女郎を見かける。それが、一向宗の本尊のおまむき様にそっくりなので拝んでいると、悪知恵の男が、女郎を仏の生まれ変わりだとだまし、彼女の筆跡を売りつける。又蔵はそれを納めるため中古の仏壇を買うが、その天井から評料と書いた金が出てくる。元の持ち主も見つからず、金は菩提の障りだと井戸に捨てる。その功徳で次第に良い身代になる。隣のもがりねぢ右衛門は羨ましく、道具屋から大黒様を買ってくるが家内の金物が動き出す。気味悪くなり道頓堀ののんひよこの飛介に譲る。飛介が大黒様をもって井戸端を通ると小判が飛び出してくる。占い者に見せると大黒は磁石で、小判は役者の評判をする賄料だという。天狗の投げた評札がこのような形になって飛介のところに回ってきたのだ。飛介は芝居の評判を始めた。
 一座の色酒はのみ込のよひ男ぶりよめいりの礫は大あたりの小袖櫃
 呉服屋の番頭がお屋敷から姫君輿入れの枕屏風を頼まれた。図柄は薬師如来である。菱川流の絵師に頼んで出来上がったが、姫君が不思議な病になった。番頭が屏風の下地を調べてみると役者評判の紙だった。薬師は男色が嫌いだからこうなったのだが、ここで役者の百万遍をして薬師をいさめようということになり、腰元や医師が番頭と一緒に役者評判の百万遍を始める。
 夕陽をうつす色二階のぼりつめたる瑪瑙の段はしこ
 浦島屋太郎助が加茂のあたりで釣りをしているうちに流される。ほんのしばらくの間に太郎助は白髪となり首に二歳ほどの子どもをくくりつけて流れ着く。浦島は竜宮に行き蛸入道の娘と出来、竜女の悋気で追放され蛸娘との子を連れて帰った。しかし、白髪の老人となって子どもの行く末を心もとながると、太鼓持ちの久介が思案して、四五日で大男にするという。早咲きの花を咲かせる麹室に入れて育てたら、すぐに成長し、室咲花之進と名乗って上手に芝居の評判をした。
 巻四
 芸子と白人は色敵の打越た女夫
 全く下戸で太鼓持ちはいやで遊女だけを集めて遊ぶ大尽がいた。この人は饅頭を食わせるのだが、大食いの遊女が気に入りだった。ある時この遊女の正体が女形の役者だとばれる。女形は遊女の一人に惚れて居続けるうちにこの大尽の座敷に女装して出ることになったのだ。大尽は女形と遊女を一緒にしてやるが、働き口がない。そこで女形の兄ととも、芝居の評判をして稼ぐことを思いつき成功する。
 孀住の職敵打おふせたる嫁入の夜の礫
 男色狂いのあげく江戸の店は弟が相続し、自分は京の叔母に引き取られたが、そこでも男狂いして勘当され江戸に舞い戻って新橋あたりに日雇い暮らしをしている元助という男があった。昔の遊び友達が屋敷に仲居奉公していた女を女房に世話してやったが、この女は元助を大事にして暮らしていた。ある夜に旅装束の侍が娘を連れて男を訪ねてきた。娘は侍の妹で、元助の妻になるという。侍は家老の命を受けてきたのであり、妹と一緒にならないなら縄付きにして連れ帰るという。女房は元助のためと身を引いて出て行く。侍と妹は偽者だった。元介は懇意にしていた堺町の若衆から三十両の無心をうけ、タイミングよく、ある隠居の腰元が妊娠したので三十両の金をつけて嫁に行かせたいという話が来ていたので、女房を追出してその腰元を後に入れ、持参金を若衆に廻そうと計画した。
 輿入れしてきた女と、金を取りに来た若衆が顔をあわせ、実は女を孕ませたのは若衆で女を片付ける金を必要としていたことがわかる。元助は若衆と女を一緒にさせて、堺町近くに銭見世をださせ、芝居の評判などをさせて暮らさせた。そうこうするうちに、弟のところから元助を隠居分にしたいと迎えが来て、全員めでたく決着がつく。
 若衆を俗人の慰みとは坊主の為に食敵
僧侶が愛人として囲った若衆に恋をした娘が居た。父親が若衆を拉致して娘と一夜過ごさせようとする。ところが、若衆ではなく女だった。娘は恋煩いも治り、女がもともと役者の娘で、芝居に詳しいのを知り、評判所を作って人々を集めて芝居の話を聞かせた。
巻五
頭がちな先斗町の浮気大尽 付り身をあてにする役者胸算用
大晦日の決算を引き受けてくれるという大尽の言葉をあてにして、大晦日前に必要のない払いまで済ませていた役者が居た。大晦日に大事な掛取りが来るのに、大尽は約束を果たさず、さっさと帰国してしまった。それでも役者はあわてず、ちょっと手紙を書いて送ると両替屋の手代が金を用立てて持ってきた。その金をそのまま賄い人に渡して、役者は祇園に遊びに行ってしまった。このくらいの気持ちでなければ名優にはなれないのだ。とある時、芝居好きが集って芝居の評判をした。
小判握つて分別所欲と恋の堺町 付り古への情の引残り今用に立役者
木挽町の芝居ちかく、銭見世の夫婦は芝居など見たことも無かったが、息子は美しい若衆に育った。丸八という大尽が彼のパトロンで、日雇いの長助という者に手紙の取次ぎを頼んだことがある。長助は一目彼を見るなり恋煩いとなった。長助の女房が訳を聞きだし、若衆のところに亭主の願いを叶えてほしいと頼みに来た。情け知りの若衆は立派な姿で来させろと女房に金を渡す。男はその金で衣裳を調えに家を出たまま帰ってこない。女房は大家に亭主の逐電を訴える。女房に同情した大家は生活が成り立つようにしてやる。十一年ほどすると立派な町人が大勢の供を連れてやって来る。逐電した男は、若衆にもらった金で一念発起して成功し、女房を迎えに来たのだ。若衆も歳をとり立役となったが当たらず、どさまわりをしていたが、これも男が引き取って役者の評判をさせて生計を立てさせた。
難波江のお芦銭になる武道の仕墾(しこなし) 付り元服の福芸は身を助る一座の立物
 難波堺筋の可助(べくすけ)は親の事業を引き継いで安楽に暮らしていたが、ある時隣からもらった粟餅をふかしている間に、土蔵国の使いの小判という者が迎えに来て、土蔵国を譲られる。その国の宝である商売通用酒、傾国自由酒、役者評判酒の三つの樽をもらったと思ったら、粟餅がふけるまでの夢だった。酒は手元に残り、名前の通りの効能があって、特に役者評判酒の力で芝居の評判が出来上がった。

以上の十六話から成り立つ。巻一のあたりは、枠咄の塵軽が話の終りに登場し、話をつなぐ意図を感じるが、巻二以降は枠が無意味化している。『東海道中膝栗毛』発端は巻四の二話目が典拠だが、巻一の二話目「女の疑い晴渡る月の武蔵野 芸子は忌てのらぬから尻」も同工である。ハッピーエンドばかりで明るい作品になっているが、ほとんどの話で最後に役者の評判を話題にする。題名の『芝居万人葛』からも予想されるが、役者評判記と深い関係にあった八文字屋本の面目である。しかし、類似の話や類似の構造が目につく。文章の面でも、巻二「春めく女におはまりの道頓堀 三十一字ねぶかよりしやらくさい哥知」と同内容が巻五「小判握つて分別所欲と恋の堺町 付り古への情の引残り今用に立役者」にも出てくるなど、未整理な部分も目につく。この記述はいずれも過去の男色の荒々しい面がこの作品当時の男色には無くなり平和になったと賛美している場面である。西鶴の男色物と比べてみればその違いも明らかだろう。そのほか、各話の題にも形式上の違いがあり、巻三、巻四では「付り」とする記述形式がなくなっている。こうしたことも浮世草子には良く見られるようだが、出板方式の手がかりになるようだ。『八文字屋本全集』の解題における役者評判記の版木利用と合わせて書誌的考察にも面白い対象であろう。
膝栗毛発端について記述したので、この作品を紹介した。だいぶ長くなってしまった。

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2007/03/11

読みました、『「膝栗毛」はなぜ愛されたか 糞味噌な江戸人たち』(綿抜豊昭 講談社選書メチエ ISBN4-06-258294-5 2004.3.10初刷)


 ブログに「弥次喜多の背景」を載たら、意外なことに、これへのアクセス数が多いのだ。今、訪問件総数は5000件ほどだが、過去四ヶ月で2306件のアクセスがあった。その中で、トップページのページ別アクセス数が一番多く924件、次が「弥次喜多の背景」で181件になっている。これは検索を掛けて入ってきた入り口の数であり、場合によってはそこをブラウザーに登録している人も居るかもしれないから、そのまま受け取ることはできない。また、各記事の執筆時期はばらばらだから、全累積数の比較も意味がない。順位と大体の割合から見て、多いなぁというのが実感である。ちなみに、その他に多くアクセスがあるのは、『図書館戦争』シリーズと『看羊録』である。『図書館戦争』シリーズは結構ホットだし、『看羊録』は関心のわりに、ネット上で他の言及が少ないからだろう。
 そんなことを感じながら、書店でこの本を手にとって、そういえば前に、行きつけの神保町のビアホールでこの本持って議論している人がいたなぁと、ぱらぱらめくっていたら自分の名前が出てきたので、驚いて買ってしまった。
 まず、古典をメディアという視点から眺める科目を持っている身として、これは学生に読ませねばと思い、次に学生が「先生、自分の名前が出ているから読ませるんでしょう」と言われるだろうと覚悟をした。
 著者が指摘する通り、『東海道中膝栗毛』は卑猥なのだ。古典落語にも倫理も道徳もなく、ただ笑わすためだけの卑猥な話はいくらもある。それと同じく、この作品でも発端などはひどいもので、理屈を立てて考えてみても仕方が無い。話芸の笑いに近い記述で、その場その場の滑稽で笑いながら読み進めれば良いわけで、文字を読み取って立ち戻り、これは殺人事件ではないか。などと言ってもしょうがないのだ。ついでだから、発端部分の梗概をまとめておこう。
 駿河の府中で裕福な商人の息子に生まれた弥次郎兵衛は身上を潰して、男色関係の旅役者の喜多八と駆け落ちして八丁堀に居る。喜多八は奉公に出、弥次郎兵衛は女房をもらって暮らしていた。喜多八が店の金十五両を使い込んでしまったが、この穴を埋めてしまえば死にそうな旦那の後釜に坐れるかもしれないというので、弥次郎兵衛は、策を構える。どこかの隠居が腰元に手をつけて妊娠させてしまい、誰にも知られずにどこかに縁づけたい。ついては十五両の持参金を持たすという女がいるのに目をつける。仲間の男女を語らって、二人を駿府の侍兄妹にいでたたせ、妹と弥次郎兵衛が婚約していたと話を作り、履行しなければ弥次郎兵衛を殺すと脅し、弥次郎兵衛の女房に離婚を承知させる。その上で十五両の持参金を持った女を迎える。女が輿入れをしてきたところに、人が来るので、元の女房かと思った弥次郎兵衛は彼女を物いれに隠す。来たのは喜多八で、十五両の金をすぐにくれと言いに来る。隠れていた女は喜多八の女で、隠居話は女を片付けるための喜多八の嘘。それがまわりまわって弥次郎兵衛のところに来たのだ。この騒ぎの間に血の道の悪かった女は死んでしまう。親元に知らせ親が来る。棺おけを開けると、女がさかさまに入っているため親は胸毛のある男の仏だなどと言い出す。間違いがわかり、弔いも済むが、このまま江戸に居ても仕方が無いと旅に出る。
 こういう設定なのだが、十年ほど連れ添っている女房を追い出す弥次郎兵衛は、「皆おれが自作の狂言で、ふたりを頼んで(侍の兄妹に扮した仲間)、女房にいっぱいくわせて追出したも、あの陰気ものに飽果たからの事」といい、、あとは十五両の持参金持ちの女が狙いだった。一方喜多八は女に言わせると、「いやだといふを無理無体、きた八さまに口説れました」で、妊娠すると「十五両の金をつけて、外へ片付けたいとの相談」で、このままでは喜多八のためにならないと得心した女は、結果として弥次郎兵衛のところに来たわけなのだ。この女はその場で死んでしまうのだが、知らせを聞いて駆けつけた父親が棺おけを開けてみると、「仏がちがい申した、此仏には首がござらない。そしてわしの娘は女でごさるに、コリヤハア男の死人と見へ申て、胸髭がはへてござらア」。このころの棺おけは座った形で死骸を納める座棺だった。この女は頭を下にして納められていたのである。胸髭は胸毛のことだ。虚構とはいえ、死んだ女への同情は片鱗もなく、ただ笑えれば良いのである。ダウンタウンの芸のようなものだ。モラルどころではなく、論理まで不要になる。笑いは時には劇薬より毒になる。スティーヴン・キングが怖いのはそんな物語を作れるからだろう。
 場面主義とか、趣向主義といわれる江戸作者が居るが、『膝栗毛』にもその色彩は濃いのだ。文字の文化より声の文化に近い方法である。これが当時の商業主義的出版を支えた柱の一つだと思う。
 馬琴の『近世物之本江戸作者部類』では一九に、「通油町鶴屋の裏なる地本問屋の会所を預かりて」という記述がある。会所の預かりということをどう考えるかなのだが、住む所がないから置いてやったということではない。建物の管理ではないだろう。問屋仲間の運営は行事によって行われれるが、行事は輪番である。会所には記録を管理し、実際に諸届けを起草するいわば事務官が居たはずである。往来物を数多く残した一九は実用文書にも通じていたし、小田切土佐守に使えて同心だったというのが本当ならば、こうした職には適任だったろう。一九には職業作家第一号だという評価が付きまとうが、むしろ、当時の地本出版の中枢に居た作者として見る必要もあるのではないだろうか。

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2007/03/08

キングの世界-『ダーク・タワー』シリーズを読み終わりました。

キングの世界-『ダーク・タワー』シリーズを読み終わりました。
 マイリストに読み終わるたびに感想を載せていたが、完結したので本文に書こう。ネタバレに気をつけないといけないから、難しい。
 最初からマカロニ・ウェスタンの匂いが強い。解説でもそのことは触れているが、これは作者の趣味だろう。いにしえのワーナー・ブラザースのテレビ西部劇シリーズへの意識がとても強くて、マーヴェリック、シャイアン、ブロンコそれに当時殺人場面の放送を禁止していたNHKで、唯一放送していた西部劇、シュガーフットなどが作品中に登場する。今の三十台の人たちがアニメを共通の基盤にしているように、アメリカのおじさんは西部劇が基盤なのだというのがよく分かる。そして、その波及は日本にも及んでいた。しかし、日本の西部劇ファンは『ローハイド』や『ララミー牧場』などをむしろ好んでいて、ちょっとふざけたところのあるワーナー作品はそれほどの視聴率を稼いでいなかったと思う。
 ワーナー西部劇の作り方はどうやらキングの作品全体に影響しているようだ。それは最終巻『暗黒の塔』の風間賢二の解説を見ると分かる。ワーナー西部劇は、登場人物が交錯するのだ。”ブロンコ・シャイアン”などと二人の名前を一緒にして放送していたこともあったが、たとえばシャイアンが町につくと、ちょうどその時に町を出る駅馬車があって、そこにはマーヴェリュックが乗っているという風に、軽く交差する。これは番組作成のおふざけだったのだろうが、見ている方は結構楽しい。作品の世界が広がると同時に擬似的な実体化が起きるのである。
 キングの作品も場所と人物が共有されている。もっともこれにはクトゥルフという先達があるわけで、アメリカの大衆文化の常套なのかも知れない。日本の場合、これは芝居の”世界”という概念に近くなる。この概念を使ってサブカルチャを説明しているのが大塚英志だが、テーブル・トークRPGの構造はまさにこれである。RPGのシナリオが”世界”に相当する。芝居の場合、世界の一覧があり、国立劇場から『世界綱目』(『狂言作者資料集一』昭和49年)として刊行されているが、ここには内容までは記されていないので少し研究が必要になる。
 『ダーク・タワー』も一つの世界を構成している作品である。キングはローランドという主人公のほかに、時代の異なるニューヨークから三人の人物を参加させる。この三人を可変項とみなせば別の物語が同じ環境の中で出来上がる。作家の狙いかどうかは分からないが、そういう作りになっている。
 世界がしっかりしているという魅力は一々の登場人物のつくりにも関わっている。あまり目立たないが、ロボットの使い方などは面白く出来ている。C3POが引き合いにだされていたが、日本の作家だったら、前谷惟光の『ロボット三等兵』を思い出したかもしれない。
 スティーヴン・キング自身が登場するのも面白い。これについては、最終巻の解説で行き届いた分析がある。キングの交通事故がしっかりネタになっているのだが、トラックにはねられたという点では司馬遼太郎も同じだ。キングはこの作品の中で、自分をはねたトラック運転集に筆誅を加えているように見えるのだが、どうだろう。司馬遼太郎にはそれはなかった。
 馬琴の『八犬伝』では、最初に千葉から旅の僧が尋ねてきて、『八犬伝』の話をする。実はこれは夢なのだが、ここから話が始まる。二十八年を経て『八犬伝』を完結した馬琴の元にまた僧が来て、何かと話す。それがまた夢で、覚めたところで馬琴の話は終わっている。作品の中に入れ込んで、作品の展開に深く関わるキングとは違う。メタストーリーといっても、馬琴の方は古典的で枠物語に近い。しかし、長編を書いた二人の作家がこうした入れ込みをしているのは面白い。
 長かったけれど楽しい読書だった。長編はやはり終わってみないと評価はわからない。途中はそれほど評価できなかったが、最終巻はとてもよかった。

