殿様の呪力
八月六日に蔵王に行きました。刈田岳に伊達宗高の顕彰碑がありました。昭和四十二年に村田町長大平良治によって立てられた碑です。

この碑文を要約すると、柴田刈田三万石、村田城主伊達右衛門大夫宗高は十八歳の寛永元年、刈田岳の大噴火で領民の惨状を見るに忍びず、刈田岳に登って火煙にむせびつつ身の危難を犯して命願をかけ、その至誠が天に通じて噴火が収まった。命願は三年以内にその命を失うとされていたが、宗高は三年後、京都で二条城の守護にあたっていた時、疱をわずらい命を落とした。大正十五年に記念碑を建て顕彰したが、再び新たな碑を建てた。
ということです。
『猫絵の殿様 領主のフォークロア』(落合延孝 吉川弘文館 平成八年五月初版)にあるように、近世領主には超自然的な力があると信じられていました。この話もその一つとしてみることが出来るでしょう。

大正の石碑はこちらです。並んで建っていました。
今回の旅では、山寺のほか、寒河江の慈恩寺にも回りました。こちらはあまり知られていませんが、寺としては山寺よりも趣がありました。江戸時代の規模もこちらの方が大きかったようです。芭蕉が行かなかったので、有名にはならなかったのでしょう。仏像も重文級がそろっていて、観光名所にならないのが不思議です。寒河江の町ともども穴場ですね。
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