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2007/03/07

鉄砲の渡来について-『真説 鉄砲伝来』(宇田川武久 平凡新書 2006.10.10初版) を読みました。

 中学から高校のころだったが、東京国立博物館の先生と知り合うことができた。当時は彫刻室長だったかもしれない。そのときに、火縄銃の話になり、先生は、ポルトガルから入ってきたほかに、大陸経由で入ってきた銃もあり、それは押金式になっているなど、他の研究者からの伝聞を話してくれた。なにせ少年期の記憶だから、定かでない。洛中洛外屏風図の鉄砲を仔細にみれば何か分かるかもしれないとも聞いたようだ。それ以来、これが頭に残っていて、洛中洛外図の鉄砲を見ているのだが、中々間近にみることができないし、見ても、引き金か押金かまではわからない。
 『真説 鉄砲伝来』を読んで思ったのは、馬琴のことだ。たまたま並行して馬琴研究の展望やら馬琴の評伝の書評などを書いていたからだろう。逍遥が馬琴を馬鹿にした一つに、杜撰な歴史考証がある。その例として鉄砲をあげる。『小説神髄』「時代小説の脚色」の項で「譬ば足利時代の人物に煙草を喫せしめ三線をもてあそばしめ、北条時代の人物に鳥銃を放たしめ」と馬琴の誤りを指摘する。ここで北条時代と言っているのは、普通に考えれば、鎌倉時代になる。しかし、馬琴の小説で鎌倉時代に鉄砲が出てきているものは知らない。読本で鎌倉時代、それも北条執権時代と言うと、長編では『朝夷巡嶋記』、中篇は『勧善常世物語』に北条時代が出てくる。どちらにも鉄砲は無かった。後北条氏のことだろうか。「足利」からの繋がりで見ると可能性はある。
 馬琴の鉄砲考証は、戦国前期を舞台にした『近世説美少年録』にある。九州阿蘇の山賊が鉄砲をもっていて、それを大江弘元が退治する。珍しい武器なので押収しょうとしたが、鉄砲は川の早瀬に落ちてしまい見つけることが出来なかった。「鳥銃はこれよりして、三十一个の春秋を歴て、天文八年の比よりぞ、なべての軍器になりにける。」(小学館古典全集本 p75)とある。「げに物の流行せる、時至らねば世に出ず。」という名言がその前にあるが、馬琴は天文八年(1539)をめやすにしている。これは『鉄砲記』の伝来記事、天文十二年(1543)と微妙にずれる。注釈つきの小学館本でもこのところに注記がなく、馬琴が何に基づいたのかは分からない。
 この『真説 鉄砲伝来』では稲富を始めとする砲術師たちの伝書とそこにある鉄砲伝来伝説を多く紹介している。これはこれまでの鉄砲伝来ものには無かった姿勢だ。これまでのものは、中世的色彩の濃い伝書の記述を不審の眼で眺め、信長の鉄砲用兵を肯定的に記述するのが常だった。これは参謀本部戦史の枠を継承していたものだ。それから見ると、伝書を紹介するのは新しい見方だ。また、渡来の当初は狩人の道具であり、それが武器に成長したという仮説も面白い。
 鉄砲の使い方で、面白いと思ったものに、朽木寒三の『馬賊戦記』に出てくる逸話がある。拳銃競技の音比べ(番町書房 昭和45年11月p87)である。拳銃を撃ってその音が大きくて歯切れが良いのが勝ちになる。これは爆竹と同じ意味を持つのではなかろうか。日本でも銃の音に意味を持たせる風習はあったようだ。『四谷雑談』というのは文政期に書かれた実録で、『四谷怪談』の実説である。この中で、幽霊に怯えた伊右衛門が、空砲を放って悪魔祓いをしょうとする。こちらの話では彼は鉄砲同心なのだ。爆発音のような大きな音に呪術的な威力を想定する例となるだろう。『洛中洛外図』に鉄砲が登場しているのも、祭礼のときなどに、その音で魔払いをしていたからだろう。こういう視点からも東アジアの鉄砲は考えられないだろうか。
本書にはまだ面白いところがいくつもあるが、残念なのは、天文十二年以前に渡来したという決め手がまだ十分ではないことだ。さらに多角的な見地からの検討が期待できるのだろう。

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2007/02/14

会わなかった二人 -『ハナコの首 -ロダンとスタニスラフスキーを魅了した女優-』秋元藍 講談社 200.1.1初版ー読みました。


 名古屋の大須で芸者に売られた太田ひさは、もともと裕福な呉服屋の娘だったが、養女に出され、養家の没落で旅役者となり、芸の修行をつんでいる途中、養母に芸者に売られた。大須から住み替えをしたが、土木屋の村山豪造に落籍される。豪造に馴染めなかったひさは、駆け落ちするが、男に捨てられ、横浜で再び芸者に出ていたところ、スカウトされて、ヨーロッパに渡る芸人となった。明治35年のことだ。本書では、ここまでに半分近くの分量が使われている。ハナコと呼ばれて、ロダンのモデルになった女性について語るなら、ヨーロッパでの活動が中心でも良いはずだが、彼女の半生に詳しいのは、それが数奇であると同時に、当時の女性の生き方として興味深いものがあるからだ。もうひとつの「おしん」というところかな。
 森鴎外に『花子』という作品がある。久保田栄が花子をロダンの所に連れて行った時の話を元としたのだろう。鴎外は久保田の目を通して、子守上がりのような女として花子を描写した。そして「日本の女としてロダンに紹介するには、も少し立派な女が欲しかつたと思った。」(『森鴎外全集 一』筑摩書房 昭和44年 p260)と久保田の感想を記している。鴎外の感想としてではないところがミソだ。ロダンの花子観と久保田のものとの微妙なズレは、ヨーロッパの見る日本の美と日本が誇る日本の美とのズレになる。
 『パリの晝と夜』(p211)で岡鹿之助がフジタに「フジタさんは、あのロダンのモデルをしたお花さんを御承知でしたか?」と聞くが、フジタは「いや、會ったことはありません。」と素っ気無い。岡は重ねて「元気で岐阜に住(本文「往」となっている。この本にはこの手の誤植が多い。それもまた一味である。)まつているそうですが、會ってロダン翁の話なぞ聽いたら面白いでしようね。」と水を向ける。それを受けるのは柳澤で、岡の言葉に同意して、貞奴にあってパリの話をしたかったのだが、二三年前に貞奴が死んでしまったことを言い、ハナコとも早くあったほうが良いと語る。実はこの座談会の時、昭和二十三年はハナコの死後三年目なのである。柳澤は貞奴がアーサー・シモンズによって名優アーヴィングに匹敵するのは貞奴だけだとされたことに驚愕を隠さない。この柳澤のおどろきは、貞奴に対してそれほどのものを感じていない日本人が、判断の基準をイギリスの劇評家に預けてしまった結果である。アーサー・シモンズも誉めるのだから貞奴はすばらしいに違いないというわけだ。
 フジタとハナコは似たところがある。日本での評判と世界での評判のギャップである。同じことのくり返しは、マンガについても起きた。今でこそ、マンガは日本文化を世界に広げる窓口のように言われて、国内でもちやほやされているが、ヨーロッパで日本のアニメやマンガが評判になり始めた頃、日本の学者や政治家はマンガなどには洟も引っ掛けなかった。却って有害視さえしていたことを忘れてはいけない。そして今でも、日本で評価の高いマンガとヨーロッパで評価の高い作品とは微妙に食い違っている。
 ハナコとフジタを軸とすれば、ジャポニズムの後、ベルエポックから第二次大戦にかけてのヨーロッパ文化を、日本とのからみの中から覗くことが可能になりそうだと思う。『儒林外史』的なものにもなるかも知れない。そして、それは日本文化の自覚と評価にかかわる問題を提起できそうな気がする。
『ハナコの首』は六年ほど前に秋元さんから頂いた。役職についていた余得である。そのまま寝かせてしまったのだが、フジタの『バリの晝と夜』で花子を見かけたのがきっかけで読んでみた。フジタの座談会同様、良い本は寝かせても鮮度が落ちない。

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2007/02/11

納豆とメディア良化委員会 -『図書館危機』有川浩 メディアワークス 2007.3.5初版読みました-

 今回のメインの事件は水戸で起きる。千波湖畔に出来た茨城県立近代美術館と図書館が共同で開催する美術展が火種となった。その美術展に応募して首席の作品となったのが、“自由”と題する良化委員会を批判した作品だった。当然良化委員会はこれを抑えようとする。そこで関東図書隊が応援出動するのである。
 水戸といえば納豆なので、妙にタイムリーな作品になっている。それに、あの捏造事件は、メディアに対する法案の用意をさせてしまいそうだ。今なら、世論もあまり強い反対なく、検閲への第一歩を許してしまうだろう。そんなことになっても、あのテレビ局も番組制作会社も良心の呵責を感じるとは思えない。それは他の局にしても同じだろう。
 この作品の中で、堂上が主人公の笠原郁にメディア規制法がどうして成立してしまったかを訊く場面がある。これは部下の知識を確かめる質問だ。堂上はその答えを自ら語る。
「メディアが規制される結果に興味を持たない人間が多かった。現状、良化法が撤廃されていないこともそうだ。言葉が規制されるということに問題意識を持つ国民が少ないから良化法は成立したままでいられるんだ」
という言葉は、この小説のような荒唐無稽の設定でなくても、十分に成り立ちうる。
 ダイエットに関したことだから、まだよかったのかも知れないが、直接命に関わる問題だったら、すぐにもメディア良化法かメディア規制法か、そうした法律が出来上がり、その運用で実質的な検閲が始まった違いない。今のメディアが、命に関わることで同じような捏造事件を起こさないという保証は全くない。むしろ、今回そうでなかったことが僥倖なのだ。規制法に乗せられる人々もいるだろう。紅白でのさわぎや従軍慰安婦問題での介入への対応、電波に尻をさらす芸人の人気などをみていると、良化委員会は何時出来てもおかしくないと思えてくる。図書隊設立は無理だけれども。
 メディアの商業的な成功と低俗化はセットだし、低俗化への抑制・改善を求める人々を生むのも当然だ。民主的に選ばれた政府であると自認する組織は、公共性の頂点に自らを位置づけ、その元にメディアを置こうとする。権力はカウンター・ステーツメントをうるさがるものだ、などという一般論よりも、もっと自然なメディア規制への流れがここにはある。
 もうあと一冊でシリーズが終わるようだが、この作はこれまでと比べると少し地味である。中に三つのエピソードが含まれていて、それぞれの独立性が高くなっている。中心は茨城の事件である。この事件が起きた千波湖には水戸徳川家の蔵書を元とした彰考館という図書館があるのだが、“図書館戦争シリーズ”の時代に、和古書専門図書館や司書はどうやって過ごしているのだろう。ちょっと心配になった。

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2007/02/10

『パリの晝と夜』藤田嗣治 を読みました。

 『パリの晝と夜』藤田嗣治 世界の日本社 昭和23年 初版
 共立の卒業論文にフジタに関したものが出たので、家の古い蔵書を出して読んだ。表紙と裏表紙が取れてしまって、3ページからしか残っていないのだが、表紙や最初のページも捨てた覚えはない。書類の山から出てくるものと期待している。だいぶきばんではいるが、本文は残っているし、デュランやキキの写真なども健在である。父か母の蔵書だろう。
 この読後感をここに書こうと思ったのは、この本に『儒林外史』のエンディングと通じるものを感じたからだ。滅び行く“良き文人たち”の世界がある。
この書物は、藤田嗣治、岡鹿之助、関沢秀隆、柳沢健による座談で、昔日のパリを中心にした日々が語られている。岡鹿之助は著名な画家。関沢秀隆はデュランの元で働いていた演劇人。柳沢はこの書物の編集者だが、戦前はフランス駐在の外交官であった。
話はフジタが中心である。第一次大戦中もパリに踏みとどまり、画壇の地位を確保していったフジタの生活が彼の肉声を通じて再現されている。パスキン、ピカソ、モジリアニ、マチスといった画家、音楽家のエリック・サティ、話だけだが、ロダンのハナコも登場する。貞奴には柳沢が会っていた。石黒敬七とフジタがオペラ座で柔道をやって見せた逸話などは、ちょっとしたコラムに向きそうだ。
フランスがナチスに破れる直前に帰国したフジタはこのときまでフランスには戻っていない。戦争のさなかには出来ない話だったろう。それを語っている彼らには、解放感とともに寂寥感がある。「是非共みんな心を入れ換え、美術国としての日本の声名をこれ以上降さないようにウンと努力しなければなりませんね。その点からも、藤田さんの御健康と国際的の活躍とを益々祈らなければならないわけです。」と言った柳沢の締めくくりの言葉に反して、フジタは日本を去っていくのである。
こうした状況を踏まえると、この一冊は戦後座談会文学の白眉ではないだろうか。この後のフジタの軌跡を知る読者は、『儒林外史』を読みつつ南京の20世紀を思ってしまうのと同様な感慨に囚われる。
フジタが日本を追われたことについて、さまざまな考えがある。しかし、無言館に納められた絵を見ると、戦中から戦後にかけてのフジタを、許しがたいと感じる人の存在を無視は出来ない。
日露戦争の英雄だった児玉源太郎の子孫であり、明治以降の名族であり、世界に知られた画家であったフジタが、その戦争協力とも見える一連の画作によって、それが優れた作品であればあるほど、迷走する敗戦感情の格好の標的となってしまう。少しでもフジタを考えるときに、まだあの戦争の影を消すことは出来ないようだ。

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2006/12/31

『誰も「戦後」を覚えていない[昭和20年代後半篇]』を読みました。

 前半を上げたので、後半もあげましょう。最初本屋で見たときは、再版が出て平台に並んでいるのかと思ったのですが、よく見たら違ってました。( 鴨下真一 2006.12.20初版 文春新書)

 前編よりも少しインパクトが落ちた感があるのは、映画への入れ込みが強すぎるからだろう。でも、僕もこのころの映画で探しているものがあり、そうか、キネ旬のバックナンバー見れば良いのかと気づかせてもらったから、非難するのはやめます。
 映画に入れ込むわりに、小屋についての記述がないのが残念。飯田橋の佳作座とか、百軒店にならんでいた映画館、後にストリップ劇場に変ったところもあった。ニュース映画館だった鍜治橋座などつい先ごろまであったし、尾張町の地球座は半地下のような構造で、これは今でもあるかも知れない。おおどこでは、シネラマの帝劇がある。あそこは、しばらくの間シネラマ専用劇場だった。でも柱があって席によっては見難かった。シネラマが下火になって今の帝劇になったと記憶する。日本でもやはりシネラマがシネマスコープより先に上演されていたんじゃなかったか。シネラマものでは『西部開拓史』が今でもDVDで残っている。
 歌舞伎、落語の復興のところで、アチャラカ芝居がないのも残念。後の雲の上団五郎の系譜が欲しかった。三木のり平の「玄冶店」や益田キートンの「判官腹切」は喜劇史上に残したい。特に、「玄冶店」と「お富さん」の関係は調べたほうがよさそうだ。この本で浅草系の演劇がすっぽり抜けているのは、浅草が戦前からあったせいだろうか。
 文献に拠る裏づけが邪魔しているのだろうか。楽師の話でも、ハワイアンがほとんど抜けている。大橋節夫は今年まで生きていた(彼は特攻隊の生き残りだった)。坂本九を生んだダニー飯田もハワイアン出身だし、マヒナもそうだ。エレキが出てくるまでスチール・ギターが洋楽の音だった。そこは忘れないほうが良い。その後のハワイ観光ブームにもつながっている。
 東京駅が楽師の溜まり場だったことも、触れて欲しかった。楽器を持った立ちんぼがドームのあたりに居て、それを進駐軍の差配師が拾いに来たのだそうだ。まだその当時の人が生きている。
 戦後の話は今集めておかないと消えてしまう。戦争の話は反省と痛み、あるいは民族意識などから積極的に集められているが、戦後の生活はそれが日常であったため、収集されることもなく、忘れられていく。思想や反省は後からで良いから、ともかく今集めた方が良い。

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2006/10/19

『妖精作戦』の夢と成長


 『妖精作戦』笹本祐一 朝日ソノラマ文庫 昭和59年7月31日初版 60年7月10日3版。『ハレーション・ゴースト』昭和60年1月30日初版。『カーニバル・ナイト』昭和60年5月31日初版 6月28日2版 『ラスト・レター』1994年11月30日初版(新装版)
 連作だが、『カーニバル・ナイト』から『ラスト・レター』にかけては話が続いている。終りの二作品を一つにして、全体を三部作と見ても良いのではと思う。一作の『妖精作戦』から、一貫して、無自覚のエスパー、小牧ノブと、それを宇宙からの侵略者に対する戦力として活用しようとするSCF(湘南藤沢キャンパスではない)という組織、彼女と仲良くなってしまった、四人の高校生を中心とした物語である。SF・コミック・アクション・学園ものとでも言える作風で、ライト・ノベルの古典だと言って良いだろう。一作はSCFに拉致された彼女を奪還する話で、二作は学園祭を中心とした彼等の超常的な学園生活のエピソードである。こちらは作者が『ビューティフル・ドリーマー』への賛辞を付しているところからも、『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』に触発された作品であることが明らかである。ちらりとラムも出てくる。最終部分は、SCFとのノブ争奪戦の続きである。ここで国立市における大市街戦があり、宇宙船にまで乗り込んでの逃走と追跡が、くすぐりギャグを織り交ぜながら展開される。
 一見、第二作がういているように見える。主人公も小牧ノブ、榊裕という主要なカップルの影が薄く、どちらかというと武闘派・メカ派の沖田玲郎が中心である。しかし、この部分は作品の要のようだ。『ビューテイフル・ドリーマー』同様に学園祭の準備期間が舞台であり、そこに怪現象が次々起きる。この現象は、現実世界が異世界に通じてしまう穴によって惹き起こされ、その穴から異界のものが現れる。これは現実世界の人間達がはぐくんだ夢たちが実体化したものなのだ。これを封じ込めるのが五人(小牧ノブも入っているから)の高校生たちである。この封印は下手をすると人々の夢を取り上げる事になるのかもしれない。夢の無い世界で良いのかという問いかけに対して、「夢なんか忘れちまえ」といって封印するのだ。でもご安心。この錠前は仮のもので、一時的に夢の暴走を止めるけれど、またすぐに夢は経ち現れて来る...という説明も付いている。ただ、もちろんここで、失うものもあるわけで、その喪失はこの作品の最後に通じている。
 シリーズのうち、三冊は息子の書棚から借り、どうしても見つからなかった最後の一冊を古書で見つけた。あまり古書市場にも出ていないようだ。なぜこれを読んだかは、前のブログに書いた『レインツリーの国』に出てくる『フェアリーゲーム』がこれを指しているのだと言う指摘が多いからだ。『レインツリーの国』では作品を同定できるほどに詳しい内容は書かれていない。だが、この作品を前もって読んでいた読者には、『フェアリーゲーム』はこの三部作以外に考えられなくなるに違いない。
文学教師的に言うと、ヤウスの言う作品受容の良い例がここに出現していると言えるので、機嫌が良くなる。また、エスパーという人間機能の拡張を、聴覚障害という機能の欠落に、構造的に逆転したと説くことや、図書館戦争もので行われる市街戦が、この三部作にもあったと指摘することも出来そうだ。
 ラノベの持っている文化的エネルギーを過小評価してはいけないという例だろう。

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2006/10/06

『図書館戦争』『図書館の内乱』『レインツリーの国』

  『図書館戦争』(有吉浩 メディアワークス 2006.3.5初版 2006.9.30 7刷。)『図書館内乱』(有吉浩 メディアワークス 2006.9.30 初版)『レインツリーの国』(有吉浩 新潮社 2006.9.30 初版。)を読みました。
 この三作品は図書館戦争物とでも名づけられる前二作品とそこから派生した恋愛小説『レインツリーの国』に分かれる。この派生作品は図書館物の小道具として使われた、つまり本編では書名しか登場していない作品に作者が内容を付与したもので、独立した作品である。
 二冊の図書館戦争物は近未来小説である。昭和の末期にメディア良化法が成立し、検閲が制度化されている一方で、図書館法に図書館の自由に関する法令が加わり、図書館がメディア良化法に対抗する法的根拠ができている。メディア良化法に基づくメディア良化委員会が法務省に設置され、都道府県にメディア良化特務機関を開設し、秘密警察めいた検閲権を発動する。一方図書館はメディア良化特務機関と対抗する図書隊という武装組織を持つに至り、これが図書館への検閲や没収に対抗して武力衝突が始まるのである。とくに「日野の悲劇」と呼ばれる日野図書館での大衝突の後、図書館隊も軍事力を整え、戦闘力を高める。その時期の図書隊新入隊員である一人の若い女性が主人公となって本編は展開している。
 『レインツリーの国』は『図書館内乱』の彼女の先輩図書隊員とその幼馴染のエピソードに登場する図書である。彼は幼馴染の、耳の不自由な娘にこの本を薦めたのだが、それがメディア良化に反するという嫌疑に発展し、彼は良化特務機関に逮捕されてしまうのである。その本が一体どんな本かというところで、作られたのがこの本なのだ。
 先にも述べた通り、『レインツリーの国』は一連の図書館抗争と切り離して読むことが出来る。これはメールとネットを通じた恋愛小説であり、出会いがネット上で始まっていて、恋愛の進行もメール交換によって深まって行く。最初に出会いがあった『電車男』とは違って、むしろ古典的な書簡体小説に近いのである。レインツリーという命名に『頭の良いレインツリー』との関係を考えたが、特になさそうだ。あえて言えば『頭の良い』方の前半にあるコミュニケーションの不全が関わるかも知れないが、特に意識した作品とは思えない。
 二人のネット上での出合いは、『フェアリーゲーム』というライトノベルについての意見交換だ。このエンディングをめぐる二人のメール交換が恋ごころを育てて行く。この『フェアリーゲーム』も作中作品であり、これがまた出版される事になるのかも知れないが(『妖精作戦』がモデルなのだから、それはないか)、二人の間では、ハッピーエンドではなかった終わり方が話題になっている。ライトノベルの読者としてはひどく不満な終わりなのだが、現実回帰と成長を促す物語りとして受け取れるものであったようだ。
 ずいぶん前に、簡単な『オバQ・ドラえもん』論を小学館の『本の窓』に書いた事があったが、それ以来、児童文学の終わり方について考えていることがあった。その書いたものが見つかったらこのブログに載せようと思うが、『フェアリーゲーム』の構成は、それに通じるところがあるように思えるのだ。
 一見ありえない設定の『図書館の内乱』が現実志向のある作中作を伴っているのは一種のねじれだが、図書館戦争ものは漫画化しても良いくらい、巧い構成とキャラクターの魅力が直截に出ている。その上、荒唐無稽のように見えて、奇妙に現実感がある。それは、世の中が、こんなことにはならないだろうけれど、よく似た状況が考えられるという現実感である。
 作中にあるメディア良化法と図書館法の拡張は矛盾した法律である。多分、法の意識が厳しい社会であれば、この矛盾は作品の致命的な欠陥とされただろう。しかし、日本の多くの読者はこれを矛盾と見ないと思う。ありうる事とみなしそうだ。日本の法意識には法を絶対視する意識が乏しいからだ。それは司法からの憲法違反判決を、容易に無視する行政の態度にも表れている。こうした社会にコンプライアンスを求めることは無理だろう。法の矛盾に馴れてしまい、一方で特別高等警察もどきの現場視察などを行政命令として行っている現状に、公務員の特別権力関係を定めていた戦前の意識がそのまま活きている。
 日常的に法意識の曖昧さと権力関係の硬直とを、小さな矛盾として抱え込んでいる読者の意識は、本来的な民主主義によって培われた意識と、集権的な現実とに分割されているのである。図書館司書が武装して特殊部隊と戦闘を繰り広げるという、リアリティの無い設定であっても、行政の集権的な権力行使に不快感や不安をもっている読者には、この作品での図書館隊の姿に快哉を送ることになる。ただ、この抗争の中で、良化部隊の人物達が描かれていないことは残念である。彼らの行動論理を記述することで作品は深くなりそうだ。

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2006/10/01

『女人蛇体-偏愛の江戸怪談史』

 『女人蛇体-偏愛の江戸怪談史』(堤邦彦著 角川選書 平成十八年六月三十日初版)を読みました。
 堤さんからもらったのが夏休み中だったから、ちょっと積読状態だったわけだ。ガンスリンガーの船間に読んだので、少し間が開いてしまった。堤先生ごめんなさい。
 さて、野口武彦氏の書評(日本経済新聞)もあったが、そう頻繁ではないにしろ、堤さんとは古い付き合いなので、彼の考えは座談で行間が読めてしまうところもある。堤さんは嫌がるかも知れないが、堤さんは彼のお師匠様の良いところをしっかり継承なさったと思うのである。
 本書の一つの狙いは仏教説話の文学化、江戸時代が行った文学化のプロセスにある。近世的合理精神による説話の変容である。説話にだけ視点を置くと重要性を見失うおそれがあるのだが、そこに女性像、さらには人間像の深層をひっかけたので、普遍性を獲得した。その上、近代への架橋を失わず、近代を超克する意識変化の過程まで視野に収める可能性を持った。その規模の大きさが、実にひめやかに語られているため、ちょっときれが悪いように読めてしまうのであるが、これはいつか補われるだろうと期待できる。
 ちょっと仲間ほめの傾向があるので、これはここまでとして、気づいた点を二三とりあげる。
 第五章「偏愛奇談の時代」の「磔刑の妬婦」に紹介されている、善意の旅人が私刑に行われている女を助けてしまう説話は、『奇異雑談抄』のものから、江戸時代での変容を説明し、そのものずばりの例がいくつか挙がっている。こうしたぴったりの例ではなく、その一部を借りたものや、あるいはインスパイアーされたものもある。多分、『南総里見八犬伝』の八輯巻二にある犬川荘介が庚申堂に縛められている船虫を、悪人とは知らずに助けてしまう場面などは、他の出典とともにこの説話が、綯い交ぜられて構成したものと見て良いのではなかろうか。また、もっと漠然としているが、円朝の三題噺『かじか澤』の中では、第四章で取り上げている『近代百物語』の鏡研の話を要素として取り込んでいるようにも感じている。
 三題噺は噺家がとっさに行う創造だから、噺家にとって素材化した噺の要素が必要である。このメカニズムはパーリとロードの『物語の歌い手』で考えられているような無文字時代の吟遊詩人の持つ能力と似た面を持つと考えられる。『かじか澤』においても、旅人がたどり着く雪中の一軒家の構想は、そこに出てくる月の輪のお熊が最初からの悪人ではなかったにしろ、旅人を害そうとする“賊”であり、そこから遁走する旅人も含めて、“一ツ家”という噺の型にはまっている。そして、三つ目の御題の「お題目」が、命拾いをする筏の材木で、これに引っ掛けて、「おざいもくで助かった」と下げになるのだ。『近代百物語』の光明真言が題目に変わるのだが、それよりもずっと大きな変化が二つの説話の間には生じている。『真景累ケ淵』にあるような、円朝の科学性は、蛇体になる女を描く事は無いが、生活苦にさいなまれた人間の恐ろしさを描いている。これなども、本書の考察に連なる要素だと行って良いのではないだろうか。
 もう一つ、探しあぐねている関連問題がある。それは「後妻打ち」で、本書では江戸時代初期には絶えたと記している事象だ。確かに、多くの資料には江戸時代に絶えたことになっている。ただ、幕末の浮世絵に、白装束を着た女達が先妻を中心に後妻のところに乗り込む図柄があったと記憶する。三枚続きて国芳のものではなかったろうか。図録を探し出せていない。広重の描いた後妻打ち図のように過去の習俗として描いたものであったかどうか、それも含めてもうしばらく探してみる。

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2006/09/04

ジョセフ・ナイの『ソフト・パワー』で思い出したドナルド・ダック

 『ソフト・パワー』 ジョセフ・ナイ (山岡洋一訳 日本経済新聞社 2004.9.14)を読んだ。
 ハーバート大学教授であり、クリントン時代の国防次官補であったナイ教授は、『不滅の大国アメリカ』の中でソフト・パワーの概念を導入し、その具体的な説明のために本書を表した。
 軍事力を中心に経済力などの目に見える力で相手を従わせるのではなく、相手の好みをこちらと一致するように誘導する力がソフト・パワーである。外在的な力ではなく、内発するものによって、他国が協調するのが狙いだ。インター・ナショナリズムに通じる側面もある。日本の政治思想には儒学的要素が、明治維新によって否定されたにも関わらず、伏水流となって存在している。その儒教的思想とソフト・パワーは共通するところがある。
中国の政治思想を二極にとらえるとき、片方に儒教を片方に法家を置くのが普通である。儒教の発想をソフト・パワーとして、対立する法家・刑名学がハード・パワーだったと見ることができる。儒教が人に内在する徳によって世界を治めようとしたのに対して、法家は外在する法による治世を考えた。内在する徳は、本来人間に備わっているものだが、教育によって引き出さねばならないもので、成功すれば、自ら進んで好ましい社会的行動が取れるようになり、低コストで安定した社会が達成できる。外在する法治システムは、客観的な基準をもち、恒常的に治安を維持できる反面、逸脱者を抑制するシステムにコストがかかり、また、人々もシステムへの恐れによって法を守っているに過ぎないから、恐れが緩んだときにはシステムを無視した行動をとる。そして、法の基盤となる思想を奉じているわけではないのだから、法にかなっていれば、その法の基盤となる考え方に反していても、平気で行動してしまう。いわゆる脱法行為が正統な行動としてまかり通る社会が出来上がり、または、超法規的な行動などが可能になる。その結果、社会は安定を欠いたものになる。しかし、こちらの社会意識は、西洋近代の社会意識に近いところがあり、『蜂の寓話』的な性悪社会繁栄説に近づく可能性を持っていた。
法家と儒家の対立は、『儒法斗争史話』(曹思峰 1975 上海人民出版社 青年自学叢書)などにまとめられているが、近いところでは毛沢東の死後、この問題が中国の政界を揺るがしていたことが記憶に新しい。日本では江戸時代には法家が徹底的に嫌われた。法家の代表格である韓非子などは江戸の儒者から「韓非子の説は盗人の智」であると排斥されていたのである。
徳川時代のソフト・パワー中心の政治思想は、西欧型の思想とそれを背景に展開した産業革命の寵児である優れた軍事力に屈した。あわてて取り込んだハード・パワーは、徳川時代に培った意識を基盤として急速に発展し、西欧とほとんど互角にまで成長した。しかし、そこに成立していた社会は、江戸時代の精神基盤を歪めハード・パワーの暴走を制御できなくなっていたのである。
雑誌『諸君』(文芸春秋社)は靖国問題に引っ掛けた特集を八月号で組んだ。その中で産経新聞の湯浅博氏が「ジョセフ・ナイ『ソフト・パワー』論の盲点」とする批判を展開した。多分その狙いは、ナイ教授の『ソフト・パワー』で、日本が靖国問題でソフト・パワーを損なっているとする見解が示されていたことに対する反発と、ソフト・パワー論の驥尾に付して靖国批判を募らせる勢力への予防線の意味があったのだろう。靖国を日本固有のソフトとして「他国にとやかく言われる筋合いのものではない。」と結論づけているが、これはソフト・パワーという概念が明確な前提を持たないと広がりすぎてしまうことを良く表している。
アリエル・ドルフマンがかつてアルマン・マトゥラールと共著で『ドナルド・ダックを読む』(晶文社 1984 山崎カオル)、続けて『子供のメディアを読む』(晶文社 1992 諸岡敏行訳) を著した。そこでは文化侵略としてソフト・パワーが扱われていた。ジョセフ・ナイの対極にある立場からこの二冊の書物は編まれていた。今後再びその価値を発揮するかもしれない。一つ間違えば、ソフト・パワーは激しい憎悪と相手国における禁止を伴うものであることが、そこには窺えた。
日本が日本人の入植した土地に神社を創建していたことは、ハワイの例などからよく知られているが、東アジアでは神社を建てるだけでなく、神道教育も行っていた。小笠原省三の『海外神社史』(2004年 ゆまに書房 復刻)や『日本統治下の海外神社』(菅浩二 2004 弘文堂)、簡単なものでは『伊勢神宮 東アジアのアマテラス』(千田稔 2005年 中公新書)などにこのあたりの事情は述べられている。敗戦後神社は灰燼に帰した。もしも日本近代の神道が、ソフトとして魅力的なものであったら、今でも残る可能性はあったろう。台湾では1900年には創建されていたのだから、46年に壊されるまで、半世紀あまりもその土地に神社はあったのである。国家というハードから自由でなかった近代神道は、ナイ教授が考えるソフト・パワーとしての資格は欠いているようだ。
今では日本アニメ・漫画を芸術的に高く評価しているヨーロッパの国々でも、日本アニメを暴力的であるとし、また風紀にたがうものだとして禁止したり一部を削除したりしていた。フランスで聞いたのだが、『ベルサイユのばら』のオスカルが男装者であることが風紀に違い、非教育的だとして、オスカルが女性だと分かる部分をカットして放映したそうだ。おかげで見ている方は訳が分からなくなり、その秘密を知っている日本アニメ通が尊敬されたという。この話を展開させて、結果として日本アニメをじかに見たい子供たちが増え、現在のフランスにおける日本語・日本文化ブームのなにがしかを形成した。などとすると眉唾になるが、日本アニメがすんなり受け入れられたのではないことは確かである。
ソフト・パワーの基本は民衆的支持だろう。それが教育によるものであろうと、それに反発する意識によるものであろうと、その動機や意図ではなく、皆が求めるものでなければパワーにはなりようがない。国が規制しても強い批判が行われても、支持されたソフトは浸透する。ドルフマンの後にドナルド・ダックは南米でまだ生き残っている。ドルフマンの言うとおり、文化侵略的な色彩があのアヒルやネズミたちには見え隠れする。それでも子供たちに愛されてしまうと、そう簡単には消えなくなる。圧力をかけられる立場、相対的に強い立場の者が取り上げようとしたり、押し付けようとすればするほど、その意に反した結果になるようだ。ソフト・パワーに属性があるとすれば、その一つはこれかもしれない。

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2006/08/27

『下妻物語』『下妻物語完』読みました。

 パリコレ上等     ー『下妻物語 ヤンキーちゃんとロリータちゃん』(嶽本野ばら 小学館文庫 2004.4.1初刷 7.20四刷)と 『下妻物語 完 ヤンキーちゃんとロリータちゃんと殺人事件』(嶽本野ばら 小学館 2005.7.20 2005.11.20四刷)を読む。ー

 二つの作品は前のもの、殺人事件ではない方が映画化され、深田恭子と土屋アンヌの好演もあって結構うけた映画だった。それで終わると思っていたら、次の作品が出て来た。二つのストーリは独立している。この作品全体の面白さは、竜ヶ崎桃子のロリータぶり、白百合イチゴのヤンキーぶりといった、二人のキャラクターにあって、それは前作で十分に尽されていた。完結編はそのキャラクターを殺人事件という状況に置いて見たもので、あのキャラと分かれがたい読者へのサービス作品だ。完結編は、前作よりも悪乗り気味だが、このノリはライト・ノベルズにも通じていて、ねらった読者層には案外うけるのかも知れない。
 二人の主人公はヤンキーとロリータという対立する若者文化に属している。一般的に、ロリータはオタクに親近性を持っている。この作品では、桃子が神とも仰ぐ、ロリータ・ファッションの権化、「磯部様」がガンダム・オタクであることが完結編で明らかになっている。『嫌オタク流』では、「オタクがもっとも嫌うヤンキーあがりのDQN」(p179)などとオタクとヤンキーを対立項として扱う。『下妻』シリーズでは、ロリータがオタクの代替項となってヤンキーに対立しているとみることができそうだ。だから、ロリータのサイドに立つ桃子は、ヤンキー、イチゴのありように対して「バカ」だとか、「アホ」だとか、罵詈讒謗の限りを尽す。
表面上の対立とはうらはらに、この二人は互いに引き合う関係にある。キャラクターを逆転した二人の名前はその現れだ。前作に説明があるが、桃子はヤンキーにとって、男名前の翔とともに特別な名前である。それに竜ヶ崎といういかつい姓がついている。ロリータに反するのだ。逆に、ロリータの根源とされるロココの象徴、ルイ王朝の紋章である白百合を姓としているのが、ヤンキーのイチゴになる。
桃子のロココとロリータの関係は、「ファッションでありながらそれに留まることなく、揺るぎなき自分自身の絶対的価値観として存在するのです。フリル全開のブラウスを着て、コルセットでウェストを締め付け、パニエをどっさり仕込んだ上にスカートを穿き、頭には思いきり浮世離れしたヘッドドレスを装着することが、ロココに身を捧げた自らの宣誓なのです。」(前編p11)と言うように、ロリータはロココの具体的な表現となっている。ロココについては、前編の冒頭に示されているが、それによると、ロココは軽薄、可愛い、バカっぽい、道徳や真実よりも優雅さや甘ったるい感情、空想癖などを尊重し、人生に意味を求めず自分が確かに体験している享楽にしか価値を見ない。自己の感覚を至上のものとして判断してしまう究極の個人主義だと言う。
この認識に基づきながらも、桃子はロココとヤンキーに共通する要素を発見してしまう。「ヤンキーのさらしとロリータのコルセットって、必然性は同じなのかしらん。そんなのちょっと嫌だ。でもヤンキーのファッションやバイクって、過剰な足し算の美学で成り立っているし、それってロリータの美学と同じといえば同じだしなぁ....」(p198)という、「過剰な足し算の美学」に桃子は至りつく。
この過剰の発生は、現実に対する効果をねらったものではない。異性にモテることを期待しておしゃれをするという領域を通り越しているのである。本田透は『萌える男』で養老孟や岸田秀の言説を用いながら恋愛の脳化を「萌え」の基盤として説明していた。脳化は想像であり自分の中で解決する恋愛である。これは「「現実なんてどこにもない」とか「ファンタジーと現実は等価だ」と言うのはかまわないけど、本当にそれで一生をまっとうする人を、普通は「キチガイ」って言うんですよ!(笑)」(p188)と『嫌オタク流』にまとめられてしまうまで、あと一歩のところにある意識だろう。
「私は途上国の貧しい人々を救うことに生き甲斐を感じ医師として働く人が抱える信念や哲学と、ロリータな格好に魅せられ、ロリータの源泉であるロココな美意識に生きることを選択した私の信念や哲学との間に優劣はないと思うのです。」と桃子は考える。そして、それが間違っていると言われても、その生き方を捨てまいと決意している。その背景には、「人は一人で生まれ、一人で思考し、一人で最後は死んでいくのです。自分が見つけ出した自分の価値観を尊重せずして何になるというのでしょう。」(p57)という人生観がある。この人生観は、「人という字は一人では成り立たない、誰かと誰かが寄り添い合い、支え合うことによって人という字は出来上がる」などという単純な社会性は拒否するところからはじまっている。もっとも桃子の孤立主義的人生観は、前作の結末では、「恋人にそうするように、私は風を感じながらイチゴの背中にそっと頭を預けました。」と同性愛風友情物語の彩りがあったために、“孤独な青春から友情の芽生え”みたいな教養小説風の読み方の中に解消してしまう可能できた。完結編でも、桃子はイチゴへの恋情にも似た感情を吐露しつつ、下妻の地を去るのであり、友情物語性はここにも保存されている。
この作品が、『ライトノベル「超」入門』の著者、新城カズマが規定する「ネクタイびと」にもうけるのは、こうした青春小説的要素だろう。ちなみに、二人の女の子はどちらも男性嫌悪症なのであり、処女性の高いピュアな存在であることも、好感度を稼いでいるだろう。
本田透の『萌える男』の論理を借りれば、桃子の究極の自己満足とでも言うべき精神状態は「萌える女」としてもよさそうだ。ただし、『萌える男』で恋愛資本主義の重要な要素としてあったファッションが、「萌え」の対象となっていたことが違っている。ファッションは有効な異性への接近回路であり、それを商業的に利用した若者文化が成立してもいるが、ファッション、衣裳の持つ文化的な意味はそこで留まるものではない。ゴーゴリィは『外套』(青空文庫所収 http://www.aozora.gr.jp/)で幽霊にまでなって、なお自慢の外套への執着を断ち切れなかったアーカキイ・アーキエウィッチを描いた。そこでは異性への思いが執着の中心ではなく、アーキエウィッチの所属集団での認知、アイデンティテイの中核が彼の外套であったし、外套が仕上がるまでのアーカキイ・アカキエウィッチの楽しみは、まったく彼の人生がそのためにあったと言っても良いものだった。BABY,THE STARS SHINE BRITHTにであった桃子と同じなのである。
ゴーゴリィの作品を日本化したのが今日出海の『天皇の帽子』(日本ペンクラブ 電子文藝館所収http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/)だ。昭和二十五年の直木賞受賞作である。主人公の茂木右門はアーカキィ・アカキエウイッチとはいくつかの点で違っているが、翻案に成功した小説である。茂木右門は大正天皇の帽子をある貴族を通じて拝領するのだが、それに至るまでの小吏の生活はアカキエウィッチとほとんど同じである。それまで風采の上がらなかった茂木右門は帽子とともに人が変わる。その変わり方と描写に当時の日本小説の技法が発揮されている。アカキエウィッチのような外套へのこだわり、外套の縫製を待つ間の昂揚は描かれていないが、天皇の帽子が茂木右門にもたらした人格の変化が描写されている。
アイデンティテイのかかる衣裳を軽々しく取りあつかうと怒られてしまう。桃子もおこるだろうが、評論家も怒る。大西巨人が石川淳の作品に怒った例もある。
 石川淳が『黄金伝説』(筑摩書房 現代日本文学全集49所収、1946年3月、『中央公論』に初出)を発表したのは1946年で、今からちょうど六十年前だ。この作品は、すぐさま大西巨人の批評に遭遇した。「真人間のかぶるものでない帽子」(『戦争と性と革命』三省堂、昭和44年10月15日、所収)は1946年六月七月合併号の『文化展望』に掲載された評論だ。ほとんど読むや否やの速度で書かれた批評だと言うことが分かる。『黄金伝説』は終戦直後の話である。一人の男が東京に着く。彼には三つの願いがあり、一つは八月十五日の昼過ぎに、乗っていた汽車の中で、ラジオ放送の噂を聞きながらで壊れてしまった時計を直す事。次は戦災の夜になくして待ったソフト帽の代わり、「戦闘帽ひとつあるばかりだが、この異様なかぶりものを永遠にあたまの上に載せてあるくことは好まないので、中折れ帽なり鳥打帽なり、真人間のかぶる帽子をどこかの店で見つけたい」という希望。そして、懸想した女性の消息を求めたいということである。この二番目を大西巨人は批判する。「何を吐(ぬ)かすか、気の利いたことを言うな、という憤りである。「この異様なかぶりものを」云々のごどき言いぐさは、現在の俗耳に入りやすい。だが、俗耳に入りにくいことをこそ、作家は、語るべきではないのか。」(p191)という一喝があり、続いて「その「真人間のかぶる帽子」でない「異様なかぶりもの」をかぶって、多くの、無数の人々が、生命を失ったり、多年の辛労を忍んだりしてきて、なお現在でも、おびただしい同胞が、南海北辺の地でその「異様なかぶりもの」をかぶりつづけている、という事実を、作者は、いったいなんとかんがえているのであろうか。」と述べる。
大日本帝国の軍帽は桃子のヘッド・ドレスより重たかったろうが、衣服が思い込みを引き受ける構造は同じである。そしてこれを制服の思想のように、トップダウンで決めていくことが近代的意識だったかも知れない。その箍が外れたとき、それまで受け付けていたその服装が、突然「真人間」のものとは思えなくなるのだ。そして叱られる。それに引き換え自分で選んでしまった服は、「パリコレ上等」(『下妻物語 完』p319)と口ずさみながら、特攻服を着てパリコレに乗り込む覚悟を固めさせるわけなのだろう。
ああ、長くなってしまった。

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2006/08/01

『知の欺瞞』よみました。

『知の欺瞞-ポスト・モダン思想における科学の濫用-』アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン 田崎晴朗 大野克嗣 堀茂樹訳 2000.5.24初版 2005.11.15 10刷。
 橘南谿はときどき畑水練という。この前の記事がその南谿のことを書いた小論だが、そこに南谿が荻生徂徠の医学知識を「畑水練」と評しているのをとりあげた。「こたつ水練」などと使うこともあり、「机上の空論」に、「門外漢の的外れ」を加えた意味で南谿は使っていた。言ってみれば半可通だ。
確かに、ソーカル、ブリクモンが本書で指摘する、ラカン、クリスティヴァ、イリガライなど、ポスト・モダンの旗手と言える人々の現代物理学、数学の利用は、南谿の言う「畑水練」のにおいがする。ソーカル等は、ポスト・モダン派の一部は人を煙にまくために難解な自然科学の理論を使ったのであると言う。これは「畑水練」の無邪気さを通り越している。本書は、彼らの現代科学に対する知識が不確かであり、みせびらかし的利用に利用したこと告発する。その実証として、ポスト・モダン的な言説をちりばめたでっち上げ論文、「境界を侵犯すること」を発表して、読者・編集者を含めたポスト・モダン派を“釣る”のである。
「境界を侵犯すること」は付録として本書に納められている。「量子重量の変形解釈学にむけて」という副題を持つこの論文の内容は僕には理解できない。その専門家であるソーカル、ブリクモンの言を信じるしかないだろう。それに従う限り、内容はでたらめであり、それを多くの、ポスト・モダンの旗手たちが賞賛したのである。そこから、ポスト・モダンの人々が用いる現代科学知識はいい加減であることがすっぱ抜かれた。彼らが使う、しちめんどうな知識は、読者への衒学だったのである。見事に釣られた人々は笑いものになる。門外漢の頓珍漢を釣って遊ぶのは、江戸時代の洒落本や滑稽本の趣味なので、中身は珍紛漢だが、そのやりくちは面白い。
ただ、本書が告発する「欺瞞」は衒学だけではない。ポスト・モダンを支えている相対主義に対する批判がもっと重要な問題だろう。本書の相対主義批判は特に目新しいものとは思えない。だが、これまで相対主義批判が一般読者の目に触れにくい所で行われていたのに対して、不適切な科学知識の指摘とともに、相対主義批判が躍り出てきたと見ても良いだろう。
 本書では犯罪捜査を「科学の方法」の例とする。「いかに筋金入りの懐疑主義者といえども、実際問題として真犯人がみつかったことに疑問を差しはさむ余地がないという状況は考えられる。結局のところ、凶器を所持しており、指紋も発見され、DNA鑑定の結果も一致し、証拠書類もあり、おまけに動機も十分等々、ということもあるかもしれない。」(p80)これが“厳然たる客観的事実”つまり科学的事実になるのである。
 是に対して、ポスト・モダンは客観的事実を疑う認識論的相対主義的立場にある。ソーカルは科学的事実、客観的事実まで疑う認識論的相対主義と、文化・環境や主観によって左右される倫理的相対主義、審美的相対主義を区別する。問題なのは認識論的相対主義なのだと相手を絞る。たとえば、本書では、人類学者がさまざまな民族の神話などを調べるとき、相対主義的な立場をとるのは当然であるとする。これを方法論的相対主義、また人類学的相対主義と呼ぶ。しかし、この方法論的相対主義が認識論的相対主義に繋がり、人類学者が部族の神話も現代科学も「特定の文化の文脈の中でしか意味をなさない」(P257)という考えに陥ることは否定するのである。
 1985年に『現代思想』が特集「パラダイム論以後科学的真理と相対主義」に掲載したバリー・バーンズ/デイヴィッド・ブルーアの「相対主義・合理主義・知識社会学」の結語は、相対主義的な思考によって、追い詰められた合理主義者の立場の説明ではじまっている。
「「これだけが合理的なものである」とか「これだけが妥当な推論である」と語ることはできる。合理主義者が敗北から勝利を結局つかみとるのはここにおいてである。なぜならば、相対主義者は理性と戦うことはできるが、信念に対してはどうしようもない。信念は三位一体を守ることもできるし、ザンデ族の神託も、ルーバ族の祖霊も守ることができるように、合理性を守ることも出来る。信念こそは相対主義に対して最も効果的な防御として、伝統的に用いられてきた。」p97
 このいささか揶揄的な言い回しで、科学的事実に対するこだわりは三位一体、ザンデ族の神託、ルーバ族の祖霊と同列に並べられた「信念」の一つにされてしまう。これがソーカルの拒みたかったものにほかならない。
認識論的相対主義を他の相対主義と切り離して論じる本書の方法は、認識論的相対主義を徹底的に批判しつつ、他の相対主義を侵犯しない。問題は、相対主義全体にあるのではなく、不正確な数学の援用や、科学的事実の相対化がいけないのだと、範囲を限定するのである。
 人類学的相対主義、あるいは方法論的相対主義と呼べそうなものは、かなり浸透している。日本の高等学校教科書でも相対化を是とする記述が出てくる。第一学習社の『高等学校国語総合』第一学年向きのテキストには外山滋比古の「知的創造のヒント」が掲載されている。エディターの役割を説くこの文章では、歴史についての解釈が「生きているものが葬り去られ、半死半生だったものが復活することもないではない。」と、変化することを指摘し、「時代や人物は歴史的に不変であるが、後から現れる解釈によって、魅力的なものにも、逆に疎ましいものにもなる。歴史は後世の書くものである。後世の解釈で料理された事実が歴史となる。解釈は高度に創造的である。」と歴史上の事実のある部分は相対化されうることを指摘する。
 この教科書の読者はどのような受け取り方をするだろうか。これを歴史的相対化として受け取るか、事実全般の相対化として受け取るだろうか。歴史上の事実だけが、相対化の対象とは受け取らず、エディターが携わる仕事全般にあてはまると考えるのが普通だろう。この一文には特に自然科学は除くという注記は付されていない。自然科学の事実についてもまた、解釈が高度に創造的だと読者は思う。教室ではそう教えるのである。
この傾向はソーカルたちの危機意識を煽るものだろう。その危機意識は自然科学にとどまらない。本書のエピローグに付された注には「ヨーロッパ人の侵入に続く時期には、何百万人ものアメリカ先住民が実際に死んだのではないのか? それは一部の文化においてのみ真だとされている単なる信念なのか?」(P259)という、歴史的事実の相対化を否定する発言がある。確かにアウシェビッツや南京に対して、今、「半死半生だったものが復活することもないではない」状況である。「反動的な民族主義者が広めようとする作りごとを論駁するために、歴史の厳密な研究がどのように有効であるか」(p275)と、ホブスボームの仕事を紹介ながらソーカルは言う。「ポスト・モダン的な姿勢がわれわれをどのように無力にするか」とホブスボームが記していることは、西洋文明が近代の光の下に、それ以前の蒙昧を切り拓いてきた事を、振り出しに戻すことを恐れているのである。「時代や人物は歴史的に不変」と外山は言うが、それはこうした歴史的事実の相対化の歯止にはならない。
ソーカルが人類学的相対主義の展開に危機意識を持つのは、認識論的相対主義が単独では存在せず、相対主義総体の中に含まれていることを意味している。認識論的相対主義を、他の相対主義から切り離して批判することには無理がある。ソーカルは三つの相対主義の分割をやめるべきだろう。
ソーカル等が不可侵な事実とする客観的事実、科学的審理はハーパーマスの対応説的真理である。ハーパーマスはこれに対応する合意説的真理を設定している。こちらは集団の中で意識・無意識に成り立つ真理である。人類学的相対主義とソーカル等が呼ぶものはここにあてはまる。「筋金いりの懐疑主義者でも疑う余地のない真犯人」は、ソーカル等はこれを対応説的真理と見ているようだ。しかし、これも合意説的真理にあてはまるのではなかろうか。すくなくとも司法制度はその上に立脚している。ソーカルが例にあげたDNAや動機やらが整合性を持っていたとしても、あるいは犯人の自白があっても、被害者をいたこが呼び出しても、『藪の中』の読者なら、すくなくとも、絶対的事実の例としては不適切だと思うだろう。
だからといって、ソーカルの指摘した相対主義への危惧が消えたわけではない。先にあげた『現代思想』の特集で、パットナムがウィトゲンシュタインの言葉を借りて、「正しいとおもうこと」と「正しいこと」の峻別を要求したが、「正しいとおもうこと」はまさに合意説的真理であり、相対主義的事実だろう。「ほかの人が正しいとおもうことも認めなきゃ。」という言説は日常的に成り立つ。ただ、その中から「正しいこと」を見分けることは、かなり難しい。実のところ、ソーカルたちの著作にある多くの現代科学についての言明は、僕にとって「(専門家がいうのだから)正しいとおもう」ことなのだから。

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2006/04/09

『地図がつくったタイ』トンチャイ・ウィニッチャクン 石井米雄訳 明石書店 を読みました。

 『地図がつくったタイ』トンチャイ・ウィニッチャクン 石井米雄訳 明石書店 2003.11.30初版 2005.1.15二刷。明石ライブラリー58
 タイという近代国家は国家が成立して地図ができたのではなく、地図によって、あるいは地図を作ることによって成立した。もともとタイとその周辺の王権は、散在する小王国が相互に従属関係とることで展開していた。複数の有力な王国にはさまれた小王国が、複数国に従属することは常のことであったし、有力な王国は小王国のそのような従属関係を認めてさえいた。この地区に参入してきたヨーロッパ諸国、とりわけタイ周辺ではイギリスとフランスには、その地区がどちらに属するか不明確な、こうした王権のあり方を受け入れるわけには行かなかった。これは近代ヨーロッパの国家観、とりわけ帝国主義的領土分割には反していたからだ。タイと敵対するビルマと事を構えていた英国は、敵の敵であるタイに対して友好的であったので、比較的問題は少なかった。それでも国境概念の明確化をタイに対して要請した。タイと敵対したフランスの場合は、バンコクのメナム川(チャオプラヤー河)に戦艦二雙を入れ、メナムを封鎖し宮殿を射程内において、タイのラオス・ベトナムにおける領土の放棄を迫った。パークナム事件、仏暹事件と日本では呼ばれた国際紛争である。典型的な砲艦外交だが、まだ帆船だったフランス軍艦をタイ海軍と沿岸警備隊は阻止できなかった。仏領インドシナ、つまりラオス、ベトナム、カンボジアはこうしてタイから切り離された。
 イギリスとフランスという二つの帝国にはさまれた、タイ、つまりシャムにはヨーロッパに匹敵する国家観が必要となった。そこに発生するのがタイの地理的身体(ジオボディ)である。トンチャイ氏はジオボディという概念を、意識をもった有機体としての国家の意味で使う。ここでは複合王権は許されないし、なにより統一した意識が必要となる。その意識をネーションフッド(国民意識)と規定する。
 『ガルーダ』というタイ製の怪獣映画があるが、見てみるとタイ的民族意識が実によく出ている。怪獣を呼び出してしまう困ったチャンに相当するのは、外国、それもフランスの血を引いた女性考古学者であり、怪獣退治をするのはタイの正規軍である。その軍隊はかつて戦った怪獣に仲間を殺された喪失感に悩んでいる。という背景は、1893年を引きずっているのではないか。トンチャイ氏も本書の中で、タイの大衆文学が構造的に持っている国民意識について語っているが、それがまだ繰り返されているのだろう。
 日本の場合、小王権の重層性は、まずは江戸時代にはおおむね解消していたと思う。室町から戦国にかけての日本の王権も、近代歴史学が唱えるほど安定したものではなかったにしても、なんとか持続はしていた。しかし、現在の韓国の民族派が問題とするように、対馬の宗は二重の臣従関係下に特殊な利益を獲得していたし、琉球も清国との間に臣従関係を構築していた。この二重性の清算は明治政府によってなされ、さらに朝鮮半島と台湾への侵攻となって展開された。
 日本のジオボディは江戸時代を通じて行基日本図からあまり広がらない。つまり北海道と琉球は除外されていた。これは古地図によって確認するよりも、一枚刷りの『大雑書』である『両面刷年代記』などで確認するのが良い。なぜならば、こうした一枚刷りは一般の人々が手元に置いて常に参照するものだったからだ。人々のジオボディとしての証拠能力は高いのである。言説上のジオボディは紀行文を通じてなされていた。『奥の細道』をはじめとする江戸時代の紀行文が持つ一つの性格は、まさに伝統的な内側の確認であったと言えそうだ。
 「地図がつくった国」という考え方は、決してタイだけに当てはまるものでない。非ヨーロッパ文化にあって、近代国家を形成したすべての国家に多かれ少なかれ見られる現象であろう。そして一つの国家を超える、ヨーロッパ共同体のような試みを受け継いだこの世紀に、地図によって作られた意識をどう清算できるのか、影を潜めたインターナショナリズムとのからみも含めて興味ある課題である。

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2006/03/20

『足跡(そくせき)』プラムディヤ・アナンタ・トゥールを読みました。

 『足跡』プラムディヤ・アナンタ・トゥール 押川典昭訳 1998.12.10初版
 この作品で主人公ミンケは活躍の場をバタビアに移す。インドネシア第一の都である。登場人物もニャイやフランス人画家のジャン・マレとその娘メイ・マレの存在は希薄になる。とりわけ一部・二部で颯爽とした姿を見せていた剣士ダルサムは全く登場しない。
 ジャカルタでのミンケの生活は医学生として始まり新聞人として終わる。その間に、医学生であることを放棄するきっかけとなった中国女性、安山梅との生活が挿入される。梅は二部に登場した中国の活動家、許と関係のあった女性だ。ミンケは彼女との関係を通して、アジアの被圧民族の立場に目覚める。きっかけは日露戦争である。ミンケはアジア人として対馬における日本の勝利を喜んでいる。梅は言う「ミンケ。あなたがトレポネマ・パリズム-たしか、そういう発音でよかったわね-と淋病菌について話したのも偶然ではないと思う。日本とイギリスの帝国主義は、まさにそれ。ふたつの病原菌で彼らはこの世界をディワンの身体みたいにしようとしている。」ディワンとは、ミンケが通う医学校の実験用の患者で、梅毒と淋病に侵されているのだ。ミンケのもつ、アジアと西洋という単純な民族構造認識を破棄させるのが梅の役割だった。日本にとっては、脱亜入欧の反面であり、脱亜入欧を唱えながらアジアの盟主になろうと試みた無自覚な行動に、ややもすれば乗せられたアジアの知識人の姿がある。
 この梅も死んでしまう。ミンケの女性運は極めて悪い。そして医学校を逐われたミンケは新聞を作る。新聞と民族運動。それに対する妨害が始まる。民衆の後進性も運動を滞らせる。迷信はどこでも近代化の敵となる。日が悪かったり、数がわるかったりする。そうした思考から人々を解放しなければならない。そして、その人々はほうっておけば、「彼らはどこまでも運命の小さな殻のなかで生きていくのだ。ついに比較する世界をもだすに。無知なる者は幸いである。知ること、くらべることによって、はじめて人は自他の位置に気づかされ、他者との比較のうちで不安や不満を覚えるものである。」(p281)という認識は、一方でアンダーソンの『比較の亡霊』につながり、もう一方にはジラールの欲望の三角形につながっている。
 新聞に対する弾圧によって、ミンケは新しい妻、これはプリブミの王の娘、つまりプリンセスであるが、彼女との間をも引き裂かれ、逮捕されてしまう。第三部はここで終わる。

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2006/03/08

『誰も「戦後」を覚えていない』(鴨下信一 文春新書)を読みました。

『誰も「戦後」を覚えていない』鴨下信一 文春新書 平成17年10.20初版
 鴨下信一はテレビプロデューサーで、番組の考証のために戦後の風俗を考証したのが、この書物の動機になったのだろう。近い過去だが、忘れられている多くのことを掘り起こすのを目的としている。それでも隔靴掻痒は免れない。それは著者の筆ぶりにも現れているが、自分の経験であっても、過去を髣髴現前させることは至難の業である。それこそ、マドレーヌの味わいに期待するしかないのだろう。それでも著者はこれを伝えねばと思うようだ。それは終戦を経験した人々に共通した、一種の脅迫神経症とでも言えるものだ。理由もはっきりしている。二度と繰り返さないためである。
 妹尾河童の『少年H』から引用して始まる「何を信じたらいいの?」の章は戦後の国語政策に関する記事だが、出だしは、戦争遂行の旗振りだった戦中の新聞が、一言のわびもなく、戦後体制に転進したことから始まっている。国語の問題を取り上げる前に、新聞をはじめとするジャーナリズムの問題が必要だったのではないだろうか。私的な経験だが、中学時代の恩師たちは、すべてが戦争帰りだった。機銃掃射で生涯足を引きずっていた理科の教師が、まず僕達に教えたことは、「新聞を信じるな」だった。次に「活字を信じるな」と言われた。信じるためには実証しろ。根拠が何か調査しろ。理科だけの問題ではなかった。彼もまた伝えねばと思った人の一人だ。
 もう一つ、子供のころと重なる記憶は、「肉体の門」の章にあるパンパンだ。「あの夜の天使たちは物事の裏側から日本女性の自立の姿を描いたようなものだ。」としながらも、その終焉は、彼女達の多くが肉体的にも精神的にも崩壊していたこと著者は示している。大学生くらのころだが、田町あたりのバスによく乗っていた女性がいた。かなりの年配で、顔を真っ白く塗り、髪は半分抜けていた。どぎつい赤の口紅で、英語のイントネーションでしゃべりまくる。一見して精神に異常をきたしているのはあきらかだった。路線バスの乗客は、大抵同じ線で同じ時間帯に乗り降りしているから、特徴的な人物はみんなが知っている。彼女が乗ってくると、他の乗客はなんとなくその周辺を避けるのが常だった。彼女の話には、彼女が肉体の防波堤として日本の子女を守ったのだという主張が混ざっていた。彼女の以前の職業がそこからうかがい知れたのである。オリンピックの直前ごろ、彼女は居なくなったようだ。彼女が「男の戦争は簡単でいいわよ」と都バスの車掌(そのころは男の車掌も居た)に、大声で話しかけていたのを今でも覚えている。
 戦後の記憶は次々に消滅していくだろう。個人の中でも社会の中でも、それを保存するのは難しい。

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2006/03/07

『すべての民族の子』プラムディア・アナンタ・トゥール を読みました。

 『すべての民族の子』プラムディア・アナンタ・トゥール 押川典昭訳 めこん 上1988.5.12初版 2000.8.10二刷 下1988.6.12初版 2000.10.10二刷
 前編の『人間の大地』の続きにあたる。ミンケの妻アンネリースの悲惨な死によって物語は始まる。ミンケの物書きとしての立場、原住民でありがながらオランダ語で書くという立場に対する批判が彼の心を揺さぶり、加えて中国の革命家、許亜歳の登場と死がさらに彼の意識を深める。そこには、日清戦争前後に国力を伸張しはじめた日本が通奏低音として流れている。西洋と肩を並べる日本という可能性が、アジア全体に方向性を齎した。ミンケの場合には、個人的な植民地悲劇から拡散する。
本編は一部の続きであり、ニャイの管理するバイテンゾルフ農場を居場所とした物語であることは変わらない。主人公ミンケにはそこから抜け出る契機はあるが、まだ第一部で発生した因果関係から自由にならないのである。
 新たに獲得されたのは、ミンケとニャイ、これにコンメル、実在の作家をモデルとしたミンケに好意的な知識人であり、ニャイに恋心を抱いている人物であるが、この三人がニャイの故郷、トゥランガンに旅に旅をする。その旅で得られたミンケの経験である。ミンケはそこでニャイの兄一家の家に行く。製糖工場である。ここでニャイの姪が嘗めた辛酸と製糖工場に搾取され続ける農民一家に出会う。彼はそれを筆に載せ新聞に訴えようとして失敗する。製糖工場の持つ権力は彼の言論も簡単に圧殺するのである。ここでミンケは植民地支配に加えて資本による支配に直面する。妻を強奪して殺した植民地支配よりも巧妙に働く資本のあり方が、ヨーロッパ文化に浴した現地人としてのミンケの知性に、搾取される者の立場を教えるのである。
 登場人物のうち、ニャイは理想的に過ぎている。一部では気にならなかった部分も二部だと目につき始める。ダルサムという剣術の使い手やデブと呼ばれる不思議な中国人はとても魅力的で、物語をひっぱる影の役割を果たしている。こうした人物造型がバイデンゾルフ農場でのドラマを飽きさせないものにする。
 第二部の山場はバイテンゾルフ農場の持ち主として現れるアウリッツ・メレマへの糾弾であろう。オランダではボーア戦争の英雄であり、日本の興隆に対して海軍基地を整えるために東インドに赴任してきたアウリッツは、ここで植民地支配者として痛烈な指弾を受ける。前編からニャイやミンケの立場に切歯扼腕している読者にとって、一時的な痛快感がここでは味わえる。しかし、それがあくまで一時的なものに過ぎないことは、容易に想像できるのである。
 プラムディアはスカルノ政権下では社会主義者として、文化行政の中心に居たらしい。それがスハルト政権では一転して、流刑地ブル島に十年間流謫される。この間に物語ったのがこの四部作だと言われる。もとは語り物であったというのだ。語り物を作者が書き物に直したこと自体、興味深いことである。
 歴史語りとしてこの作品を見たとき、歴史小説とどう違うかが問題となる。歴史小説の創作が誤った史実を作り上げ、将来を過つことはこれまでも見てきた。そのことと、歴史物語が、史実の羅列とは異なった歴史の全体像を伝えること間隙を、どう考えるかという問題である。

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2006/03/04

『嫌オタク流』読みました。

 『嫌オタク流』中原昌也 高橋ヨシキ 海猫沢めろん 更科修一郎 太田出版 2006.2.6一刷
 今、オタクと呼ばれる現象についての座談会である。かつてのオタクはもはや市民権を失ったようだ。この中で鉄道オタク、つまりてっちゃんに触れているのはわずかに数行、「鉄ちゃんはどこいったんですか。みんな電車に轢かれて死んじゃったの?」と、おばさんに襲い掛かる綾小路きみまろのような舌鋒で始まり、結局、オヤジの良い趣味系と精神異常者の趣味に分かれてしまったと片付けられる。この人たちが言っているオタクは、金になる「萌え」系の文化に関わっている人々だけのようだ。まずここで少しさびしくなる。
この座談会の参加者は、金になるオタクという概念には強い反発を感じながら、実はそのオタクをのみ取り上げている。そのため全体として萌え系オタクに注目した書物となっている。もっとも、いまさら鉄道オタクを取り上げても社会学的考察には資するところがあるかもしれないが、売れる本は作れないだろう。軍事オタクにしても同じだが、ガンダム系オタクのおかげで、まだこちらは生きているとみなされている。つまり、今マスコミを騒がせているオタク現象に反抗する座談会であるから、今取りざたされているオタクから外れた、古かったり、地味だったりするオタクには最初から相手にされないのである。
 本田透の『萌える男』が虚構の中での自己存在を肯定的に見ていたのに対して、「「現実なんてどこにもない」とか「ファンタジーと現実は等価だ」と言うのはかまわないけど、本当にそれで一生をまっとうする人を普通は「キチガイ」って言うんですよ!(笑)」という発言は正反対になる。この姿勢は、座談会の参加者たちが、なるべく現実に身をおいて、彼等の言うオタクという現象を検証するという、過激な言辞を弄するわりに常識的な立ち位置にいることを見せている。現実を奇矯とする意識はないのである。だから、オタクの被害者意識は理解が出来なくなっている。
この書物の題名に使われた「嫌~流」という使い方は、「嫌韓流」を意識している。本書のスタンスではオタクは国粋主義者である。「嫌韓流」と国粋主義を簡単に結びつけて良いかは問題だろう。旧植民地に対する宗主国としての立場は、対等な国家関係での国粋とは異なっていたはずだ。どうも現代日本人は対米戦争に負けたのを良いことに旧宗主国としての責任を、頬かむりしているように思う。意識や歴史認識においてもである。今それを問題にしても仕方がないが、本書では韓とオタが置換構造をなしているのである。
飲み屋で上司が若い部下に「おまえ一年戦争を知っているのか」といって延々と訓戒をたれていたサラリーマンの逸話は、ありそうで面白い。オタク文化の一般化だろう。なんかオタクをカッコ良いものだと思い込んでいる半端な大人、これに対する反発が本書の根底にあるような気がする。

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2006/03/03

 『デルフィニア戦記 第四部 伝説の終焉』読みました

 『デルフィニア戦記 第四部 伝説の終焉』茅田砂胡 1 2005.1.25 2 2005.3.25 3 2005.5.25 4 2005.7.25 5 2005.9.25 6 2005.11.25
 最後のエピソードが最長編になっている。このエピソードでは女王リィの女性美を強調する場面が目立つ。それがもともと少年だったリィとの対比に効果を持っている。また、これまで、中央三国の拮抗を中心として成り立っていた世界が北方と西方との国際関係、つまり合従連衡の構えをとることにより、政治的複雑さを発生させている。最後が少し駆け足で、残った国々や敵対する王の処置など、終始を明らかにしない不満も残るが、女王の存在を神話に高める設定は長編の締めくくりとして成功しているだろう。
 箱庭的な感が否めないのは、世界が作り物であるからだが、国際政治的要因を織り込み、単純な勧善懲悪に落とさなかったところがこの作品の成功要因だろう。ライト・ノベルのファンタジーを考える上で一つの標準となる作品だと思う。

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2006/03/02

『デルフィニア戦記 第三部 動乱の序章』

 読みました。『デルフィニア戦記 第三部 動乱の序章』茅田砂胡 中公文庫 1. 2003.12.15 2. 2004.1.25 3. 2004.3.25 4. 2004.5.25 5. 2004.7.25 いずれも初版
 デルフィニアの宮廷生活と宝塚的な設定がやや飽きられ始めるところに、デルフィニアと隣国との軋轢が始まる。緩急の構造がタイミングよく働いている。これまでの展開では、緩急はあまり意識する必要がなかったが、宮廷劇、とりわけ恋愛、婚姻を中心とするストーリーが介入してくると、組み合わせをしくじると読者を逃がす恐れが出てくる。特にこの種類のファンタジーでは恋愛譚の挿入は難しい。読者が求めているものとは異なるからである。だが、長編化すればどうしても恋愛譚の挿入は不可欠になるので、全体との整合性を活かして組み込む必要が出てくる。登場人物を類型的なキャラクターで固めている以上、恋愛セットも類型的にならざるを得ない。結果として読者の予想通りに事態は進行するのだが、その進行を、戦乱を中心とするアクティブな出来事と絡めることで読者を牽引することが出来る。
アクティブな出来事では、超人的な英雄が主人公であるので、危機は回避されるのが約束である。そこでの興味は危機の質と回避の経緯である。それをいかにうまく作るかが作者の腕である。読者をはらはらさせなければいけないが、あまり怖がらせて読者が逃げることも防がねばならない。
 江戸時代の作家だった山東京山は、主人公があわやという場面で、この主人公は、今は危険な目に逢っているが、必ず抜け出して敵討ちをするから安心しろなどと書いてしまう。これではネタバレで、読者がつまらながるだろうと思うのは間違いである。今でも児童文学の読者たちは、あまり怖かったり、かわいそうだったりすると、先を読むのをやめてしまう。エンターテインメントの文学は、読者に過度の緊張を強いてはいけないのである。けれど、あまり緊張がないのも読者に飽きられる。
 この部分では、宮廷での出来事と戦乱という緩急設定がたくみであり、解決を約束された危機が山場として設定されている。三部になっての特色は舞台の拡大が行われたことであるが、それは物語地理の拡大だけでなく、生活圏の拡大ともなっている。それによって長編化による物語の弛緩を防いだといえるだろう。

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2006/02/28

『デルフィニア戦記 第二部 異郷の煌姫』読みました。

 『デルフィニア戦記 第二部 異郷の煌姫』茅田砂胡 中公文庫 1 2003.6.25初版 2005.7.5 3刷 2 2003.7.25初版 2005.10.25 3刷  3 2003.8.25 初刷 2005.12.15 2刷
 デルフィニアの国王が定まった後、隣国と国内の反乱分子の平定が課題となってくる。前編は王が奸臣を追い出して王位を復活する物語であり、こちらは王国の安定のための物語である。陰謀、暗殺から事件が展開する。リィに従者がつくことになるが、この関係が面白い。
 リィという若い、小さい美しい女性の形をしたヒーローは、女性を主人公とするアクションを好む最近の傾向にうまく乗っている。さらに弱く見えるものが実は強いという設定は、これはアクション小説の定石と言っても良い。江戸時代の女侠もの流行もこの流れにのったものだ。この女侠ものは中国の白話小説、『女仙外史』や『児女英雄伝』などの影響を受けている。比較的最近でも武田泰淳の『十三妹』という女侠ものの傑作があり、べつにジュブナイルの新しくひらいた境地ではない。江戸の女侠ものは中国産の種に加えて、江戸歌舞伎の女形の芸が加味されていいたから、当時の読者はビジュアルな要素も読み取っていたのである。『異郷の煌姫』での組み合わせ、超絶的な女性主人公と刺客的な従者という関係は、馬琴の『侠客伝』の姑摩姫と垣衣の組み合わせと同じである。『侠客伝』では垣衣の活躍が十分行われないうちに中絶しているのが残念だ。『侠客伝』は幸田露伴の『運命』につながっている。
 女侠は中国での発生からずっと、刺客と切り離せない。『異郷の煌姫』でも忍者もの的な構成が確定し、この後の作品展開でも継続していく。この忍者ものは山田風太郎の忍者ではなく、池波正太郎の『真田太平記』に近い。
 編を重ねてくると、表現などの紋切り型が気になり始める。登場人物は型破りで、その行動に他の登場人物が「頭を抱えて唸る」シーンなど何回も同じ表現が登場する。意外な話や光景に同席者が一斉に机に倒れこんだりもする。こうしたメタ表現は一部のジュブナイルや同人ノベルの特性の一つといえるだろう。紋切り型表現を作品の欠陥とする古典的な評価から言えば、この作品は落第だろう。もっとも、ホメロスの紋切り型表現を研究したミルマン・パーリとロードは“The Singer of tales”を著し、文学研究におけるアインシュタインとまで評価されたのだから、紋切り型が悪いわけではない。読者との共通理解の上に成り立つ紋切り型表現は、その言語的意味以上の内容を読者に伝えられる。そこが作品の成否の分かれ目なのだろう。
逆にジュブナイルの特性とは無関係に、優れた食物描写が現れ始めた。これは3部になるとより深化した形を取り始める。『サチュリコン』的な美食表現とは一味違い、これも池波正太郎的な食べ物描写である。少し素材と調理法に触れるのである。味はどう表現してもピンこないし、出来上がりの見た目からではうまいまずいは伝わらない。素材と調理方法を記せば、料理をしたことが無くとも味の予測はつくものだ。バリー・ヒュガードの『鳥姫伝』シリーズではパロディアスに美食表現を扱っていたが、おいしそうな食べ物が登場する物語に、つまらないものは少ない。

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2006/02/21

『デルフィニア戦記 第1部』読みました。

 『デルフィニア戦記第1部 放浪の戦士』茅田砂胡 中公文庫 1 2003.1.25初版 、2 2003.2.25 2005.8.25 3刷 、3 2003.3.25初刷 2005.10.25 3刷 、4 2003.4.25 初刷 2005.5.30 3刷
 ジュブナイルのファンタジーである。以前に『十二国記』を卒論でとりあげた学生が居て、たまたま指導を引き当てたので通読したが、あちらはゼラスニーの『アンバーの九王子』シリーズを強く感じさせる作品だった。それは現実世界との交流を根底にしていたためだろう。そして、かなり楽しく読むことが出来た。この作品も『十二国記』に比べられる作品だ。しかし、ゼラスニーとは異なる。むしろ感覚的にはロードスのシリーズに近いかもしれない。つまりTRPGから生まれた小説の感覚がある。
 主人公であるグリンディタ・ラーデン、リイと略称されている人物が、少女の姿になってしまった男で、その超人的な活躍が王が不在のデルフィニアで繰り広げられるのだが、彼女の姿と年齢は「萌え」の対象だ。登場してから暫くは、よくあるパターンに見える。この主人公を取り巻く一団の登場人物も、剣士であったり山賊であったり、女騎士であったりと、きわめて類型的である。第一部のテーマである王が不在である不安定な中世ヨーロッパ的な国家という、これもステロタイプな世界である。
 しかし、それでも面白いのは、このお定まりの状況に、個性的なキャラクターと設定の巧みな組み合わせが働いているからだ。時としてジュブナイルは個性的なキャラクターを取り違えて、あくの強さだけを面に出してくるが、この作品では、どちらかというと、必要以上に個性を強調してこない。むしろ設定の中で活かしている。良質のテーブル・トークの風があるのだ。
 ブラムディアの次の作品を待っている、いわば船間に読んだ作品だが、止まらなくなってしまったのである。

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2006/02/20

『人間の大地』プラムディア・アナンタ・トゥールを読みました。


 『人間の大地』プラムディア・アナンタ・トゥール 押川典昭訳 めこん 上1986.1.15初版 2000.3.20 5刷 下 1986.1.15 2000.9.30 5刷
 奥付からも分かるが、恒常的な読者がある。ウェブ上でもかなりの数の読者が発言している。昔だったら優に文庫本となってより多くの読者の目に触れている書物だ。その読者には学生も含まれる。こうした良書を進んで若い読者に提供しようとしない出版界に疑問を感じてしまう。
 『比較の亡霊』を読むと、どうしても読みたくなる小説がいくつか出来る。プラムディアの作品もそれだ。少し分量があるが、一気に読める。僕は現代日本の小説にほとんど興味がもてなくなっているが、こうした作品がないからだろう。『春の雪』三部作に近いが、『春の雪』にはプラムディアの持つ植民地としての重層性がない。この重層性はベネディクト・アンダーソンが感知したナショナリズムの要件である。インドネシアの重層性は、階級的重層性に加えて、植民地としての期間の長さによる人種融合、それは中国大陸からの流入とオランダの殖民政策の結果だ。
 ニャイ、これを翻訳では注記して「羅紗面」と言うが、日本のらしゃめんが一過的であったのに対して、インドネシアのニャイは一つの階級をなすほどの期間、継続して存在したようだ。このニャイという階級の持つ問題がこの作品の主要なテーマと言っても良いだろう。この階級はオランダによって持ち込まれたものである。プリブミと呼ばれる現地人の社会は、自治領であれば、フォルスト。東インド会社直轄地ならプパティと呼ばれる在地領主の下に束ねられていた。本来これは領土を限って存在する封建領主の形態である。これを横断的に統括するオランダの勢力は、こうした領主階級のもとにヒェラルヒーを形成するはずだった民衆に、横断的な組織を発生させた。現地妻ニャイと混血児はこのように解釈できる。
 封建構造を輪切りにする存在は、日本では中世から現れる。しかし、宗主国の存在は天皇制とは異なった様相を強いた。その一つは、近代化が進行するに従って、ヨーロッパで展開する個の確立と関わる。宗主国で理想とされ始めた、個人の尊厳は、植民地人を自覚させつつ、その権利を取り上げるという矛盾した形で発現した。この小説の中で造形されるオランダ人、とりわけニャイの男でありニャイをほとんどヨーロッパの女のように教育したヘルマン・メレマや、主人公ミンケが通うオランダ式の高等学校教育はこの矛盾の発生装置である。
 主人公ミケが冒頭からあこがれるヨーロッパの文化。その代表として亜鉛製版術(ジンコグラフィー)と汽車を上げる。そして、「世界はいまや距離というものをしらないかの如くであるが、それを可能なら占めたのは電信である。」という。メディアという語彙はまだ使われていないが、技術から直結する形で指し示されているのは確かだ。
 汽車は、ミンケがふるさとに向かう車窓から、見飽きた風景を眺め「ああ、人間の大地!」と述懐する場面をつくる。そこには引き続き、なぜこの土地を支配するのが、イギリスではなくてオランダであり、日本がこれからどう関わるのかというミケの心中の疑問が続くのである。汽車、鉄道に国家の原景が映じている。これは『比較の亡霊』に見えた交通手段が醸成するナショナリズムに他ならない。
 近代東南アジアの問題提起として読むだけでなく、読み物としても最高級の作品だ。ストーリー・ティリングの巧みさは、著者が本書の内容を政治犯監獄で説き語りして聞かせていたというだけあって、古典的な語り物の要素を持っている。貴種流離性といい、別離の悲劇、特に第一部の終わり方などは『ラーマーヤナ』を思わせる。『八犬伝』の受容を眺めている目からすれば、ひょっとしてこれはジュワの古典を復活しているのではないかと思いたくなる。もしも読み比べるとしたら、『春の雪』なのだろうか『神聖喜劇』なのだろうか。ちょっと迷う。これも比較の亡霊のなさるわざなのだろうか。
 

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2006/02/18

『比較の亡霊 ナショナリズム・東南アジア・世界』ベネディクト・アンダーソン を読みました。

 読みました。『比較の亡霊 ナショナリズム・東南アジア・世界』ベネディクト・アンダーソン著 糟谷啓介/高地薫/イ・ヨンスク訳 作品社 2005.12.15
 日本では、スカルノはデビ夫人の夫だった人、という認識が一般的かもしれない。そのスカルノがインドネシア大学から名誉博士号を授与された時の逸話から、この書物は始まっている。
スカルノがヨーロッパの外交官に、「たとえばヒトラーのことを考えてみよう、おお、ヒトラーはほんとうにずばぬけて賢い男だった。おそらくヒトラーは、物質によるだけでは幸せは手に入らないと言いたかったのだろう。そこでヒトラーは、彼が「第三帝国」と呼ぶ別の理想を掲げたのだ。<略>そこでヒトラーはこう言ったのだ。「さあみんなで第三帝国を作ろう。第三帝国ができれば、女たちよ、幸せな暮らしが待っている<以下略>」と語った。この言葉を通訳していた著者に対して、聞いていた外交官は信じない。これがスカルノ特有の話し方だと著者が説明しても、外交官は却って、スカルノを気の狂った危険ないかさま師だと確信し立ち去った。このときから著者には「以前のやりかたで、「私の」ヒトラーについて考えることが難しくなった」
著者の中で相対化が発生してしまったのだろう。「望遠鏡をさかさまに覗いたような驚きで、ヨーロッパを眺めるようになった」という現象がおきたと言う。もともと持っていた見方とここに生じてしまった見方。この眩惑を、著者は、ホセ・リサールの言葉を借りて「比較の亡霊」と呼んでいる。
 前著『想像の共同体』で東南アジアのナショナリズムを解析した著者が、より具体的な展開を見せている本書だが、前著でも取られていた文学作品を通じた分析が、さらに磨き上げられている。巻を置くのが残念な専門書というのはそうは無いものだ。
 この中で展開しているいくつかの概念は、いろいろなヒントを与えてくれた。遠距離ナショナリズムを説明しながら、ナショナリズムのこれまでの展開をなぞっているとき、ナショナリズムと交通手段との関係指摘がされる。想像の共有に役立つメディアとして交通を見るのである。汽車が近代社会の中で果たしてきた精神的役割が、最近方々で指摘されている。鉄道と道路は軍事手段として国の寵愛を受けたのではなく、国民をまとめる役も負っていた。逆に、柳田国男が心配したように、土地ごとの民俗を吸収して破壊する副作用、近代国家にとってはなんと言うことの無い情緒的な犠牲を伴ってもいた。どうも、鉄ちゃんにはナショナリストが多いような気がしていたが、深層で結びつくのだろうか。鉄道に材を採る『阿呆列車』から『世界の車窓から』までに通底する相対的なナショナリズムとでも言うべきものは鉄道という近代を代表する仕掛けによって、われわれの意識に腰をすえているのかも知れない。
 情緒的犠牲は「16章不幸な国」で取り上げるバルガス・リョサの『密林の語り部』での問題でもある。近代化によって滅んでいく密林のマチゲンガ族とそこに関わる元ユダヤ人を、著者は世界で圧迫されながら、生き残りに成功しているユダヤ民族としてまさに滅んでいくマチゲンカの人々への対比として受け取る。そして、ユダヤ人であることを拒否した人物が、語り部となる意味を、ベンヤミンの『物語作者-ニコライ・レスコフの作品についての考察』から裏付ける。このように見ると、この作品には密林でのSinger of Tales が描かれることになる。
こうした示唆に富んだ、いわばヒントを片端からあげつらっていると、何時までもブログにかけなくなりそうだ。愛国心が伝統を破壊しそうなことや、エグザイルと著者がまとめる現象は、『けものたちは故郷をめざす』での大陸と日本のはざまにある主人公につながるし、この本はこの後も、何かにつけて引き合いに出す一冊になりそうだ。

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2006/01/29

『信長は謀略で殺されたのか』(鈴木眞哉 藤本正行 )読みました。

 『信長は謀略で殺されたのか』鈴木眞哉 藤本正行 洋泉社の新書 2006.2.20初版
 本能寺の変について、数ある謀略説。つまり明智光秀には黒幕が居たとする、これまでに発表された多くの説を覆すのが本書の使命だ。その裏には、NHKをはじめとして、歴史小説やらなにやらの歴史エンターティンメントへの警鐘を鳴らすことが目的の一つとなっている。
 かつて、著者の一人である藤本さんは、桶狭間の戦いが後世に害悪を流した可能性について論じていた。『信長の戦争』だったろうか。あるいは座談だったかも知れない。それは、少数の精鋭部隊が奇襲によって、おごれる大軍を撃破するというストーリーが、参謀本部の戦史への採用によって、軍人の常識となり、第二次大戦の作戦行動において、戦死者を募らせたという指摘であった。この桶狭間の記事が後世の創作であることは、今となっては、歴史学者の常識だろう。それに踊らされてアメリカ軍の機銃の前に次々命を落とした人々がいたのである。
 文学作品でさえ、人の行動規範になる。まして、それが歴史上の偉人といわれる人についてであれば、その思考や行動が後世に影響を与えることは少ないとはいえない。事実だと思い込む危険は多大である。嘘だ、創作だと思ってまねをしてくれたほうがまだ良い。
 本書を読んで、歴史小説家の発言に恐怖を感じた。歴史をねたに自由な想像をして見たというなら、許されもしようが、歴史の真実を描くと公言をして、勝手な空想をばらまくのは、後の時代に大きな危険を遺していることになる。環境破壊に匹敵する行動だ。本書はそうした人々への対抗治療薬である。NHKの歴史番組など、視聴率稼ぎよりも史実を吟味する能力を養うべきだ。
 江戸時代までの本能寺は、順逆史観によって見られていたという本書の指摘は、まったくその通りである。ともかく、下剋上が秩序を乱す最悪の行為とされていた時代だから、光秀は悪者だった。馬琴の『近世説美少年録』はもう一人の下剋上の悪人、大内家を滅ぼした陶晴賢を描いた作品だが、ここに福富が登場する。本能寺と平行して行われていた二条殿の合戦で討死した福富平左衛門と関係があるかどうかはわからない。というのも、馬琴がこの小説を中絶したからだ。そこで想像をたくましく、馬琴は『美少年録』に陶と対抗する善玉として毛利家の前身、大江家を登場させているのだから、これと福富を絡ませてストーリー展開をはかるつもりだったのではないか。などと思いたくなる。順逆史観歴史小説、つまり勧善懲悪小説では、順、すなわち善玉は善玉で集まり、集合した悪玉をやっつけるのが常套なのだ。歴史小説を書くにしても、それが史実とごちゃ混ぜにならないような工夫を江戸の作家はしていた。その方法もある程度、読者には見えるようにしていた。事実の仮面など必要なく、読者を楽しませ、考えるたねまで作っていたのである。近代歴史小説はその点貧困なのかも知れない。

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2006/01/26

『妖術』ジャン・バルー 読みました。

 『妖術』ジャン・バルー 久野明訳 クセジュ文庫 白水社 1958.9.15初版
 普通部時代に買って読まずに放置してあった本だ。今読むと、いささか時代遅れの感は免れない。ここで取り上げている『妖術』は魔女の妖術であり、ミシュレの仕事を継ぐものなのだろう。時代遅れに感じるのは、魔女のあり方を社会的病理に基づいて解析している点にある。これはきわめて合理的な解釈であり、今でも有力な説だろう。戦乱と抑圧が魔女を作るという考え方になる。激しい異端糾問がなくなると魔女も姿を消すとする本書の見方は、魔女が想像によって生まれたものだする。その想像力の根源は社会病理であり、そこに宗教的要因もある。もちろん、戦乱や農奴制、農奴制度が問題となるのは、農奴制が無かった時代のロシアには魔女が居なかったことに二度ほど言及していることから分かる。こういった社会制度の持つ病理的な側面が魔女を生み出していたことも大きな前提であるが、本書を通じて強く読み取れるのは、体制側の宗教が新・旧を問わず魔女を作り出していることである。魔女に逃避する人々を作り出していたというべきだろうが。今でもこれはあるようだ。千石イエスもごく最近の「11人ハーレム」も逃避する女性と宗教性の融合だろう。オームも盛り上げたのは女性たちだった。
 本書の論調がカブフレの『うわさ』に似いると感じたのも、抑圧、閉鎖への反発という点に共通性があったためだろう。果たしてそこにのみ原因を求めていて良いのだろうか。
 細かい点だが、再認識したのは、人形を刺す行為が洋の東西を問わない呪術行為だという点だ。日本ではひとがたが発掘されるのは10世紀以前にさかのぼるようだが、フランスの例では16世紀以降のようだ。呪術の東西交流があると面白い。また、クロムウェルが魔法を信じていて、チャールズ一世が宗教的には開明的だったという指摘も面白い。多少プロテスタントに対してマイナスの意識があるのかも知れない。
 それにしても、十一人も女性をひきつける呪文があると、本気で答える人が今でも居るということは、とても興味深いことだ。できることならその呪文、僕も...

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2006/01/22

『記憶術』よみました。

 『記憶術』フランシス・A・イェーツ 水声社 1993.6.10初版 2003.9.15 三刷
 シモニデスから始まる記憶の術をライブニッツまで追っかけた書物である。シェークスピアのグローブ座がジュリオ・カミッロの考えた記憶装置である劇場の流れを汲むものであるとする著者の見解は、一時もてはやされたような記憶がある。
 この書物を読まねばならないと決意したのは、イタリア中世の美術史について、入門書的な新書を読んでいるときだった。その中で、これはイタリア美術史では当たり前のことなのかもしれないが、写本工房と建築、絵画との共通性について語られていた。これは画題という見地から日本美術を見直したときに、考えなければならない現象で、江戸時代の絵画、挿絵、工芸品、建築に共通する文化的基盤を生成している共通要素が存在したことへの参照となる。その点で特に気をつけるべきは、ヨーロッパでは、建築・絵画・彫刻などに記憶術が付きまとっていたことだった。
 もう一つの関心は、メディアの変化に関わることだ。声から文字への移行が何を惹き起こしたかという問題を考えるとき、文字の持つ大きな属性である記憶装置としての意味を、声のメディアはどこに担わせていたのかという疑問が当然生じる。そこに記憶術があったわけだ。
 メディアの移行によって、無意味化したはずの記憶術が、声の文化のあいだ保持していた性格で、文字という、記憶が特化した文化に移行した後、剰余として文字に譲りきれなかった部分を、その主要な性格として展開し、あらたな社会的意味を確保して行ったということが本書によって理解できた。
 このときに、どうしても、日本を中心に考えている立場では、東洋まで幅を広げて、曼荼羅と寺院建築を考えなければならない。曼荼羅が記憶装置であることはかなり明確だが、まだ十分に考証されているとは言えない。画題的広がりが記憶につながったかどうかはまったく不明だ。寺院建築と彫刻がどのような意味を持っていたかも、イェーツの方法に合わせて検討してみる必要がある。
 ライプニッツに至る記憶術の系譜は、この本を手にする前から期待していた内容とは別の果実を与えてくれた。それは、だいぶ前に経験したことに通じている。当時まだ日本古典文学テキストの電子化に熱心に関わっていたのだが、スーザン・ホッケイというTEIの提唱者の一人が日本に来た。亡くなった長瀬真里が紹介してくれて、講演を頼み、その後食事をしながらおしゃべりをした。大変楽しかったその時の印象を思い出した。その時は、ヨーロッパで電子化目指している研究者たちは、バベルの塔以前を志向するのだなぁという漠たるものだった。僕は、ザメンホフやチョムスキーまでそのつながりで考えていたかもしれない。
 ルルやブルーノ、カミッロといったヘルメス主義的な思考では、統合された一つの存在を信じ模索する。それが、記憶術と結びつき、カミッロに見られる設備、つまり記憶装置にして根源に結びつく劇場という発想になる。コンピュータという、かつては夢が一杯詰まっていた機構はその後落胤だと思うのも楽しいそうだ。そのためには「本書はさまざまな点でフランシス・A・イェーツの『記憶術』の続編的役割をはたすものである。」という書き出しを持つ一冊が必要になるだろう。
 ヘルメス主義のもう一方には、統合された一つの存在と等質のものを内蔵する個別の単体が存在している。ライプニッツの単子論はそちらに目が行く。この世界を貫く等質性は宋学の理にも通じる世界観だろう。宋学が江戸で開花するのは十七世紀であり、ライプニッツの時代に通じている。こんなことを考えると、微積分学とラテン語を今から勉強してみようかなと思い始めてしまう。

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2006/01/14

『パチンコ「30兆円の闇」』読みました。

読了『パチンコ「30兆円の闇」』溝口敦 2005.10.20初版 2005.12.20三刷 小学館
ITと文化を考えるとき、この世界を避けて通れない。あきらかに、ここはIT文化の負の部分を形成するに違いない。ネットワークにおけるエロサイトや犯罪を教唆するサイトと等しい働きをしているのだろう。
ネットワーク上の問題は、ネットゲーム、エロサイト、犯罪教唆、ウィルスなど、ハードウェアを伴うことが稀であるのに対して、パチンコは裏ロムをはじめとして、さまざまなゴトに簡単なハード・ウェアが関与する。チップと基盤と半田ごてが生きている世界である。小さなマッド・サイエンティストが活躍できる余地がある。そうした個人が仕事の出来る空間が広がっている。
パチンコ業界は、古い体質、警察や暴力団とのつながりや、朝鮮問題、新しく現れた中国人問題なども抱えてはいるにしても、IT化により業態を拡大した。IT化の成功例である。
警察の食い物だったり、朝鮮への送金窓口だったりするのは、まずいことではあるが、インチキを含めて、これは今に始まったことではない。ただ、すべての規模が巨大化したのだ。
戦後のパチンコ屋方針が朝鮮系の人々に有利に運用されていたとよく言われる。タクシー会社についての噂と同じである。実際、朝鮮半島出身のホール事業者が多いことは本書でも触れられている。また、警察がパチンコに異様に熱心であることも、天下りの数から容易に判定できる。そして、パチンコは、外国から、特にアメリカから目をつけられない産業として、規制緩和の枠外における。暴力団を含めて、旧来の利権が守りやすい領域だ。これらの要素による利権の均衡が、ある種のエア・ポケットを発生させているのが本書からよくわかる。そこに、他の分野とは違う技術的無軌道が発生する余地がある。
僕は残念ながらパチンコをしない。だか、パチンコをめぐる変化はIT化による社会変化を、何がしか先取りしてはいないかと思う。

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2006/01/09

『生協の白石さん』を読みました。

 読了『生協の白石さん』講談社 白石昌則 2005.11.2初版 2005.12.1 8刷
 評判は前から聞いていたのですが、先ほど、妻が読みながらフフフと笑っていたので、読み終えた後に借りました。心温まる書物です。四年ほど前に自分で勤めている学校の匿名電子掲示板を運用したことがありました。匿名で学生からの投稿を受け、それに答えるという形式でした。最近どの授業でもとっているリアクション・ペーパーなどと違うところは、みんなが投書も答えも読めるということでした。担当者や責任者との一対一の投書・回答では、意見の共有も連帯感も生じません。それは拙劣な方法で、却って逆効果が生じることもあります。
 匿名掲示板への批判は教員からかなり強くありました。匿名は無責任な発言がくるぞ。とか、誹謗中傷があるぞ。とか、さまざまな理由で教員は反対しました。しかし、そんなものは一通も来ないのです。白石さんと同じ経験でした。結果として、自分の学生達に対する信頼感が強くなりました。
 投書に答えるのは決してつらいことではありませんでした。白石さんの答えを見ていても、それは感じます。事務的な答えや嫌々している答えだと投書は続きません。単なるご機嫌とりもなおいけないようです。生協職員という立場もあるでしょうが、学生に何かして上げられないかと考えるスタンスが、こうした掲示板や投書の場合は支えでしょう。
 まだまだ、『生協の白石さん』が生み出せる地盤が、今の学生達の間にはあるのですが、教師や周囲の大人たちがそれをつぶしているようです。「学生は常にあれど白石さんは常には無し」ですね。
 妻がどこを読んで笑っていたのか推測したのですが、「カオル姫に恋をした」投書らしいです。

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2006/01/07

『武田信玄像の謎』を読みました。 

 読了『武田信玄像の謎』藤本正行 歴史文化ライブラリー206 吉川弘文館 2006,1,1初版
 成慶院蔵の武田信玄像、鷹をつないで、ずんぐりした、ちょっと勝新太郎のような武将像である。これを武田信玄像だとするのが旧来の説で、藤本さんはそれに異議を唱えた。旧来の説を正しいとする守屋さん達との間には、これまでも意見の交換があった。藤本さんの著作から見る限り、試合は一方的に藤本さんの優勢なのだが、日本美術史の専門家には違うのかも知れない。藤本さんは歴史学者であり、考証家であり、自分で絵も書くが、何より厳密な文献実証主義者である。その点、美術史的な発想とは相容れないところがある。また、彼は大学教師ではない。なんで大学教師が学問のプロでそうでない人がアマチュアと見られるのか僕には分からないが、この分類で言えば彼はアマチュアである。プロはアマチュアを見下すのである。でも彼は、苦労して引き継いだ親の家業を続けているおかげで、文学部がなくなりそうだなどといって騒ぐ必要はまったくないのである。文学部がなくなっても藤本史学には影響がない。
 今回の書物で彼の史学の幅が、専門家には追従できないほどに広がっていることを痛感した。西鶴の『織留』に出てくる清水の絵馬の話が、長谷川等伯の子の作品だったことは不明にして知らなかった。清水には等伯四世の子孫が描いた鐘馗の絵馬があったことは記憶する。染物屋との関係も西鶴文章から見える。この辺りは信玄と無関係であるが、面白そうな話である。
 藤本さんの言うとおり、信玄像が畠山のだれかで、信玄ではなかったということになると、信玄のイメージもずいぶん変わってしまうかも知れない。あの猪首で毛の濃そうな信玄像に比べて藤本さんの一押しである信玄像はちょっと弱い。徳川家康に近い顔である。反藤本説の人々には、やはりみてくれで信玄像を選んでいるところがあるのかもしれない。
 藤本さんとは五十年くらいの付き合いになるだろうから、この論争については圧倒的な片聞きである。しかし、印象批評を嫌うという立場は通じるところがある。文学であれ美術であれ、作品には作り手の領域と受け手の領域がある。作り手の領域を研究するのに、実証的な方法は有効であった。それが近代科学の賜物だろう。ただ、現在の人文学では、作り手の領域を科学することだけでは、何の問題解決にもならないことがあると気づき始めている。だから受け手の問題をどうするか、それに頭を悩ませる。しかし、してはいけないことは、作り手の領域での問題と受け手の問題とを混同することだ。印象は大切だが、それは受け手の問題だろう。そこにはそこで豊穣な分野が開けると思うのだ。

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2006/01/04

『ガレー船徒刑囚の回想』

 『ガレー船徒刑囚の回想』ジャン・マルテーユ 木崎喜代治訳 岩波文庫 1996.9.17初版 2005.7.22 3刷
 ホーンブロワのサイド・ディッシュとして最適な一品だ。こちらには史実の重さがあるが、その分、海軍の活躍は乏しい。ホーンブロワ・シリーズの最初の巻『海軍士官候補生』にスペインのガレー船との戦闘が出てくる。ホーンブロワの舞台は1794年から始まるからマルテーユとは百年違う。それでもガレー船とイギリス軍艦との戦いは同じ様相を呈していたようだ。ホーンブロワでは、凪で動きが取れないイギリス商船団に攻撃を仕掛けてきたスペインのガレー船に対して、まだ仕官候補生だった彼が、自分の指揮する雑用艇から、ガレー船に乗り移って拿捕するという活躍が描かれる。
マルテーユの方は、フランスのガレー船に徒刑囚としてつながれていた。その船が、フランスに亡命してきた元イギリス海軍の艦長の入れ知恵で、テムズ河口のイギリス商船団を襲う。1708年のことである。マルテーユはこの戦闘で負傷する。といっても彼が戦ったわけではない。彼は徒刑囚として漕ぎ手の座席に鎖でくくりつけられていたのだから。飛んできたイギリス軍の砲弾が当たって、三列の漕ぎ手席にいた徒刑囚とトルコ人捕虜十七人が死亡し、彼が奇跡的に助かったのである。
 回想録にはかなり詳しく戦闘の全体像が出ているが、これは後に何人かの体験者から聞き書きをして集めたものだろう。体験の正確さには欠けるかも知れないが、物語的なまとまりを持っていて、とりわけ英仏の海軍軍人らしさが、ホーンブロワ以上に良く書けている。
 ジャン・マルテーユは17世紀の末にベルジュラックのユグノーとして生まれた。国外逃亡を図って失敗し捕らえられてガレー船に送られる。フランス国内におけるイェスズ会とプロテスタントの抗争の結果、こうした事件が起きたのである。マルテーユはイェスズ会士に対する怨念で貫かれている。まるでナチスによるユダヤ人の迫害のように、ユグノーたちは駆り立てられていく。マルテーユも徒刑囚としての生活以前に、逃避行が描かれているのだが、そこには、転向者や隠れユグノーに交じって、本来カトリックであっても、ユグノーの境遇や、マルテーユの高潔さにうたれて彼に手を貸す人々の姿が点描されている。凝り固まった聖職者の非人間性に対比されるのである。このイエスズ会が日本に布教に来たわけだが、その頃から仲の悪かったプロテスタント系の国であるオランダが、日本の切支丹に対して距離を置いたのも理解できる。
 しかし、徒刑囚としてのガレー船内の生活は、過酷な一面もあったが、冬季の、ガレー船にとっては戦闘の出来ない時期の生活などは、不思議にのんびりしている。手に職のある徒刑囚は一定のマージンを監督者に払って船着場にそれぞれの職場を開いたり、靴下を編んで売ったりしている。彼らの仕事が看守たちの収入にもなっていたのである。
 徒刑囚には凶悪犯罪者も多くあったが、マルテーユの記すところによれば、「いかに邪悪な人間であるとはいえ、つねにわたしたち改革宗教信徒にたいしては格別の配慮と敬意を払っていた。かれらはわたしたちをかならず<さん>(ムッシュウ)づけでしか呼ばず、また挨拶をせずにわたしたちの前を通りすぎることはけっしてなかった」と言う。宗教上の労苦に対する尊敬の念はフランス的な自由の根幹なのかも知れない。
 

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『サチュリコン』読みました。

 『サチュリコン 古代ローマの風刺小説』ペトロニュウス 国原吉之助 岩波文庫 1991.7.16初刷 2005.7.22七刷。
 フェリーにの映画になったことがよかったのか悪かったのか、 『サチュリコン』の原作は紀元62年のころにローマ皇帝ネロの取り巻きの一人、ペトロニウスが著したものだ。完全な形では残されておらず、ストーリーも読者の推測にゆだねられる部分がかなりある。翻訳者はそれを、漱石の『草枕』を引いてこういう。
「筋なんてどうでもいゝんです。かうして、御籤を引くやうに、ぱつと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」
 『サチュリコン』の翻訳者の国原先生は本書の解説でここを引用し、ペトロニウスの残欠文の味わい方を示唆している。『草枕』の中で、この会話は、部屋で読書をしている余の部屋に那美さんが来て、話しかける場面にある。那美さんが「ぢや何が書いてあるんです。」と聞くのに対して、余は「さうですね。実はわたしにも、よく分からないんです。」と答えて始まる奇妙な読書論の一部なのである。あるいはここにウィルギュウス・オラクルが投影しているか、とも思うのだが、無用の連想といえばそれまでだ。もうひとつ、翻訳者の独特な連想が発揮されている場面がある。作中詩、「内乱の詠詩」と訳者が名づけたユリウス・カエサルのローマ反攻叙事詩のうち、カエサルがアルプスを越えて侵攻してくる一説を、「ここは真冬氷雪にとざされ、ここから白銀の峻嶺が天空にそそり立つ。ここから青空が落ちたのではないかと思われよう。」と訳し、その注に、「この一行は尾崎喜八の「美が原溶岩台地」という詩の中の次の二行を訳者に思い起こさせたが、いかがなものであろうか。「登りついて不意にひらけた眼前の風景に/しばらくは世界の天井が抜けたかと思う」」とその詩からの引用を述べている。この翻訳者の姿勢は独特だ。嫌う人もあるかも知れないが、こうした遊びのない文学は貧しいのではないだろうか。
 ところで、『サチュリコン』には興味深い話がある。まず、解放奴隷トリマルキオンの饗宴があるが、これはローマの爛熟の例としてしばしば引かれる描写で、中公新書に『トリマルキオンの饗宴』という一冊があるくらいだ。残念ながらまだ読んでいない。この饗宴には、山海の珍味もあれば媚薬もある。そうした物質的な豊富さだけではなく、そこでの会話も当時の風俗を盛り込んだものになっている。中に説話的な内容もあって、ニケロスという解放奴隷が語る狼男の話がある。キリスト教以前から狼男伝説があった証拠になる。しかも、この時代から吸血鬼とセットになって語られていたのが分かる。
 この物語の前半の山場が饗宴だとすると、後半は詩人エウモルポスとの旅が中心になる。途中、乗っていた舟が難破する。そのときの描写で、沈みそうになった舟でエウモルポスが「床に坐りこみ、でっかい羊皮紙を拡げて詩を書いているのを見つけた。」というシーンがある。詩人が詩作をペンによって行う時代になっているのである。ホメロスやシモニデスの時代ではないわけだ。手帳や法学の書物についても饗宴の場面で言及があるが、羊皮紙による写本の時代なのだろう。
 主人公であるエンコルピオスはローマ市民である。しかし彼には金がない。経済的基盤を持たないのである。それに比べて解放奴隷のトリマルキオンは莫大な富を持つ。多分奴隷の中にもエンコルピオスよりもましな生活をしていた者は数多くいたろう。われわれはつい、奴隷というと経済的にも搾取され、人権も認められず、いつもぎりぎりの生活をしている存在を考えがちである。アンクル・トムのイメージが強すぎるのである。
 石母田正『中世的世界の形成』で東大寺の寺奴が、東大寺への木材供給を義務付けられ、その代わり租税の免除を受けていたことを取り上げ、その租税免除の特権ゆえに、寺奴になりたがる人々が続出したように記されている。これなども、寺奴という奴隷に相当する存在が、経済的に優位であり、大きな勢力を持っていたわけだから、独立した中小の土地所有者より優位な立場にいたことを語っている。奴隷、あるいは部民といった隷属状態に対する偏見を捨てないといけないようだ。
 この偏見を捨てると、現在の多くの都市生活者は給与で生活しており、この人々がかつての分類で、奴隷と呼ばれる可能性が見えてくる。多くの大学生は奴隷になるために苦労するのである。

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2006/01/03

『萌える男』よみました。

『萌える男』本田透 ちくま新書 2005.11.10初刷 2005.11.25 3刷 あっという間の三刷である。世間の興味を引くテーマなのだ。
この評論は『電車男』に対する反論である。『電車男』は匿名掲示板というインターネット社会の拓いた新しい情報発信源に乗っかった、これまでにない形式のノベルであったにも関わらず、内容的にはきわめて穏当な擬似純愛小説となっていた。
この評論では、『電車男』にいたる恋愛の流れを踏まえて、『電車男』が成立するまでに、「恋愛資本主義」が浸透し、「恋愛偏差値」による異性判定が行われるようになっていたことを指摘する。この恋愛偏差値は倉田真由美などの恋愛分析を借りて形成した指標である。恋愛偏差値を高める方法が商業化し恋愛資本主義とでも呼べる状況を作り出していたのが1980年代以降であるとする。
その資本主義的状況、あるいは偏差値による輪切りに対して反抗的する存在は、その競争、階梯からドロップ・アウトして別種の社会を作らねば成らない。そこにオタク社会が発生する余地があった。オタクについてはこれまでも多くの論評がなされているが、この評論では脳内主義とでも言える立場でオタクを擁護する。そこには養老孟『唯脳論』や岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』が援用される一方、東浩紀『動物化するポスト・モダン』にはやや批判的である。それは東の用いたコジューブの「動物化」と「スノビズム」の構造に「萌え」を当てはめることへの拒否がある。萌えはバラバラの欲求によって発生しているのではなく、家族回帰のような人間的衝動が背景にあるという。これがこの後の時代への救済につながるというのである。
恋愛資本主義といい、偏差値といい、面白い見方である。少子化の一因と見ても良い。そこからドロップ・アウトするオタク達は、古典的な見方ですれば、ターナーの言うコミュニタスを形成するはずである。反恋愛資本主義的、恋愛偏差値への意図的な離脱、それでいて情緒的な結合を求めるところは、コムニタス的な要素が強い。その求められる結合を本田氏は家族的に還元したが、『電車男』の魅力であった当事者の恋愛を取り巻くギャラリーたちの姿は、コムニタス的な情緒的結合を見せていたのではなかろうか。コムニタスの構成員は常にコミュニティに対する意識を持ち続ける。それがコンプレックスとして現れる場合もあるし、コミュニティに拾い上げられることによって、シンデレラ・ストーリーとなることもあるだろう。この評論ではそこを不満とするが、はっきりした運動理念があっての集団ではないオタクたちにしてみれば、それもありうる選択として流してよいのではないだろうか。
恋愛資本主義と偏差値が1980年代から始まっていたことについて、はっきりと典拠が確認できないのだが、糸井重里と橋本治の対談だったかと思う記事に「最近の男性誌におけるセックス記事は“ここを押すとこうなります”式の記事が多い」という意味の発言があった。もちろん押されるのは女の体の一部である。こうしたセックス技術論は決して新しくないが、これまでは常に「愛」のオブラートが被せられていた。それが外されてきたのが80年代だろう。これは若者文化だけではない。『金曜日の妻たち』や渡辺惇一の作品が脚光を浴び始める時代とも重なっている。あまり、書物から離れるのは本意ではないが、恋愛における性の疎外と商業主義の侵攻が二十世紀の末期に姿を現したのかもしれない。
一つこの評論に対する不満を加えておく。それは恋愛と近代的自我のかかわりについての見解である。この評論ではキリスト教的中世から近代への展開の中で恋愛の位相変化が説かれているが、それを日本の近代に当てはめ、そのまま日本の現象である萌えとオタクに適用した。果たしてそれが妥当かどうか。本書の多くの分析には魅力と興味を感じながら、やはり日本の伝統的な恋愛形態がそう簡単にキリスト教的恋愛観に移ったとは思えない。北村透谷の例は納得できるが、永井荷風や谷崎潤一郎の恋愛をどうみるのか。多くの近代日本人にはまだ江戸時代を通じて、それ以前の恋愛形態を引きずっていたことを認識して欲しい。ここを詰めるともう少し「萌え」に違った光が当てられたのではないだろうか。

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2005/12/18

『十八世紀パリ生活誌 タブロー・ド・パリ』を読みました。

『十八世紀パリ生活誌 タブロー・ド・バリ』メルシェ 原宏訳 岩波文庫 上1989.6.16初刷 2005.7.22 10刷 下1989.7.17 初刷 2005.7.22 8刷

 都市が成長するに従い、都市を主人公とした文学作品が生まれる。江戸では『江戸名所図会』がそれにあたるだろう。パリではこれだ。メルシェは共和制時代に国民公会の議員で宝くじ局局長にもなっているから、高級ブルジョワである。『江戸名所図会』の斉藤月岑も江戸の町名主、それも草分名主であるから、高級町人であり、まさにブルジョワであった。いずれもその都市との結びつきが濃い人である。
 この訳書は抜粋だから、全貌をここから推定するのはいけないが、『江戸名所図会』が地域を中心とし、地誌の体裁を基本にしているのに対して、『タブロー』では、職業や階層という人の集団に眼が行っている。ヨーロッパの都市が同業者の集団を中心に運営されていたのに対して、日本の都市、特に江戸は、地域の町役人が、奉行所から割り当てられた業種を統括したことと比べてみると、案外こんなところに、都市についての東西の見方の違いが現れているのかも知れない。この二人は、月岑が生まれたのは1804年であり、メルシェが死ぬのは1814年であるから十年は同じ時代を生きていたのである。
 メルシェはよくロンドンを引き合いに出して、ロンドンの方がパリよりも優れている点をとりあげる。歩道の完備などは、確実にロンドンに分のある比較である。『蜂の寓話』のマンデビルが死んだとされるのが1733年で、メルシェが生まれるのは1740年である。三年の違いでこちらは同時に生きることはなかった。『蜂の寓話』はロンドンを描いたとは謳っていないが、蜂の巣にたとえた人間社会は、都市に違いなく、それはロンドンであると考えるのが妥当だ。
マンデビルの『蜂の寓話』は、アダム・スミスに“神のみえざる手”を思いつかせた著作である。地誌や風俗見聞録とは異なるジャンルに分類されるが、悪徳・腐敗の世情を描くことや、その拠って来る由縁を考えるところは『タブロー』とおなじ構造である。メルシェが『蜂の寓話』を知っていたかどうか分からないが、『タブロー』の中にもパリの市民生活を蜂の巣にたとえている部分がある。「家賃を払え」という項目に「正午ともなれば街路という街路は人でいっぱいになるが、それを見るにつけ、そこを行く人々がみな夜泊る場所があるなどとは、ちょっと想像がつかない。まるでぶんぶん羽音をたてている蜂の巣だ。」と描写して、数行だが、このたとえが続いている。都市の混雑が蜂の巣を自然に連想させるのだろう。この蜂の巣の観察から、現状を統禦するシステムの存在を肯定したのがマンデビルであり、肯定すべきシステムを見出せなかったのがメルシェということになる。月岑にも蜂の巣のたとえがあるかどうか探して見なければいけないが、彼には、もとから江戸に悪徳や腐敗を見つけるつもりはない。なぜなら、月岑の知る江戸の統禦システムは完璧であったからだ。実際には方々できしみはじめてはいたが、彼にとって、まだまだ江戸は健在だった。
『タブロー』を読んで、発見したことがいくつかある。この間パリに行って泊まっていたところが、イノサン共同墓地の真上だったということがわかった。メルシェによると、積み重なった人骨のすぐ下に代書屋がたくさんでていたとある。今も納骨堂の後を示す建造物が残っているが、われわれのホテルのちょうど向かい側で、部屋によっては窓から、そのあずまやのような記念碑が見えていた。地下は大規模なショッピング・モールになっていた。大きな本屋もあって、そこで民衆本についての書物とサルチェの本を買った。石畳が続いていて、見事な広場だったが、そのまま旧中央市場に続いていた。納骨堂と市場という取り合わせが不思議なのは、メルシェも指摘しているが、土葬で死体を葬っているすぐ脇に食料品の市場があるというのは伝染病などに弱い都市構造だ。
この市場の一角にモリエールの住居がある。メルシェでは古着屋の真ん中のように書かれているが、現在はカフェだらけである。決して手の込んだ料理ではないが、親切でうまかった。(写真はモリエールの住居のあとIMGP0568
)
横山源之助の『日本の下層社会』に、四谷の残飯屋の話が出てきていた。兵舎からの残飯を「兵隊飯」と称して売りにくる話だが、メルシェの残飯屋はヴェルサイュの残飯をあさるのだから、少し高級かもしれない。文科省関係のパーティが終わったあとで、役人達が残飯でパーティをしているのを見かけたことがあるが、案外ある種の社会にはまだ残っている風習なのかも知れない。残して捨てるのよりは良いということかな。俗にこじきの宴会というやつだ。

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2005/12/09

『眞珠灣』を読む

 『真珠湾』クラーク・クレーブ 広瀬彦太訳 鱒書房 昭和十八年四月十日初版 六月一日三刷なんてものを読みました。最近は何かと読書から遠ざかっておりました。「三日書を読まず、その言味なし」で、いけませんね。
 真珠湾攻撃のアメリカ人による手記を海軍大佐広瀬彦太が訳したもの。付録としてロバーツ委員会報告書の訳がある。原著は日本軍によるだまし討ちとして真珠湾攻撃を描き、そこで果敢に戦うアメリカ兵と協力する現地の人々という、この後の真珠湾ものに共通する構図が出来ている。映画の「パール・ハーバー」は見ていないが、「トラ・トラ・トラ」は数回見ている。あそこに描かれているアメリカ軍のあわて方が、もちろんアメリカの監督によって撮影されているのだが、笑えるのである。スピルバーグの「1941」はそのドタバタを映画化したものだが、この真珠湾にもそうした話が出てくる。たまたま攻撃のさなかに、練習飛行をしていたアマチュア・パイロットの話など、広瀬に「暢達な筆致」と誉められるほど活き活きと書かれている。クラーク・クーレブは大学教授だというが、正体が分からない。
 この本は初版10000、再版10000、三版30000を刷っているので、これまでで五万部出ている。何版まであるか探してみたい。口絵に写真が七葉あり、価格は1円50銭である。
 広瀬はクーラクの原著を訳すだけでなく、帝国軍人として頭注と章末の注を加え、クーラクの見解や米国の姿勢に反論、反発し、あるいは読者に敵国アメリカの油断すべからざることを説く。そしてデモクラシーについては「利己主義の世界観、他をもつて己れに仕へしむる世界観にほかならぬ。この米英的世界観が、いかに人類の生活を不幸におとしいれ、その精神を堕落せしめ、もつていかにその健全なる発展を阻害し来つたか」と批判する。そして国際連盟を「自由平等といふ美名の下に、米英のごとき強大国が、他の新しく簇出した弱小国家群を支配し搾取するといふ一種の国際的専制主義がうまれ、アングロ・サクソンどもにのみ都合のよい不正不合理な欧州の秩序体制が出来上つたといふ結果に終つたのである。」p190と言う。まぁ、戦前の理屈ではあるが、今読んでみると、北朝鮮やイランの主張に似ている。
 十二月八日だから読み始めたわけではないが、たまたま書棚の整理をしていたら出てきたので読んでみた次第である。

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2005/11/02

『天から降ってきた泥棒』を読みました。

 読了『天から降ってきた泥棒』ドナルド・E・ウェストレイク 木村仁良訳 ミステリアス・プレスハヤカワ文庫 1997.6.30初版。
 こちらも従兄弟から借りた本だが、空き巣の名人ドートマンダーのシリーズの二作目である。解説によれば、ドートマンダー・シリーズの第一作は、ロバート・レッドフォードが主演した『ホット・ロック』だと言う。見たはずだが覚えていない。二作目では、警官に追われたドートマンダーが修道院に逃げ込んで、そこの修道女たちのたのみによって、誘拐された修道女を助け出すという話だ。修道女の誘拐犯は、その修道女の父親で、大金持ち。コングロマリットの持ち主で、娘が修道院に入るのに反対し、彼女を修道院から連れ出して、自分の高層ビルに閉じ込めたというわけだ。さて、これを救助するのだが、そこにもう一つ問題が発生する。父親である大金持ちは、自分の利害に反する中南米の一国に反乱を起こさせようと、傭兵を派遣しようとしている所だった。パトリシア・ファースト事件を連想させるふしもある。
 塔の中のお姫様を救い出すというテーマは西洋古典御伽噺の常道だ。『シュレック』もここから話が始まっていた。大抵は竜がお姫様と救出者の間に立ちはだかるのだが、この作品の傭兵隊は竜に相当する。ドートマンダーは(サラマンダーではなくて)トリックスターそのものだし、受ける要素はそろっている。
 その上、この作品には、アメリカのコングロマリットがこの当時行っていた、ある意味クレージーな世界戦略が反映している。他国に利害のために介入するという、今に至るまで続いているアメリカの病気である。これに空き巣が対抗するわけだ。これは、この時代のハリウッド活劇が好んで取ったスタイルであるし、ロバート・レッドフォードの好みのテーマでもあるが、それに加えて、アメリカ的独占資本主義の裏がわに、間抜けな部分があることをユーモラスに指摘している。マイケル・ムーアの直接的な批判とは違って、一時代前らしい屈折が作品にひねりを持たせている。やはり二つの陣営が明瞭だった当事と今との違いかも知れない。
 古いミステリーは、気が抜けているようでもあるが、そこから今を見ると、善悪構造に微妙な差が出て面白い。

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2005/11/01

『嘘じゃないんだ』 を読んで。

 読了『嘘じゃないんだ』ドナルド・E・ウェストレイク 木村仁良訳 ミステリアス・プレス ハヤカワ文庫 1991.2.15初版
 やっぱり、名作だと思う。ユーモア・ミステリと分類される作品だ。従兄弟に十年ごしで薦められていて、なかなか本が見つからず、ついに貸してくれた。
 なによりも、解説の宮部みゆきが新鮮だった。今の宮部みゆきからは想像しにくいが、遠慮がちな解説で、しかし、かなりミステリーを読み込んでいることが良くわかる筆致だ。この手の解説としては優れている。
 内容は、赤新聞に就職してしまい、初日に殺人死体に遭遇した美人記者が、赤新聞の奇矯な社風になじみながら殺人事件の解決に当たるという筋立てで、途中に出てくる新聞社内のあこぎな記事の取り方や、ジャーナリストとしての良心を徐々に麻痺させ、社風になじんでいく主人公が良く書けている。最後が殺人事件の解決になるわけだが、組織に染まって行く過程が作品の中心である。
 つい先ごろにあった。派遣会社のCMで、外国人版だが、新入社員が自分の机を探して周りに聞きながらうろついてると、周りは彼に対して、何かよそよそしく、なんとか机にたどり着きそうになると、数人の男性社員が、「なんだ、そんな、だらしのない格好で」「上着はズボンの中にしまえ。」と怒鳴りつける。もちろん、社員たちは背広のすそをみんなズボンの中に入れている。そこで、こんな会社がいやだったら、派遣会社にお電話を。というCMの狙いが完了するのである。
 この赤新聞はこのCMのような会社なのである。しかし、ここでは、戯画化はされているが、組織というもののもつ奇矯さは、日本の巨大新聞でも同じことで、それが書けている点、この作品は単なる探偵小説ではないようだ。

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2005/10/09

高橋克彦 ドールズ

 書き込みがひどく久しぶりなのは、新しいパソコンを作っていたためなのだ。その間のものをぽつぽつあげてみる。まずは読書ノート。
 『ドールズ』角川文庫 平成五年八月二十五日初版 平成十四年五月二十五日六版。『ドールズ闇から覗く顔』角川文庫 平成十年二月二十五日初版 平成十七年一月二十日 五版 。『ドールズ闇から招く声』角川文庫 平成十六年二月二十五日 初版の三冊を読んだ。いずれも高橋克彦の泉目吉ものだ。最初の『ドールズ』の設定を後二冊は受け継いでいる。古本屋ものオカルト・ミステリーだが、ドールズは喫茶店の名前でもある。盛岡にある道楽で経営しているような喫茶店、ドールズとその一階には同道堂という古本屋がある。喫茶店の経営者は月岡真治、下の古本屋は結城恒一郎。結城の姉が月岡の死んだ奥さんという設定で、月岡には一人娘が居る。
 この娘に江戸末期の泉目吉が憑依する。目吉については、為永春水の『春色恵の花』にちらりと登場するのが有名で、朝倉無聲の『江戸見世物研究』にもその部分が引用されている。グロテスクな作り物で見物を驚かしたのであるが、浅草の仲見世に人形店を出していたというから、『浅草寺誌』などを調べる必要があるだろう。目吉は回向院に住んでいて、仲見世に店があるというので、かなりディープな浅草人だったと思う。それこそ、毎日店に出るときには猿若町を通っていたのだろうし、江戸のイベントの中心に居たわけだ。おりしも茶番狂言の華やかな時代だから、屋敷向きにも多くの仕事をこなしていたろう。『恵みの花』にもそんな記述がある。しかし、どこかに制外の人の雰囲気を漂わせていたはずだ。
 そんなことを思いながら、高橋作品を読んで見た。やはりグロテスクという、目吉に付きまとうイメージを活かして作品は構成されている。目吉の作り物に、作り物の若い女の土左衛門の腸を烏がつつくという趣向があったようだ。女の人形の中に泥鰌を仕掛け、生きた烏を結わえ付けて、見物には烏が女のはらわたをつついているように見せたという。ドールズシリーズでも腸が飛び出したり、手首が出てきたりと、血みどろが売りになっている。
 僕は、ちょうど新しいパソコンを組み立てたところなのだが、古い854のチップセットで478ソケットのマザーなのだけど、これから冬だし、ちゃんとケースの収めるのは面倒なので開放的に作ってしまった。その結果、赤、青、黄色というケーブルがぐんにゃりと見えていて、はらわたがはみ出しているという点ではこの作品にぴったりの機械になっている。
 江戸を見る目にはいくつかのパターンがあるように思える。松田修などは、江戸のグロテスクが大好きで、その著作集を読めばさまざまな異端がちりばめられている。近代・現代の常識を覆すという意図が感じられるのである。江戸のてこに常識を相対化する狙いは松田修が活躍した当時の江戸文学研究者がよくとった手段だ。最近はそうした意識は希薄になり、むしろ精細な考証に研究の流れは進んでしまった。一方で江戸の日常と現在との近さが強調されるようになってきた。これも当初は遠い時代と決め付けられていた江戸を引き戻す意味を持っていて、それはそれで常識への抵抗であったのだが、抵抗性は希薄になり、やまなし、意味なし、おちなしの三無(やおい)的な連帯に堕ちてしまっている。現代と前近代の野合だろうか。
 目吉もその階層的な毒が発揮されると、いっそうの展開があるのだろう。時代違いのコナンにならないように祈りつつ、次の作品を待つことにする。

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2005/09/21

パーンの竜騎士 ジュブナイル三部作を読む

『竜の歌 パーンの竜騎士4』アン・マキャフリイ 小尾芙佐訳 ハヤカワ文庫SF 1986,10,31 初版 1996,7,15 五刷 『竜の歌い手』1988,12,31初版 1998,7,15 4刷。『竜の太鼓』1990,2,15初版 1999,6,15 3刷
 翻訳の順番が『白い竜』と逆になっているが、話としては『白い竜』に先立つ出来事である。『白い竜』で活躍する女竪琴師、メリノが海の城砦から抜け出しパーンの慣習を破って初の女竪琴師になるまでの物語が『竜の歌』で、ジュヴナイルとして書かれたものだ。内容は優れたビルディングス・ロマンになっている。それも女性の成長小説としてはかなり高い水準にある。残念なのは、他のパーン物に充分な知識がないと楽しめないところだろう。既に先進国では女性の社会的地位については向上安定しているので、主人公メリノの境遇と共通する立場の少女は少ないだろうが、ついこの間まで存在した女の境遇がファンタジーの世界に再現されている。
 レサの話、『竜の探索』と対応するように、どちらの女主人公も本来認められるべき社会的地位につけないところから物語は始まる。シンデレラ・ストーリーと解説ではまとめてあったが、貴種流離という言葉に置き換えても良いだろう。あるいは、主人公の逆境へのマゾヒスティックな共感と逆転による快感が織り込まれていると言ってもよさそうだ。この作品の方が『竜の探索』に比べるとストーリーは単純化されている。また、『竜の探索』では、レサの父であったルアサの太守一族を殲滅した新領主という悪玉が明確だったのに対して、『竜の歌』のメリノは、確かに彼女の希望に反する将来に無理やり道を付ける両親はいるが、それが通常の意味での悪玉ではない。この点にこの作品の女性成長小説としての成功があるようだ。それは一歩間違えばメロドラマに陥るだろう。ハレークイン・ロマンだという巻末解説の言葉もそう的外れではない。この作品が発表された時代相を考え合わせると、女性小説としての価値を評価しても良いのではと思う。
 『竜の歌』の続きが『竜の歌い手』である。『竜の歌』で竪琴師の工房にたどり着いたメノリのその後を書くのが『竜の歌い手』になる。『竜の歌』では、メノリを取り巻く海の城砦の保守性、女が竪琴師になることへの抑圧とそれに反発するメノリの姿が描かれていたのだが、家族や血縁共同体の桎梏から抜け出して、いわば近代における学校のような位置づけになる竪琴師の工房で、メリノはいじめを受ける。それがこの作品のテーマになる。彼女の周囲には竪琴師になるためではなく、竪琴師の工房でただ学ぶために集まった娘たちがいた。彼女とは意識も目的も違う。この娘たちとの軋轢がメノリの内心を通じて描かれる。そのいじめを跳ね返すメノリの生き方は竜騎士本編、とくに『竜の探索』に描かれたレサの生き方のリフレインである。続く作品である『竜の太鼓』は『白い竜』に少し登場したピーマアという抜け目ない少年を中心に構成される。彼はメノリがいじめにあっている時に味方、友人として彼女を支えた。そして、竪琴師の長であるロビントンは彼を諜報担当に育成するのである。彼もまた、周囲の妬みの対象となる。いじめが行われるが、彼はそれを克服する。メノリのリフレインがピーマアに現れる。
 重複は作品の欠陥とされることが多いが、ピーマァとメノリの重複は作家が意図的に行ったように見える。ここに作家の教養小説への姿勢があるようだ。
 作品の好みで言えば、竜騎士本編の三部作よりも、ジュブナイル三部作の方が魅力的だと思う。マキャフリイのうるさいほどの心理描写も、迷っている若者の心理として読むときは決してかえって効果的でさえある。あるいは、竜騎士本編を通じて獲得した作家の成長なのかも知れない。
 

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2005/08/21

ナチスの哲学と経済

 『ナチスの哲学と経済』ヘルマン・グロックナー オットー・ディートリッヒ 秋沢修二訳 昭和十二年十月二十二日初版 昭和十二年十一月十日再版 白揚社
再版までの短さは、この書物が1937年ごろのベストセラーだったことを意味しそうだ。中野正剛が日本ナチス党を唱えたのもこのころだ。「古城にナチスの旗や春の風。 春風にナチスの旗もやわらかに。 花杏ナチスの子等は行進す。」という三句は、本井英さんの『虚子渡仏日記紀行』に紹介されている虚子の句だが、当時の日本のナチスに対する見方が分かる。もちろんまだ、ナチスのユダヤ人迫害を初め、さまざまな暴虐は日本人の知る所ではなかったのである。逆に日本人とって、ナチスは当面日本を苦しめている英米に拮抗する勢力として、新鮮な驚きを持って好意的に迎えられていた。そうでなければ、「ナチスの旗」と「やわらか」が結びつくはずはない。
 ヘルマン・グロックナーは新ヘーゲル学派の哲学者である。彼はヘーゲル全集の復刻という仕事を残している。オットー・ディートリッヒについては、今のところ分からない。秋澤修二についても、哲学系の著作と翻訳が残っているが、まだ詳細の調べはつかない。
 ナチスの国家社会主義は資本主義を道具として用いることは拒否しないが、本質において資本主義や自由主義経済を否定する。古典派的考え方、つまり万人がその欲望を追求することによって経済的展開が行われるという考え方は嘘だと言う。「神の見えざる手」の神話は受容れられないし、マンデビルの『蜂の寓話』も国民の福祉にはつながらないものになる。経済はそれ自体が自律する活動でもなんで無く、民族、国民の福祉のためにあるのだから、国民に奉仕しなければ意味がない。個々の欲求を抑制して、福祉のために活動しなければならない。国民とはこの場合、ドイツ民族であるから、ドイツの経済はドイツ人のためにあるのであり、ドイツ人はその社会に貢献する経済活動を行うのである。今でいうマクロ経済、世界経済は否定される。そして、ドイツ民族はそうした思考をおのれのものとして、そこに参加する。これは自発的な参加であり、そのドイツ人によって自由に選択された結果になる。ドイツ人がそうした選択をするような精神を持つとするのが新ヘーゲル主義者であったグロックナーの考えであったために、グロックナーとディートリッヒは一緒にされた。
 共産主義に対する国民社会主義的思考は、政府が経済をコントロールすることの虚偽性の指摘から始まる。政府が経済法則によって経済政策を執って行く場合などには覿面に現れることだが、その法則が経済の主体である国民にとって活きているものではなくなっている。国民社会主義においては、国民が経済を精神的に占有するが故に、経済が国民から乖離することはないというのである。
 この精神的占有というよく分からない部分が、哲学によってサポートされるというのだろうが、この精神的状態が、資本主義との違いにも関わっている。資本主義社会では、労働者は単なる労働力であり、いわば疎外されている。その国家では国民は強制的な服属を余儀なくされる。国民には何のために服属しているか分からない。それに対して、国民社会主義は、自由意志によって参加するのであり、国家に奉仕するという目的は鮮明なのだ。
 こうした意識は所謂科学的な意識に立脚するのではなく、信仰によって実現する。むしろこうした意識からは、科学的であったり、客観的であったりする精神は排除される。そして、こうした精神は一個人の中にとどまるのではなく、そこから民族全体に広がるものとして位置づけられるのである。この拡張の論理は伊藤仁斎が『童子問』の中で用いた拡充の論を連想させた。いずれも精神主義であり、個人の意識変革によって社会変革を成し遂げようとする論者が用いる手法である。
 表現について、クラーゲスが考えたことをたどるうちに、やはりナチスの考え方を少しは知っておきたいと思ったのがきっかけで、この書物に手を出したのだが、そもそもこの書物は僕が生まれる前から家にあった本だ。中野正剛の名づけ児だという親父の書物であったことは間違いない。戦火を越えて生き残った書物である。東条と対立して自刃した中野正剛だが、もし戦後を生きて向かえていたら、ナチスをどう評価しただろう。戦争映画の悪役で片付けず、日本からナチスを見直すということも必要なのではないだろうか。

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2005/08/20

パーンの竜騎士 三冊